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ウリヤという人物について

教会のある長老さんが こんなことを言っておられました。 先週の安息日学校聖書研究ガイドで 取り上げられたウリヤという人。 この人の忠誠心が 当時のイスラエルの国を 救ったのではないか、と。 この人、国王に自分の奥さんを 寝盗られてしまったかわいそうな人です。 結果、奥さんは王の子を 身ごもってしまうのですが、 それを隠すために 戦場から独り呼び戻され、 家でゆっくり休むように 王から勧められます。 明らかに、妻との関係を持つように 勧められたというわけです。 で、長老さん曰く、 この状況において、 ん?何かおかしいぞ? と気づかないヤツはいない、と。 ウリヤは、恐らく 察しがついたのではないか、と。 それでも、つまり、何かおかしいなと思いつつも、 もしウリヤが、 王の言うとおりに家に帰り、 妻とゆっくり過ごしたとしましょう。 妻のお腹の子は、ウリヤの子だということを 誰も疑わなくなることでしょう。 そして、ダビデ王が 自分の犯した罪を告白し、 悔い改めることもないでしょう。 しかし、果たしてそれで おさまりがついただろうかというわけです。 ダビデ王の犯した罪は、 どこかで誰かの話題に上る可能性が高いのです。 ウリヤの妻が、 両親の呵責に耐えかねて 「実は・・・」と 話しだすかも知れません。 或いは、ウリヤ自身が、 ダビデ王に対する不信感を どこかで露呈する ということになるかも知れません。 そうなると、ダビデの家臣や息子たちが 恐らく黙っていないことでしょう。 あんなヤツをいつまでも のさばらせておくわけにはいかない という話に当然なるでしょう。 ですから、この意味において、 ダビデの計画がうまいこといって、 彼が自分の罪を隠しおおせていたとしたら、 イスラエルの国自体が 崩壊していたかも知れないというわけです。 でも、ウリヤは違いました。 彼は、たとえ王が罪を犯していたとしても、 (それを薄々感じていたとしても) 彼自身の、国に忠誠を尽くす姿勢は 何ら変わらなかったのです。 そして、王の勧めを拒んで、 家に帰ることはしませんでした。 その態度が彼自身を 死に追いやることになったわけですが、 しかし、その忠誠心が イエスラエルの国を救ったということなのです。 そういう内容のお話しでした。 すごく深い洞察ですね!と評価したら、 長老さん自身も、 ある日の朝、 ふと思い

類は友を呼ぶ

ある方から電話で相談を受けました。 「人生相談」ということだったので、 いらんに分かることかなと ちょっとドキドキだったのですが。。。 次のような内容でした。 自分の周りには 聖書に出てくるザアカイみたいな 友だちばかりがいる。 みんなプライドが高くて 他人の文句ばかり言っている。 自分も正直そんな人たちとは 付き合いたくないのだが、 それ以外に誰も付き合う人がいないので 寂しいのでついつい寄っていってしまう。 そして、後悔する。 ある日、ある人からこう言われた。 (その人はクリスチャン) あんたがザアカイみたいな プライドの高い人だから、 だから、そういう人ばかりが集まるんだよ。 類は友を呼ぶんだよ、と。 ということは、 自分はこれから一生、 ザアカイみたいな人間と 付き合い続けなければならないのだろうか。 と、そんな相談でした。 気持ち、わかるな~ と思いました。 いらんも、 特に公立の学校に通っていた頃は いつもそうしてしまっていましたから。 こいつは本当の友だちじゃないと 思っていたとしても、 他に誰もいないと 一人よりもマシか…と、 楽な方に流れてしまうんですよね。 そして、あぁ、今日もつまらなかった と、後悔をするハメになるんです。 でも、一旦そうなると、 なかなか抜け出せなくなるんですよね。 で、今日のいらんの答え。 家族は選べませんが、 友だちは選べます。 私たちは自分の境遇に縛られる必要はなく、 正しい選択をすることによって 人生の新しい一歩を 踏み出すことはいくらでもできます。 聖書の中にも、例えば 「怒りやすい者の友になるな。  激しやすい者と交わるな。」 (箴言22:24) とあるように、 友だちは選ぶべきなのです。 もちろん、 新しい一歩を踏み出す勇気を 与えてくださるのは神様ですし、 神様に頼ることによって 私たちはより正しい選択を することができるわけですが、 神様を知らない人であっても 正しい道を選ぶことはできます。 諦めずに、 お互い切磋琢磨し合える 本当の友人を探してください。 こんなんで、 答えになってますか、ね。。。

いじめという問題

いじめの問題が後を絶ちませんね。 今朝も新聞を眺めていて、 ため息が出てしまいました。 <桐生・小6自殺>学級、担任の指導聞かず 給食中孤立招く (Yahooニュースより) 6年生くらいになると、 担任がちょっと指示を出したくらいでは 動かない場合があると思います。 そして、担任も、 まぁ、仕方ないか 徐々に指導していくほかないだろう… くらいに考えていたのだと思います。 まさか、死んでしまうなんて 思いも寄らないことです。 だから、学校に或いは教師にばかり 責任を求めることはできないと思います。 誰だって同じような対応をするだろうからです。 今、思い返すと、 いらんが小学生の頃、 学級の中で仲間ハズレにされてしまう子が いました。1人。 やはり女の子でした。 ただ、この子の場合は、 女の子たちからは普通に受け入れられていましたので、 上記のニュースの子とは状況が違いますが、 でも、男の子たちが、 とにかく「汚い」と言って近づきませんでした。 その子の持ち物に触るだけで 「○○菌が付いた~」と言って騒ぐのです。 転校生だったいらん。 明るくていい子だったので、 どうしてその子がそんなに汚いと言われるのかが不思議で ある日、友だちの一人に聞いてみました。 そしたら、その子も、 多分こうだったような気が…みたいな感じで あまり理由を覚えていないというか 知らないのです。 それなのに、一旦避けられ始めると それがいつまでも続きます。 学年が変わっても、 中学校に進んでも、 ずっと残るのです。 いらんもいらんで、 理由が分からないということが分かっても、 え~、だったらおかしいだろ~ ということは言えずにいました。 ちょっとでもかばうような雰囲気を見せたり 普通に話していたりすると、 お前は〇〇のことが好きなんだろ~と言われるし、 もしかしたら、自分も同類にされ 仲間ハズレにされるかも知れないと思うと、 怖くて、結局他の連中と一緒になって避けてしまうのです。 何と情け無いヤツだったんだろうと反省すると同時に、 今だったら違う行動がとれるだろうかと考えると、 それこそ情け無い話ですが、 何とも自信がありません。 それくらい、 一旦できた流れに逆らって行動するということは 大変なことなのだと改めて思わされます。 いらんが小6だったのは 25年前のことですが、 四半世紀経っても

