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A社の企業姿勢

最近、通販最大手A社の商売が雑だなぁと思います。 私は同社が提供している速達便がいつでも使えるP会員ですが、ここ2回ほど、WEB上でも、注文後の確認メールでも、この日に届くと表示された期日までに届かないことがありました。 それなのに何の説明もないんです。商品の到着が遅れますという連絡のメールすらもないんです。 ひどい時は当初の予定よりも3日も遅れたことがありました。ですが、まるでもともとそうであったかのように、そしてそれがまるで当たり前であるかのように、当初表示されていたのとは違う到着日が表示されたメールが届いて、それでおしまい。 それに対してクレームをつけることがなければ、何事もなかったかのように処理されて終わるのです。 遅れるのは仕方がありません。約束を守れないのも、まぁ、私だってそういうことばかりですから、理解できます。ただ、その時に必要なのは、お詫びだったり、釈明だったりするのではないでしょうか。 それが一切無いことに関する違和感は、ハンパないです。 ちなみに、カスタマーサービスに電話をしてみましたが、機械と話しているのではないかと錯覚するほど詫びの言葉を繰り返し、500円のクーポンやP会員の有効期間の延長を提供することによって黙らせようとします。そうしたことがすぐに提示されるので、マニュアルの中にあるのでしょう。 ですが、そんなものは要りません。ただ、事前の説明がほしいだけなんです。 というのは、顧客というものは、商品の質や価格もそうですが、特に通販の場合は、いつ手に入るのかということを考えて注文するものだからです。 例えば、10月15日に使いたい商品があるとします。A社のサイトを見ると、10月14日までに届くと表示されている商品があったので、それだったら前日に商品の確認をした上で15日に使えるなと思って注文をします。 本当はそれではなくて他のメーカーのものが欲しかったりしますが、14日までに届くとされているのがその商品だけなので、買い物に行く時間も割愛できるし、それでいいやと思って注文するわけです。 ところが、10月14日の夜になって受け取ったのが、商品ではなく「先程発送しました、到着は10月15日の予定です」というメール。 えー、だったら、多少値段が高くなったとしても、昼間のうちに近くの店に行って買っ

確信犯の意味

「確信犯」という語の意味をご存知でしょうか? 私はこれまで、確信犯とは、自分がしていることが 悪いことである と判っていながら犯行に及ぶ人のことを指すとばかり思っていました。 ところが、違うんだそうですね。 確信犯とは、自分がしていることが 正しいことである との確信のもとに行動を起こす人のこと(そしてそれが結果として犯罪である人のこと)を指すのだそうです。 ところがところが、辞書を引いてみると、次のようにあります。 かくしん‐はん【確信犯】   1 道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。 2 《1から転じて》悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為。また、その行為を行った人。「違法コピーを行っている大多数の利用者が―だといえる」 [補説]「時間を聞きちがえて遅れたと言っているが、あれは確信犯だよね」などのように、犯罪ほど重大な行為でない場合にも用いる。2の意はもともと誤用とされていたが、文化庁が発表した平成14年度「国語に関する世論調査」では、1の意で用いると回答した人は16.4パーセント、2の意で用いると回答した人は57.6パーセントという結果が出た。 (goo辞書  http://dictionary.goo.ne.jp/jn/38874/meaning/m0u/ より) つまり、元々の意味は、自分がしていることが正しいことであるとの確信のもとになされる犯罪のことであったにも関わらず、誤用とされている意味と理解していた人が大半を占めたため、辞書上でもそれを載せざるを得なくなったということなんですね。 「全然」は「全然かなわない」など本来は否定形と一緒に使うのが正しいが、最近は「全然大丈夫」など肯定形と一緒に使うことが増えたため、辞書上でも、両方の用法がアリだとせざるを得ない状況があるのと同じだということですね(でも、さらに遡ると、元来「全然」は肯定形と一緒に使われていて、誤用とされていた否定形と合わせて使う形が一般に広まっていたため、やがてはそれが正しい用法であるとされるようになったと聞いたことがあります)。 言葉ひとつをとっても、何が絶対的に正しいということは言えないというのが、面白いところだなと思います。