アメリカに行って気づいたこと(2)

第二弾にまでなるとは思わなかったのですが、 もう少し書いてみます。 6)手抜きのアメリカ人 同じホテルに8泊したのですが、 2日目からタオルの数が減っていくのです。 3日目には、フェイスタオルもハンドタオルも 足拭きマットすらもなくなって、 バスタオル1本じゃ無理だろ~ なんだよ、清掃員、仕事しろよ~ と思ったのですが、その時、おっ!と気づきました。 チップを置いておくのを すっかり忘れていたんです。 オットォ!(・o・ノ)ノ そっか~、それか~と思って、 その次の日からは毎朝、枕元に2ドルだけですが、 チップを置いておくようにしました。 催促されたような気もしましたが、 アメリカの文化を忘れていたのはこちらのほうですから、 それでサービスが元に戻れば、 カワイイものだと思ったわけです。 ところが、毎日チップを置いているにもかかわらず、 タオルの本数も、コーヒーや紅茶のパック数も 一向に元に戻りません。 チップをあげただけ損だったかという 気持ちになってしまったのですが、 しかし、あのタオルの本数が どんどん減っていったのが もしチップの催促じゃなかったのであれば、 一体何なのだろうと思うわけです。 3日も忘れていたわけだから、 2ドルだけじゃ足りないわよ!という 更なる要求だったのかなとも思ったのですが、 結論としては、アメリカ人、 支配人の目が届かないようなところでは とことん手を抜くということなのかな、と。 だって、ひどい日は お風呂も掃除していなかったりしましたから。 よく、日本人は恥の文化で 欧米人は罪の文化だということが言われます。 罪の文化の中にいる欧米人は、 人の目が届かない場所においても 行動が変わらないと言われますが、 しかし、ホテルの清掃だけではなく スーパーの店員など、仕事一般において、 アメリカ人は手を抜くところは抜くなという 印象がありました。 日本のバイトのほうが よっぽど誠実に働いているのではないか、と。 7)夜早い 早いんです、お店が閉まるのが。 スーパーもお土産屋さんも 夕方6時頃にはみんな閉まってしまいます。 なんて不便とか思っていたのですが、 その分朝が早いかなという印象はありました。 また、夜遅くまでコンビニが開店しているのは、 そこで働いている人がいるからこそであるという 当たり前のことですが、 そのような認識を改めて持ち

アメリカに行って気づいたこと

今回、アメリカ旅行に行って、 いくつか気づいたことがあったので、 何となく書いてみます。 1)アメリカ人はフレンドリー 今回改めて思ったことなのですが、 アメリカ人はフレンドリーですね。 とっても。 道をてくてく歩いていて、 すれ違う人はおろか、 庭の芝刈りをしているような人までが こんにちはと声をかけてくれます。 また、スーパーのバイトの店員さん(若者)ですらも How are you doing? とか Have a nice day! とか いちいち挨拶をしてくれます。 その時、自然に Good, thank you! とか You, too! とか パッと返せないと、 あぁ、この人、英語できないのね という雰囲気になるくらいなんですよね。 日本にいると、犬の散歩をしている人同士でも、 毎日顔を合わせる人でもない限り、 なかなか「こんにちは」と 気軽に声をかける雰囲気にならないですよね。 (って、いらんだけかも知れませんが) 2)自然と共存 特に世界総会がある シルバー・スプリングの辺りなんてのは、 まぁ、田舎は田舎なのですが、 でも、普通の住宅街でも 野生のリスがちょこちょこ走っているんですよね。 自然が豊かだし、 そして人間が完全に野生のものを排除する形で 生活しているわけではない ということだと思うんです。 見習わないといけないと思います。 3)優しいドライバー 日本にはルールはあるがマナーがないと 聞いたことがあります。 アメリカはその逆ですね。 ルールは適当、でもマナーがあります。 だから、歩行者にも優しい運転なんですね。 渡ろうとしているのに気づいたら、 ほとんどの車が止まってくれます。 特に、いらんは今北海道にいるから 余計にそれを感じるのかも知れません。 北海道のドライバー、歩行者に厳しすぎです。 完全に車が優先だと思い込んでいます。 歩行者も自転車も、命がけですから。 4)デイライト これも交通安全の意識の高さに 関係があることだと思うのですが、 デイライトを点けて走っている車が たくさんいました。 メーカーの方針もあると思うのですが、 ヘッドライトよりは暗く、でも 車幅灯よりは明るいという ちょっと不思議な感じのデイライト (日本のようなLEDではなく普通のランプ) を搭載した車が多く走っていました。 デイライトを搭載していない ちょっと古

世界総会の方向性

今回の世界総会理事会は、 東海林先生もおしゃっていたように 今までにない流れということで、 祈ることや、神様に力を求めることが 最優先にされた会議でした。 世界総会に限らず、 今アメリカでは、ここかしこで、 同じような雰囲気になっているとのことでした。 キリスト教会があるべき姿に 戻ろうとする時が来ている気がしました。 あるべき姿に戻るというのは、 いわゆる「リバイバル」ってヤツですね♪ で、いらんがようやっと 訳し終えた文章なのですが、 ちょっと恥ずかしいですが、 せっかくですので 皆様にもご紹介しようと思います。 日本語がきちんと校正されていないので、 読みづらいと思いますが、 まぁ、何となく 雰囲気を感じていただけたらと思います。 特に、指導者たちの反省として、 今まであまりに人間的な力によって 働いてきてしまったことを告白する といったような内容は、 いらん自身、本当に、 今まで見たことがないものでした。 よろしかったら、 以下のリンクからどうぞ。 『神の約束された賜物』PDF形式 『神の約束された賜物』Google Docs 形式 『神の約束された賜物』テキスト形式(ダウンロードのみ) もし、上記のいずれも うまく開けなかったり 読めなかったりしたら、 遠慮なくご連絡ください。 |〒| ヘ( ̄* )メール