パラグアイ出張記(街中ぶらぶら編)

そんなにたくさん「ぶらぶら」したわけではないのですが、仕事の合間にちょっと散歩をしたときに目に留まったものを少しご紹介します。 まずは、これ。ラパチョの花。 例年8月中旬以降にならないと咲かないとのことだったのですが、気候変動の影響もあってか、今年は7月下旬から咲いていました。 桃の花のような雰囲気で、濃いピンクの花が、ポッポッと枝に付いている感じがとても和みます。そして、パラグアイの青い空によく映えます。 このラパチョが街のあちこちに植わっていて、春の到来を告げてくれます。 なお、ラパチョには黄色と白もあるとのことで、地元の方に伺うと、黄色が一番好きだという意見が一番多かったように思います。 こちらは、路駐の様子です。一方通行の道の両側にずらっと車が駐められています。 夜や週末になるとこの列はなくなるので、基本的には仕事などの用事のために駐めている人が多いのだとは思うのですが、これだけの車が路駐すると、当然のことながら交差点の見通しが悪くなりますし、交通の流れも悪くなります。 明らかに路駐が原因で渋滞している場面にもしばしば出くわしますので、少しくらい取り締まらないのかなと思ったりもしますが、これが彼らの文化なのでしょうから、まぁ、良しとしましょう。 こちらは、建設中のビルです。 よく見ると、上層階までレンガが積み上げられています。でも、地震が来たら、ものすごい崩れ方をするだろうなと思いますし、倒壊しなかったとしても、上の方からレンガが降ってくるだろうなとも思いますので、あまり賛成できません。 パラグアイはこれまでに大きな地震が、ほぼ全く起きたことのない場所なのだそうです。まぁ、そうでもなければ、こんな建て方はしないですよね。 こちらの建物は、何階建てになるかは判りませんが、この工法にご注目、です。 ネパールで見たのと全く同じ建て方です(ネパールの場合は、支え棒が木や竹でしたが、パラグアイは金属製ですね)。 どういう建て方かと言いますと、最初に柱を作り、その後、たくさんの支え棒を立てながら天井を作ります。最後に壁を作って(恐らくその段階で梁を渡して)、天井の支えができたら支え棒を抜くというシンプルなものです。 ネパールでもそうでしたが、この工法で建てられた建物は、もし地震が来て壁が

パラグアイ出張記(現地までの移動編)

10日間ほど、パラグアイに出張に行って来ました。 長い旅行でした。一つの場所に移動するのにこんなに時間がかかったのは初めてのことでした。家を出てからホテルに着くまでが約40時間。 今回はリオでのオリンピックの影響もあり、アメリカ経由便が満席だったため、ドバイ経由の便を選択しました。そう、日本から見たら「地球の裏側」ですので、どっち周りで行ってもそんなに大差無いんですね。 時間枠で考えたらアメリカもある意味地球の裏側ですが、そこは同じ北半球。北極圏を通って移動すればそこまで時間を要するものではありません。ですので、やはり南半球に行くというのは遠いなぁと、地球の大きさを実感しました。 もし日本からダイレクトに飛ぶことができたら、25時間前後なのではないかと思います。地球半周で約2万キロ、旅客機の速度が時速900km前後ですので。それができたとしたら、全員エコノミークラス症候群かもしれませんね。しかし飛行機の性能上そうはいきませんので、少なくとも1回はどこかで乗り継ぐ必要があります。さらにパラグアイに行くためにはサンパウロでのトランジットが必要になりますので、トランジットは2回。それで40時間かかってしまうわけです。 今回の移動は以下のような時間でした。すべて日本時間で書きます。 1日目 20:00 自宅発、空港へ 2日目 00;30 羽田発(エミレーツ機) 11:15 ドバイ着 13:35 ドバイ発(エミレーツ機) 3日目 04:30 サンパウロ着 10:30 サンパウロ発(LATAM機) 12:35 アスンシオン着 14:00 ホテル着 今回リオのオリンピック前ということで、ラッキーなこととアンラッキーなことがありました。 ラッキーだったことは、荷物がアスンシオンまでスルーせず、一度サンパウロで受け取らないといけないとチェックイン時に羽田のカウンターで言われたのですが、本来ビザがなければ入国できないブラジルに、ビザ無しで入国できたことです。6月から、オリンピック期間の特別措置中ということだったので。 これは本来チケットを購入する際に旅行会社から情報としてもらいたかったことですが、旅行会社としては荷物は最後までスルーすると思っていたらしく(現に、他のス