帰国しました

無事に成田に着きました。 頑張れば今夜中に札幌に戻れなくもないのですが、 成田から羽田の移動時間に ある程度の余裕を持ってチケットを取ると 自宅に戻るのが夜中になってしまい、 時差ボケの調整もできないまま安息日を迎えるのは ちょっと無理だなと思ったので、 安全策を採って、今日は成田のホテルです。 札幌には明日の夜に帰ります。 世界総会の理事会は、 え?こんなんでいいの?と思うくらい あっけなく終わりました。 木曜日の夕方まで会議がある予定だったのですが、 午前中で終わるということになりました。 しかも午前中の後半は、証し会になったので、 最終日、まともに議事を扱ったのは 1時間くらいしかありませんでした。 と、そんなわけで、午後がスッポリ時間が空いたので 東海林先生と2人でワシントンDC見学に出かけました。 世界総会があるシルバースプリングから 地下鉄で30分くらいで都心に出ることができます。 時間帯によって運賃が細かく分けられていますが、 一番安い時間帯で、往復6ドルでした。 あまり時間がなかったので、 最初から目的地を決めていこうということで、 スミソニアン博物館に行ってみることにしました。 ところが、全然知らなかったのですが、 スミソニアンって、博物館のモールのようになっていて、 アメリカの歴史や宇宙計画等を扱った博物館や美術館が ズラッと並んでいる場所だったんですね。 全部回ってみるとしたら、 1週間でも足りないなと思うくらいです。 今回は、その中のホロコースト記念館に行きました。 ここだけでも丸一日かけたいくらいの場所なのですが、 1時間半しかなかったので、かなり飛ばして歩きました。 それでも、いゃぁ、もう、絶句・・・でした。 東海林先生が言っておられたのですが、 戦争という状況下において、 狂ったとしか言いようのない心ない人たちによってなされた 残虐な行為についての生々しい展示がなされ、 それをたくさんの人が見に来るということは、 もしかしたら、 まかり間違うと いつ世界が同じようになってもおかしくはない、 いつ自分が加害者になってしまうかも知れないし、 被害者になってしまうかも知れないといった 潜在的な危惧があるのではないかということでした。 言われてみれば、ナットクです。 いらんも、ユダヤ人たちが押し込められた貨車を見、 アウシュビッツで実際に使用さ

アッと言う間に

レポートが安息日で止まってしまっておりましたが、 今日で全ての会議が終わりました。 いつでもそうですが、 今回も、過ぎてみればアッという間でした。 初日に配布されたある文章の和訳をしておりまして、 そっちを優先にしていたら ブログがどこかに行ってしまいました。 そろそろ日本に向かっての移動を開始するので また後ほど、その文章もご紹介したいと思います。 それでは、また。 (^0^)/~~see you

安息日集会

ビジネス・セッションと呼ばれる いわゆる事務的な会議をする前に、 まず、みんなで安息日を過ごしましょうというのが 毎回のことなのか 今回だけのことなのかは分かりませんが、 少なくとも今回は、 「リバイバルと変革」というテーマで 信仰的なことが全面に出ているのは確かなようです。 朝8時半頃講堂に入ったら すでに祈祷会が行われていました。 (←クリックで拡大します) 司会者のリードによって 神様に対する感謝や願い事などを それぞれが自由に言う形の祈りでしたが、 途中で突然讃美歌を歌い出す人がいて それにみんなが同調して歌うことが何回かあり、 最初はちょっとびっくりしましたが、 あぁ、これもまた、自由な感じでいいなと思いました。 安息日学校の時間は、 数名の支部の総理がそれぞれの支部での 「ミッション・ストーリー」を紹介しました。 こちらは、我らがNSD総理の ジェイリョン・リー先生です。 (先日のキャンプミーティングの講師です) 先生は、セブンスデー・アドベンチストの名称が 韓国に再臨メッセージが伝わる上で 大きな役割を果たしたというお話をされました。 韓国ではセブンスデー・アドベンチストを このように訳しているそうです。 「基督復臨安息日会」 日本でも、え~と何でしたっけ、 第七日安息日基督再臨教会(多分) という名称を使用していたことが あったようですね。 1904年、2人の韓国人青年が 神戸経由でハワイに渡ろうとしていました。 ハワイ行きの船の出発を待ちながら 神戸に数日滞在することになりました。 (←クリックで拡大します) ある日、神戸の街中に繰り出した2人は、 非常に長い名前の教会があるのを見つけ、 (第七日安息日基督再臨教会) そこに入ってみることにしました。 そこには国谷秀牧師がいました。 (←クリックで拡大します) お互いに言葉の通じない彼らは 漢字を書きながらコミュニケーションをとり、 聖書の勉強をしました。 数日後に彼らは再臨信仰を受け入れ、 バプテスマを受けました。 そのうちの1人は ハワイに行く予定をキャンセルし、 再臨信仰を伝えるために 韓国に帰ることにしました。 韓国に戻った後、 国谷牧師を招待して講演会を開催し、 最初の講演会で71人のバプテスマがありました。 これが韓国における SDA教会の始まりになったとのことです。 日本から韓国に伝わ

ベスパー

金曜日の夜から、 いよいよ集会が始まりました。 ・・・って、あれ?いらんは、 水曜日からそっちに行ってたんじゃないの? と、突っ込んでくださる方、 よくチェックしてくださって ありがとうございます。 え?誰もそんなツッコミ入れてないって? マァ\( ̄。 ̄\)(/ ̄ 。 ̄)/マァ 実は、そうなんです。 実際の世界総会理事会は 金曜日の夕方から始まる予定だったんです。 ところが、いらんの場合は、 NSDから参加する世界総会理事ということで、 自動的にAIIAS (※) の理事にもなっておりまして、 AIIASの理事会は木曜日にあったんですね。 ※ AIIASとは、いらん自身も卒業した フィリピンにあるSDAの大学院です。 それで、フライトスケジュール的に、 木曜日に日本を出ると間に合わないということで 水曜日に出発したというわけです。 しか~し、こちらに着いてみて分かったのですが、 AIIASの理事会は、木曜日の夕方からだったので、 木曜日に日本を出ても 実は充分間に合ったんです・・・! でも、事前にもらっていた情報には 木曜日の「午後」としか書かれていなかったので、 午後1時からだと 間に合わないということになりますから、 水曜日に出るほかなかったという次第です。 まぁ、そんなわけで、 1日丸々こっちでゆっくりしてしまった というわけなんです。 アメリカ人、結構いい加減なんだなと 思ってしまいます。 いゃ、アメリカ人と言うよりも、 世界総会で働くSDA教会員と言うべきでしょうか。 そんな文句を言うくらいなら、 事前に確認しろよ!という感じですね。 はい、失礼しました。 集会の様子をお伝えしましょうね。 世界総会の講堂は、約500席でしょうか。 ちょっとしたホールのようになっています。 ピンぼけしてしまったので、拡大できませんが、 手前に写っているのは東海林理事長です。 そして、正面には、立派なステージがあります。 (←クリックで拡大します) オットォ!(・o・ノ)ノ そこに立って話しているのは、 今回の世界総会大会で選出された新総理の テッド・ウィルソン牧師ではないですか! (←クリックで拡大します) いきなり本物を拝めるとは思いませんでした。 ・・・って、別に神様でも何でもないですが。 \(○`ε´○) コラコラ で、この日のベスパーなのですが、 ちょっとした讃美歌

世界総会ツアー(2)

え~、では、皆様を 建物の中にご案内いたします。 受付を通ってまっすぐ歩くと 世界総会についての案内板があります。  (←クリックで拡大します) 安息日学校部、信徒伝道部をはじめ、 家庭部、児童部、スチュワードシップ部、 アドベンチスト・リスク・マネジメント などという部門に至るまで、 皆さんがSDAの部門としてご存じの すべてがここにある、という感じです。 そして、これ。 写真のピントがボケてしまったので、 拡大してお見せできないのが残念なのですが、 いろいろな国の人々が ある一方向を見て歩み寄っています。 その視線の先に何があるかと言うと・・・  (←クリックで拡大します) ジャ~ン!っと言えるほど 大きなものではないのですが (正直、かなり貧弱なのですが)、 イエス様の再臨の様子が表されたものが 壁に掛かっています。 この、子どもを抱えた母親も (羽根が生えているので天使かなとも思うのですが 再臨の時には宇宙を飛んで天国まで行く と言いますから、羽根の生えた母親かなとも) ちょっと違う角度から 「再臨」の方向を指さしています。  (←クリックで拡大します) この奥が、3階まで吹き抜けになっています。 そして、そこには 大きな地球儀が・・・!  (←クリックで拡大します) 地球儀の周りにはパネルが置いてあり、 世界のSDAの統計などが 書かれています。  (←クリックで拡大します) これもちょっとピンぼけで申し訳ないのですが、 こんな感じのことが書かれています。 全教会員数:1475万4022人 教会数:5万7千850箇所 教会員増加率: ・1日に1363人 ・1時間に56.8人 ・1分間に0.95人 教会増加率:3.63時間に1箇所 世界人口の444人に1人がSDA教会員 ということで、 ほぼ1分間に1人がどこかでバプテスマを受けている ・・・んじゃないですよね、 他の教会に移ったり、亡くなったりする人を 考えての増加率ですから、 バプテスマを受ける人だけを考えたら、 1分間に1.5人とかかも知れませんね。 そしてこちらが、我らがNSDの統計です。  (←クリックで拡大します) 北アジア太平洋支部 構成国:北朝鮮、日本、モンゴル、香港を含めた中国、韓国、台湾 教会数:1776箇所 教会員数:55万9264人 人口:15億3540万7千人 この地域人口の2745

世界総会ツアー(1)

え~、とうとうやって参りました。 世界総会本部でございます~。  (←クリックで拡大します) なかなかモダンな感じの建物なんですよね。  (←クリックで拡大します) 遠くからでも目立つ文字で、 セブンスデー・アドベンチスト世界総会本部って、 書いてあります。  (←クリックで拡大します) そして、この建物がどこにあるかと言うと、 太い道路同士が立体交差している 大きな交差点の近くなんです。  (←クリックで拡大します) そして、こちらが、職員駐車場。 写真に写りきらないくらい かなり大きな駐車場で、 ざっと見たところ、 300台くらい停まっていたでしょうか。 雰囲気は、ちょっと大きめの ショッピングモール…くらいです。  (←クリックで拡大します) 職員駐車場の中の身障者用の駐車スペースです。 ドン!と10台分くらいとってありました。 つまりそれだけの人たちが ここで働いているということなんですよね。  (←クリックで拡大します) こんな場所を見たことがなかったので、 シャッターを押してしまいました。 さすがアメリカ言うべきか、 さすがSDAと言うべきか、 ちょっと迷うところです。。。 そして、こちらは、 「お客さんは2時間だけよ」 というちょっと心の狭い感じの看板。 これは、さすがSDAと言っておきましょうね。 こちらは、世界の13の支部に それぞれ1箇所ずつ駐車スペースが 割り当てられていたのですが、 我らがNSD!です。 (北アジア太平洋支部) 正面に回って、 職員以外の人はこちらからどうぞ という、正面玄関です。  (←クリックで拡大します) 旗が4枚はためいていたのですが、 一番手前のゴールフラッグみたいな旗、 何、このセンスの無い旗は…?と思ったら、 これ、メリーランド州の州旗なんだそうです。  (←クリックで拡大します) 正面玄関の「ヒサシ」のところに こんなことが書かれていました。  (←クリックで拡大します) 「高さ13フィート6インチ」 SDAどんだけ親切?と思いましたが、 もしかしたら、 アメリカでは普通のことなのかも知れませんね。 そして、入り口には、 番地がデカデカと書かれています。  (←クリックで拡大します) この辺は、どの家もそうなのですが、 通りからすぐに見えるように 大きめに番地が表示してあります。 郵便屋さんは、助かりますね。

アドベンチストの町

SDAの世界総会があるのは メリーランド州の シルバースプリングという町です。 いらんが泊まっているホテルは 同じ町の中にあります。 ホテルから20分くらい歩いたので 多分2kmくらいの距離だと思うのですが、 ちょっとしたショッピングセンターがありました。 スーパーの他に、 ベビーザラスやスタバなどもあるような場所です。 その一角に、こんなお店がありました。  (←写真クリックで拡大します) え?アドベンチスト?? と思ったのですが、 よく考えたら、SDAの本部がすぐそこにある場所です。 ショッピングセンターの中に SDAの書店があっても不思議はありません。 しかも、ここ、なかなか大きかったです。 (日本のキリスト教書店は、どこも、こぢんまりですしね) SDAやキリスト教関係の本だけではなく、 CDや食品、クリスチャングッズなど いろいろ置いてありました。 ちょっとだけヒマ潰しに入ったつもりだったのですが、 気づいたら1時間以上ウロウロしていました。 シルバースプリング。 さすがにアドベンチストの町なんだなと 思わされました。  (←写真クリックで拡大します) お店の前では、 イエス様がペテロの足を洗っておられました。  (←写真クリックで拡大します) はい、そして、全然関係ありませんが、 飛行機の中から撮った空の写真です。 北極圏近くを航行中、 雲の上から見た夕焼けです。 ほとんど虹色になっていますよね。。。