エチオピア航空でアディスへ

これまで、アフリカには2度行ったことがあります。 最初は2012年の南スーダン。首都のジュバと、アッパーナイル州にある2か所の事業地を訪問しました。国内の移動手段はセスナ機。アフリカにおける生活の厳しさを肌で感じた出張でした。 お次は2014年のジンバブエ。首都のハラレと、ゴクウェ・ノース地区の事業地を訪問しました。自動車でひたすら走っていた感じでした。世界一長い直線道路があったり、サバンナで野生のシマウマを見たり、スケールの大きさを感じさせられました。 そして今回、3度目のアフリカは、エチオピアでした。5泊6日の短期間でしたが、ガンベラにある事業地(難民キャンプ)も見ることができ、スタッフが現地で頑張っている姿にも触れ、とても有意義な時間を過ごすことができました。 今回エチオピアへは、エチオピア航空を使って往復しました。現在、成田からアディスアベバまでの直行便が就航しており、毎週日・火・金に飛んでいます。 成田発が21時頃。翌日の朝7時頃アディスに到着します(時差は6時間。なので飛行機に乗っている時間は約15時間です)。 途中、香港に寄るのですが、そこでは乗降客が乗り降りするだけで、アディスまで行く乗客はなぜか飛行機の中で待っていないといけません。約1時間を機内で過ごします。 成田-香港間よりも、香港-アディスのほうが、乗客は格段に多いです。 香港-アディスは9割方の席が埋まるため、オススメなのは、最初から後方の座席を指定すること。(使用機材はボーイング787。エチオピア航空は、日本の飛行機会社以外で世界で初めて787を購入した航空会社なのだとか。現在787を14機も所有しています。787の座席は3-3-3です)真中の3列の最後方などは、隣に誰も座っていない場合が結構あります。そうなると、横になれますから、随分疲れ方が違います。 私は、今回は行きの便、香港-アディス間は隣に人がいて、帰りの便はアディスから成田までずっと3列分の席に1人だったのですが、帰りの方が半分くらいの時間に感じました。 15時間のフライト中、成田→アディス便では、食事が2回出ます。あと1回は軽食。美味しくないよとスタッフから脅されていたのですが、普段あまり肉を食べない私でも普通に食べることができるレベルのものでした。チョイスはビーフかチキン。 食事時