無事に乗れました

アメリカに着きました~。 今はまだお昼でホテルに入れないので、 近くのマクドナルドに入って、 そこで書いています。 (SDAの牧師にあるまじき行為…!?) タコベルもあったんですが、 度胸のないいらんは、 とりあえず安心できる場所を選んでしまいました。 今日は、ホワイトハウスでも 見に行こうかとも思ったのですが、 とにかく初めてでドキドキだし すでに締切の過ぎている原稿もあることなので、 この後はホテルでまったりしようと思います。 さてさて、ところで、 皆さんはESTAという簡易ビザをご存じですか? 90日以内の短期滞在者が取得する必要があるもので、 オバマ大統領になってから(かな?) 導入されたもののようです。 これまでは、 パスポートを持っていれば90日間は ビザなしで滞在できたところを、 このESTAを申請しなければ 入国できなくなったということなのです。 そのことを全く知らなかったいらん。 今回は、世界総会の事務局から紹介された アメリカの旅行社にチケットの手配をお願いしたのですが 出発の3時間前までには空港に行きなさい とは言われたものの、 このESTAについては一言も説明がありませんでした。 アメリカ人には必要ないことですから 無理もないと言えなくもないのですが、 でも、旅行代理店だろ!と言いたいところ。 とにもかくにも、 チケットを発券する段階になって、 ビザはお持ちですか?と聞かれ、 90日以内だからいらないでしょ、と思いつつ いいえ、ありませんよ、と答えたら、 そこで、あら大変!という話になったわけです。 ESTAの申請ができていないと 飛行機自体に乗れないのです。 それから、やおら インターネット上でESTAの申請をするわけですが クレジットカードで14ドルの手数料を払って よし、完了!となった段階で、 画面には「保留」の文字が。。。 入国が許されないというわけではなく、 申請手続きが完了するまで 最大72時間かかるということで、 しばらくお待ちください状態になってしまったんですね。 もともと、渡航予定が決まったら なるべく早く申請をしてくださいというものですが、 ある程度、急な計画にも対応してくれるようで そのためにインターネットで 申請ができるようになっているわけです。 でも、今回のいらんのように、 出発の3時間前に申請をする人というのも あ

海外出張

明日からしばらく、海外出張です。 米国はワシントンDCの…と言うと カッコ良く聞こえますが、 セブンスデー・アドベンチスト教会の 世界総会本部 があるシルバースプリングという場所です。 どういうわけだか、いらんが、 今年から5年間の任期で 世界総会理事に選ばれてしまいました。 毎年ほぼこの時期に、 教団理事長と2人で 理事会に参加することになります。 で、今回はその第一回。 アメリカは3回目ですが、 一人で行くのは初めてですし 東海岸に行くのも初めてなので、 ちょっと緊張しています。 …o(;-_-;)oドキドキ でも、まぁ、せっかく与えられた機会ですから、 楽しんでこようと思っています。 アメリカからも 皆様に様子をお知らせすることができればと 願っておりますが、 あまり期待しないで待っていてください。 ☆⌒(*^-゜)ノ~♪see you again

エアコン

北海道では、さすがにエアコンは要らないかなと思っていたのですが、 特に札幌は…というか、札幌教会の牧師館は、 かなり蒸し暑くなります。 (;´д`)ゞ アチィー!! こんなところで文句を書いても仕方ありませんが、 でも、なんとも、風通しの悪い家なんですよね。 子どもがいなければ、夫婦2人で我慢するのでしょうが、 ここ数日の蒸し暑さに、娘の機嫌も非常に悪くなり、 あ~、これはやっぱりエアコンが欲しいね~ という話になりました。 ところが、です。 今の時期、どの電器店も、 エアコン取り付けの予約でいっぱいいっぱいなんですね。 先月下旬、ある大型家電品店でエアコンを注文し、 工事の見積りを取って、 料金が提示されてから本工事ということになったのですが、 見積りに来てくれるまでに約1週間かかりました。 そして、見積りの結果、教会の建物が一般の家屋よりも高いということで、 高所作業専用の機材が必要ということになり、 その機材が空くまでにさらに2週間かかると言われてしまいました。 買ったその日に取り付けてもらえるとばかり思っていたのですが、 (まぁ、そんな考えが甘すぎたのですが) でも、この暑さの中で、すでに1週間忍耐したのに さらにこれからその倍待たなければならないと言われたら、 いらんの忍耐袋の緒はブチブチに切れてしまいました。 こういうの、本当に待てないんですよね。 幹線道路が混んでいたら、 すぐに横道を探してしまうタイプなんです。 それで、 すでにエアコンを注文していたにもかかわらず、 今からキャンセルできますか?と聞いたら、 まぁ、これだけ時間がかかっては仕方ないですねということだったので、 非情にも、 じゃぁ、すみませんが、キャンセルということでお願いします と言ってしまいました。 (≧◇≦)エーーー! さて、キャンセルしたのはいいですが、 それからどうしたかと言うと、 エアコン本体を通販で購入し、 それから、近くの小さな電気屋さんに電話をして、 エアコンを取り付けてくれるかどうかを聞いてみました。 ところが、どこも予約で1週間先までいっぱいだとか、 メーカーが違うから扱えないとか、 もう工事が出来る人がいなくてお店を閉じたんですとか、 先月入院して退院したばかりなので、力仕事は無理ですとか、 あぁ、本当に個人でやっておられるんだと思わされる理由の数々で 断られまく

ツキを呼ぶ魔法の言葉

ある教会員の方からプレゼントしていただいたのですが、 『五日市剛さんのツキを呼ぶ魔法の言葉』 という本というか小冊子を読みました。 わずか50ページなので、 本当にすぐに読めてしまうのですが、 なんだかとっても不思議な感覚に捕われる本でした。 内容をあまり詳しく書いてしまうと いわゆるネタばれというヤツで あまり良くないと思いますので、 ごくごく簡単にご紹介しますと、、、 五日市さんという方がイスラエルを旅行したときに出会った 一人のおばあさんから教えてもらった 言葉の大切さについて書かれています。 そのおばあさんが教えてくれたのは、 人生にはツキがあって、そのツキを呼ぶためには、 何か良くないことが起きたときに「ありがとう」と言い、 こうなってほしいなという願望があるときに 「~になって感謝します」と言いなさいということでした。 それから、 汚い言葉は絶対に口にしないということと、 人の悪口は決して言わないということ。 そのたぐいの言葉を口に出すとツキが逃げてしまうというのです。 そうかと思った五日市さんが 日本に帰ってきてから実際にそういう習慣を身につけたところ、 不思議とその後の人生がツキまくってしまったとのこと。 もちろん、私たちクリスチャンは、 この世の人生がツイていればそれで良い という考え方をするわけではありませんが、 しかし、神様は、この世においても 私たちが幸福に生きることを望んでおられるわけですから、 より良い人生を送るための努力は必要だと思います。 そう考えると、 私は聖書の言葉を知りながら、 いかに聖書の原則を実生活に活かしていないかということを 思い知らされました。 というのは、聖書の非常に有名な聖句に、 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。・・・すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」 (Ⅰテサロニケ5:16~18,21,22) という言葉があって、 すでに知っているどころの騒ぎではありませんので。。。 ところが、この言葉を目にしても、 いらんをはじめとする多くのクリスチャンは、 「いつも喜んでいるとか、どんなことにも感謝するとかって、 順境の時は良いとしても、逆境のときは、難しいことです

死後の状態

他教派のクリスチャンの方で、 最近うちの教会に来ておられる方から、 相談の電話をいただきました。 昨年亡くなったお母様の遺骨を部屋に置いているのだが、 納骨はなるべく早くすべきものなのだろうか?と。 何故そのようなことをお尋ねいただくのかが 少々気になりましたので、 誰かに何かを言われたのですか?と聞くと、 他の教派の方から、 最近あなたが連続で病気になったのは、 恐らく、早く納骨をしなかったからだろうと言われたというのです。 確信を持って言われたわけではないにしても、 その可能性を否めないので、 納骨は早く済ませたほうが良い、と。 それから、他の教派の牧師さんには、 遺骨をいつまでもお部屋に置いておくと、 亡くなったお母様のあなたに対する強い思いが、 悪霊に変化する可能性がある、と言われたとのこと。 これは、聖書の解釈の違いによって生じる意見の相違だと思うのですが、 死は眠りであって、死者には意識が無いと考えるSDA教会からすれば、 上記のような考え方は、まったくナンセンスですので、 いらんとしては、電話をくださった方に対して、 そのような心配は全く要らないということを申し上げました。 しかし、解釈の違いとはいえども、 遺骨をいつまでも置きっぱなしにしたことによって 自分が病気にかかってしまっただとか、 亡くなった人の気持ちが悪霊に変化するだとかいうことであれば、 それは、日本古来の宗教と言いましょうか 霊界についての考え方と、さして変わらない気がします。 霊の世界のことについても、 かもしれないとか、可能性があるとかいうレベルではなく、 明確に示してく必要を感じます。 今、スピリチュアルなことがよく取り上げられ、 いろんな人がいろんなことを言う中で、 聖書という基準を持っている我々クリスチャンが、 聖書が人間の死後の状態について何と教えているかをしっかり学び、 正しい光を掲げていく大切さを、改めて感じました。  

核軍縮って

最近、普天間基地移設問題が マスコミによってよく取り上げられていますが、 それと同じくらい、 今月イランで行われた 核軍縮・不拡散会議についても 新聞でよく取り上げられていました。 ちょっと気になって、 核拡散防止条約について調べてみました。 Wikipediaには、 「核軍縮を目的に、  アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の  5カ国以外の核兵器の保有を禁止する条約である。」 と説明されていました。 不勉強ないらんにとっては、 へ~、そんな条約があったんだ・・・という感じです。 この条約について、 すでに核兵器を持っているインドやパキスタンなどは、 5カ国だけに限定して所持を許可するという 〝不平等条約〟には署名しないという立場をとっています。 冷静に考えたら、ホントに、そうですよね。 一体何を根拠に、 5カ国だけは核を持っていても構わない という話になるんだろうと思います。 というか、この条約、 よくも非保有国が調印したなという感じです。 六十数カ国あったらしいですが・・・。 で、 核保有国の中心であるアメリカ。 その大統領オバマ氏は、 核廃絶のために相当の努力をしたと ある新聞では評していました。 が、 (;-o-)σォィォィ・・・アメリカさんよ。 あんたが手放さない限り、世界から核は消えないんだよ。 と、言いたいところ。 そして、まず手放すつもりはないと思われるそのアメリカが、 核兵器を作ろうとしているのではないかと言って 北朝鮮やイランに対して牽制をするわけです。 自分の手にナイフをしっかり握っている人から 「他人を怪我させたらいけないから、  ナイフを置いておきなさい」 と言われても、 素直にハイと応じる人が一体何人いるだろうか、と思います。 自分は、しっかり確保していて それでいて相手からは取り上げようとするのって、 それって、ただ単に 自分の思い通りにしたいだけなんじゃないの~ぉ? と、言いたい。 北朝鮮やイランは、核兵器を持っていると危ないが、 アメリカやロシアが持っていても、決して危なくない、 などという話、 誰も納得しないと思うんですよね? 結局、皆、同じ人間ですから。 どんなに冷静な人でも、 カッとなって頭にくることもあれば、 間違った判断をすることもあるわけです。 いつだって、アメリカ人が 核ミサイルの発射ボタンを押