子育てについて

私は現在3人の子どもを持つ親です。 結婚して、最初の10年間は子どもがなかったため、子どもが与えられるということについて、いろいろと考えさせられる時間があったと、今振り返ってみて、そう思います。 子どもが与えられるということ、その子をどのように育てるべきかということについて、どのように考えるべきかについては、これは、やはり、どうしても、一つの原則が必要になってくると思います。というのは、子育てについての考え方は百人百様だからです。 特に最近のニュースを見ていて、そう思います。 目を離している間に子どもがゴリラの居場所に落ちてしまい、ゴリラが射殺された話。言うことを聞かない子どもを車から降ろし、数分後に戻ったら子どもの姿が見えなくなり、捜索願を出した話。 どちらについても、ネットでは親に対する批判の嵐。さもありなんという感じです。 ただ、私は、批判をする輩に対して、一つ言いたいことがあるんです。 それは、 親の過失をあげつらって、責めるべきではない ということです。 イエス・キリストが言われた言葉で表現するなら、 罪のない者が、この女に石を投げなさい ということです。 親だって人間です。24時間子どもを監視することはできません。時には、人から見れば「行き過ぎ」と思える形の躾をすることもあります。みんな、その時その時で精一杯やっているんです。」 もちろん、これは、だから、どう育てたって構わないという意味ではありません。親には果たすべき責任があります。これに関しては、誠心誠意、果たさなければなりません。 でも同時に過失もあるんです。偶然もあるんです。意図に反して、たまたまそうなってしまったということも起き得るんです。 ネット上の批判を眺めていると、どれも、過失は赦されない、偶然はあり得ない、親は常に完璧でなければならない、というふうに読めます。 じゃぁ、そう言うアナタには、意図せずとか、思いの外とか、意外にもということは、起こり得ないんですね? と聞きたくなります。 聖書によれば、子どもは皆、本来、神様の大事な大事な子ども(聖書では「魂」という言葉で表現されています)です。神様はそれを、子どもを育てたいと願う我々不完全な人間の手に委ねてくださっているのです。本当は神様ご自身がその子を育てたほうが良いに

高速道路の最高速度引き上げについて

高速道路の最高速度が現在の時速100キロから120キロに引き上げられる方針が固まったようですね。 改めて、120キロかぁ。。。と思ってしまいます。 もちろん今の車にとっては屁でもないスピードですし、安全面についても100キロと比べてそう大きくは違わないのでしょう。 ただ、120キロ制限の区間では130キロ(場合によっては140キロ)くらい出しても取締りの対象にはならないということになります。 そうなると80キロで走っているトラックとは50~60キロ差ですからね。 いくら実勢速度(実際に車が走っているスピード)がそうだとは言っても、現在140キロで突っ走る車はほんの一握り。それが大多数という話になってくると、かなり状況が変わるのではないかと思います。 追い越し車線を走るほとんどの車が140キロ前後でぶっ飛ばしているわけです。そこへ、80キロで走るトラックを抜かそうと、90キロで走る他のトラックが(追い越し車線へ)出てくるわけです。 時速50キロから0キロに落とすのと、140キロから90キロに落とすのとでは、要する時間が違います(と思います。運動エネルギー量が違いますから)。 あー、もう、その瞬間を想像するだけでも怖い・・・。 あと、ハイブリッド車に乗っている私が気になるのは燃費。高速になると急に悪くなります。 私は、時間がある時は、クルーズコントロール機能を使って80~90キロくらいで一番左側の車線とトラックたちと一緒にノロノロ走ります。それで、我が家のVOXYで(親子5人乗車で)リッター20~22キロくらいです。 それが100キロになるとリッター19キロ前後にがくんと下がります。120キロ巡航はさせたことがありませんが、恐らく15~16キロ程度になってくるのではないでしょうか。だとすると140キロ出した時の燃費はどうなることやら。 「実際に車が走っているスピード(実勢速度)と規制速度の隔たりを解消し、取り締まりへの理解を広げることが狙いだ」というのもそもそもどうかと思います。それって、取り締まる側の都合しか考えていない発案かと。 それはさておいたとしても、でもやっぱりスピードを上げても構わないよと言うのは、地球環境を考えなければいけない時代の流れに逆行しているのではと思います。 もちろん、世界で開かれる環境会議