責任

昨年、北海道に来て、人生で初めて 加湿器なるものを購入しました。 娘が生まれる頃だったので、 いろいろ考えて、 空気清浄機能が付いているタイプのものにしました。 特に夜、寝ている間に 寝室の湿度をあるレベルに保ってもらえると、 朝までぐっすり眠れて快適です。 空気中のゴミも除去してくれるし。 かなり離れたところでオナラをしても、 ニオイセンサーが感知して すごい勢いで作動し、 匂いを消す努力をしてくれるし。 結構気に入っています。 ところが、最近、 この機種がリコール対象になっていることが判明しました。 空気中の雑菌を除去するための 電子か何かを発生させる装置が、 ある一定の条件の下で発熱する恐れがあるということでした。 インターネットで修理を依頼すると、 いくつかの方法が示されていて、 部品を送ってもらって、それを自分の手で交換することもできる ということだったので、 そして、さほど難しい作業ではなかったし、 本体を送ったりするのもカッタルいので、 部品を送ってもらうことにしました。 5日ほどで荷物が届きました。 中を開けてみると、 交換するための部品がいくつかと、 交換の方法をかなり大きな図で書いた説明書、 さらに、作業用の手袋と 汚れた手を拭くためのウェットティッシュまで入っていました。 交換して取り出した部品を また元の箱に収めて会社へ送り返すわけですが、 宛先と送り主名がすでに書かれている荷札と それから、箱の蓋を閉じるためのシールも入っていました。 あなたのものは一切お使いにならなくて結構です! という気概に溢れた内容物。。。 リコールを出してしまうのは、 会社側の責任といえども、 それを隠すことなく、 その対処として、随所に配慮が感じられる方法で 顧客の安全を守るために必要な対応をするという姿勢に、 企業としての責任感が表れてくるものなのだと思います。 同時に、 自分が作ったものを 他人にお金を払ってもらってまで使ってもらうということって、 それなりの大きな責任が伴うことなのだと 改めて思いました。 教会に、 お金を出してまで買ってもらう製品があるわけではありませんし、 不都合があったからということで リコールがあるわけでもありませんが、 提供しているものについて 最後まで責任を取るということについて、 一体どの程度の意識があるのだろうかと ちょっと、

運転免許

5年ぶりに免許更新の年が来てしまいまして、 ゴールド免許のいらんは(自慢です) 警察署に向かいました。 学生時代に大型免許を取得し、 今もほぼ毎日 幼稚園の通園バスを運転しているので 問題なく更新できるハズなのですが、 毎回、この更新の時だけは 死ぬほど緊張します。 視力検査があるからです。 それも、深視力と呼ばれる 奥行き感があるかどうかを見る検査。。。 ※深視力検査について詳しく知りたい方はこちらへ。   ↓↓↓   CLICK これが、何とも不得意で 本当に緊張します。 5年前、広島で更新した時は、 警察署にあった深視力測定器が 非常に古い機械だったので、 棒がどこを通過しているかがすぐに分かり 難なくパスできました。 ところがそれよりもさらに5年前、 宮崎で更新した際は、 測定器が新しい型のものだったので、 まともに「勝負」するほかなく、 全然できませんでした。 焦ると、ますますできないんですけどね。 その時は、 ちょっと遠くを見て目を休ませてきなさいとか、 じゃぁ、手動の機械でやってみようかなどと、 今考えると、ちょっとあり得ない配慮をしていただいて、 大マケのマケで、片目をつぶって通してもらいました。 そんなわけで、 札幌の警察署の機械はどうかなと思っていたのですが、 さすがは、札幌。 機械は、最新式です。 それが目に入った瞬間、 「終わった・・・」と思ってしまいました。 でも、チャレンジするほかありません。 神さま〜、まだ幼稚園のバスを運転しなさいというのでしたら、 どうか、深視力検査にパスできるようにしてくださ〜ぃ!!! と、祈りまくって、測定器の前に立ちました。 まずは、普通の視力検査から。 新しくしてから2年近く経つ眼鏡なのですが、 なかなか快調で、両眼0.9のレベルも すぐにクリアです。 そして! 問題の深視力検査。 検査官のおじちゃんが、 いらんの緊張を知ってか知らずか、 深視力検査の方法をいちいち説明してくれます。 心の中では、 はいはい、わかりました。 さっさとやっちゃってください! と叫んでいます。 で、本番。 3回連続正解でパスなのですが、 今日は、いつもよりもよく見えます。 1回目、なんと成功です! でも、2回目は外れ。 検査官のおじちゃんが 「落ち着いて!」と、励ましてくれます。 深呼吸をしつつ、もう一度トライしたのですが、 ん〜

娯楽

曜日によって 新聞に折り込まれる広告の数が 随分違うなと思わされます。 新聞本体の2~3倍の厚さになる日もあれば、 ほんの数枚の日もあります。 あんまり多くても見る気が失せますが、 極端に少なくても 見る気にならないというのも、 面白い心理だなと 自分自身を見て、勝手に思っています。 (みなさんは、いかがですか?) ある日のこと。 その日は、広告が少な目の日でした。 やけにパチンコ屋さんの広告が多いな~ と思ったので、 ヒマジンいらんが 枚数をカウントしてみました。 すると、 パチンコ屋さんの広告 11枚 その他の広告 10枚 計 21枚 という結果でした。 w( ̄△ ̄;)wおおっ! 最近、教会の周りにも 新しいパチンコ店がどんどん建っています。 しかも、どの建物も非常に立派です。 平日の朝から、行列ができています。 不景気になると、 ギャンブルが流行るのかな~と思いつつも、 もう少し生産性のある健全な娯楽が あれば良いのにな~と思います。 教会として、 何かそういうの、考えられないでしょうかね。 平日の昼間から、 行列ができてしまうような 生産性のある健全な娯楽。。。

資本主義

最近、車の中でラジオをつけると よく、国会中継に出くわします。 つい先日は、 衆議院か参議院の 予算委員会だったと思うのですが、 ある女性議員が 首相に向かってかなり強い語調で 発言していました。 その中で、こんな言葉があり、 とても気になりました。 「そもそも資本主義は、  人間の欲望の上に成り立っているものです。」 つまり、みんなが 自分の利益を追い求めるところに 自由競争が発生し、 それが経済を活性化させるというのが 資本主義の根本原理だ ということなのでしょう。 だから、 それを野放しにするのではなく、 金持ちがますます豊かになり 貧乏な人がますます貧しくなって 格差がさらに広がることがないように、 規制を設けていかないといけない。 と、そういうことが発言の主旨であると 理解しました。 いやぁ、しかし、 日本の国の国会議員が、 資本主義経済について この程度の理解しか持っていないのか… と、僭越にも、キリスト教の牧師の立場で 少々残念な気持ちにもなるわけです。 というのは、 そもそも資本主義は、 人間の欲望の上になど 成り立つものではないからです。 確かに、資本主義経済において 自由競争は大切な部分です。 それぞれが自分の判断で 自由に金儲けをして良いわけです。 ただ、儲けたお金については、 それを全額自分の楽しみに使ってよい ということではなく、 自分の生活に必要なもの以外については、 儲けた者の当然の義務として それを貧しい人に分配する という原則があるのです。 そのようなわけで、 コンピュータで有名なMS社の社長さんなども 時々ド~ン!と 多額の寄付金をするのです。 だから、自由競争に規制をかける といったようなことをする必要は 本来まったくないわけなのです。 ところが、戦後の日本には、 資本主義の精神が抜け落ち、 自由競争の部分だけが見事に輸入されました。 それで、 今の日本の資本主義経済の中では、 ともするとお金を儲けること自体が目的になってしまい、 儲けたら儲けたで、 それをどのように使ったらよいのかが 全く分からないというのが 正直なところなのだろう思います。 そういう現代日本にこそ、 聖書の示す絶対的な基準が 必要なのだと思います。

聖書会議

月曜日の朝から、教団立川事務所で 聖書会議という名のプログラムが 行われています。 SDAの世界総会の機関の一つであるBRI (Biblical Reseach Institute:聖書研究所) から、SDA神学者の皆さんをお招きし、 今回は特に、 ヨハネの黙示録の学びをしています。 何人かの講師がおられますが、 久しぶりに神学科の授業に参加しているようで、 講師によっては、或いは内容によっては、 ひじょーに眠いです。 というのも、昨日の朝、 たったの30分だけではあったのですが、 英語を日本語に通訳したんです。 一応留学の経験はあるものの、 講義を聴いて、大意をとる ということはできたとしても、 通訳として、皆さんの前に立って 一文ずつ訳していくというのは、 いざ、やってみると、 本当に難しいことだなと思わされました。 予め、大体の内容が書かれたものを 受け取っていたのですが、 話し手がちょっと原稿から離れると 妙に焦ってしまって、 途中で、完全に分からなくなってしまいました。 (;゜0゜) まぁ、それでも、 内容が正しいかどうかなんて気にせず、 形だけ、テキトーに訳して終わりましたが…。 (^^;; と、そんなわけで、 前の晩から キンチョーしながら準備していたので ちょっと寝不足状態。 でも、この4日間 教会や幼稚園•小学校の仕事を離れて 勉強している訳ですし、 せっかくの機会だから、 舟を漕ぎながらでも頑張りたいと思います。

バトンタッチ

いらんはiPhone を使用しているのですが、 最近、娘をあやすために 抱っこをしながら iPhone でYou Tube の動画を 見せてしまったりしております。 童謡を聞かせながら (いらんも一緒に歌いながら) 抱っこをしていると よく寝てくれるんです。 しかし、よくもこれだけいろんな動画を アップしている人がいるものだな~。 著作権的には、どうなのだろうな~。 と思いながら、 もっといい歌がないかとあちこち探していたら、 こんな曲を見つけました。 「バトンタッチ」。 某消費者金融のCMに採用されたりしていたようですが、 いらんは今日まで知りませんでした。 目的の童謡ではなかったのですが、 見てみよ~と思って、再生してみたら、 あらら、涙が止まらない・・・。 (T-T)ダラダラ(T^T)ズルズルー ※動画は、 You Tube から 「バトンタッチ」で検索してみてください。 一番上に表示されます。 ここに映っているお父さんたちと娘さんたち、 特に後半、次々に出てくる人たちは、 演技しているようには見えないのですが、 もしかしたら、 ホームビデオの寄せ集めなのかも知れません。 歌もいいのですが、この画が、いいです。 こういうのを観て 涙が止まらなくなるというのは、 自分も親になったということなのかなと ちょっと、思ってみました。 しかし、 娘の結婚式で、 娘の相手に、「よろしくね」なんて 果たして言えるものなのだろうか、 素直にバトンタッチできるのだろうか、 と、真剣に考えてしまいます。 歌詞にあるように、 娘が選んだ相手だったら、それでいい と、そういう気持ちに 本当になれるものなのでしょうか。 そして、 親って、 一体何なのだろうと思います。 子どものために、すべてを注ぎ込んで、 最後は、その子どもの中から 自分の存在を失くしていかなければならないのですよね。 子どもの人生の舞台から 身を引かなければならないのですよね。 それを良しとできない 姿勢を、 “子離れができない”と 表現するのだろうと思います。 そんなことが、果たして この自分にできるのだろうかと 考えてしまいます。 ただただ 「与える」ということの大きさを そして、その難しさを 感じさせられます。

SDAの使命

超教派の牧師会に参加しました。 毎回、一つのテーマを決めて 学びの時間を過ごすのですが、 今回のテーマは結婚式。 今、日本でも3組に1組が離婚をする中で、 教会員同士でも、いや、牧師であったとしても、 離婚し、再婚をする例が多くなっているようです。 で、再婚者の場合、大きく二つの方向に分かれるとのこと。 一つは、最初の失敗の反省に基づいて、 再婚生活を成功させる例。 もう一つは、あぁ、またダメか…と、 同じ失敗を繰り返す例。 教会の牧師としては、 後者のような人たちに対して どのようなケアをしていくことができるかという 話になりました。 ところが、経験の少なさも手伝って、 いらんは、なかなか話の輪に入れません。 まぁ、お勉強だと思って聞いていましたが、 一応、自分の教会の状況もお知らせしておこうと思って、 ちょぃと発言しました。 「でも、SDAでは、 相手の不品行以外の理由で離婚し、再婚した場合は、 原則、除名なんですよね。 まぁ、実際に除名になった例は見たことがありませんが… 」 と、言った途端、 え〜、まぢ!?みたいな衝撃が皆さんの間に走ったようで、 その後しばらく質問攻めに遭いました。 SDAの教会では再婚者の挙式はしないのか とか 相手が先に亡くなった場合は再婚してもよいのか とか 牧師が再婚したら辞めないといけないのか とか 相手が未信者だったら構わないのではないか とか いろいろ。 質問に答えながら気づいたのが (答えきれないものもありましたが) SDAって、意外な部分でカトリックと同じ立場をとっていて、 この、結婚ということに関しても、かなり似ているということでした。 カトリックでは、離婚は、基本的に認められていません。 SDAでも、再婚がNGだというのではなく、 離婚そのものが神の御心ではないという考えです。 ただ、まぁ、百歩譲って離婚はやむを得ないとしても、 はい、次行ってみよ〜ぉ!ということで ほいほいと再婚をするというのは、 あり得ないという立場です。 ところが、プロテスタントの他の教派は、そうではないんですね。 離婚は、まぁ、仕方がない。 世の中の流れも、そうなっていることだし。 従来の結婚の形にあまり捕われない方が良い。