disる

最近、私と同年代の人間の口からも「disる(ディスる)」という言葉が聞かれるようになってきたので、その不思議な和製外国語と思しき単語が何を意味するのかを知りたいと思いました。 ネットで調べれば一発なのでしょうが、でもその前にちょっとだけ自分なりに考えてみました。 disが英語なのであれば、否定の意味になる接頭辞ですから、disだけでは何の意味も持たないわけです。 しかも、今パッと思いつくだけでも、disappear, disappoint, discount, discover, discharge, discuss, dispatch, distribute, disturb などなど、一般的な会話でも普通に使われる語がたくさんありますから、一体こうした語のうちのどれを取って「disる」などという、それを聞いただけではおよそ何を意味するのかがほぼ全く分からない使い方をするのだろうと思ってしまうわけです。 良く耳にする使い方としては、「いゃ、別にdisっているわけではないんですよ」みたいな感じでしょうか。否定的な意味合いで使われる言葉であることは想像ができます。 さて、それでは検索をしてみましょう。数あるdisで始まる単語を代表する形でdisるに使われることになった栄誉ある単語は一体何でしょうか。 あー、ありましたありました。えー! なんと、disrespect でしたっっ!! respect が尊敬するという意味で、その反対の意味ですから、尊敬しない、つまり軽蔑するという意味なのでしょうね。 何でそんなに微妙な言葉が、日本人の普段の会話に導入されるようになったのでしょうか。 あるツイートには、disrespect は米国のヒップホップミュージシャンたちが他人をけなす時に好んで用いていた表現だと説明してありました。ただし「dis」ではなく「diss」と表記していたそうなので、「disる」は厳密に言うと間違いらしいです。 いずれにしても、この表現がネット上に広まり、今ではヒップホップミュージックファン以外の人たちの間でも使われるようになってきたということでした。 なるほど、経緯を見れば、そういうことなのかーと思いはするものの、でも経緯を知らなければその意味は分からないままです。和製

エニーウェアセンサーライト

暗くなってからの帰宅時のために玄関先にセンサーライトを付けているのですが、単一電池を3本使うタイプなのがあまり気に入っていなかったことと、センサーの調子が悪くなってしまったのとで、新調しました。 今日コストコで買ってきたセンサーライト。 エニーウェアセンサーライト(Anywhere Sensor Light)。 とある通販サイトでは3,000円以上していますが、コストコでは2,480円♪ http://item.rakuten.co.jp/nnmart/10005501/ 付属の金属板を壁などにネジ留めして、ライトに付いているマグネットで固定するか、やはり付属の三脚を使って固定するか(或いはランタン的に使うために三脚を立てて使うか)、設置方法の自由度が高いのが良いと思いました。 ちなみに、我が家では、金属板ネジ留め+マグネットで設置してみました。電池交換の時や台風の時などに、取り外しが簡単なほうが良いかと思いまして。 完全防水ではないということですが、ある程度の防水効果があるので、屋根の下などであれば屋外に設置しても全く問題なさそうです。 使用電源については単三型電池3本。アルカリ指定ですが、エネループでも問題なく使えています。 センサーの感度は良好。オートモードにしておいて、昼間明るい時に間違って点灯してしまうこともありません。 照射範囲も適切ですし、何より手軽なので、もう少し買い足して、あちこち設置したい感じです。 ちなみに、付属の三脚のネジは、一般的なカメラの三脚と同じものなので、コンパクトカメラの三脚として使うことも十分に可能です。我が家ではすでにGorilla Pod を愛用していますが、それが一気に2つ増えた感じ、ちょっとラッキー。 耐用性については、覚えていたらまた改めてレポートします。

『教会は何を求められたのか』いのちのことば社

職場の同僚から借りた本というか冊子。 大塚史明、大友幸証『教会は何を求められたのか~宮城・岩手での取り組み』(東京基督教大学国際宣教センター編、いのちのことば社、2014年) 東日本大震災の後、「3.11いわて」と「ホープみやぎ」というキリスト教会のネットワークが岩手県と宮城県でそれぞれどのような奉仕活動を展開してきたかを紹介しつつ、牧師の視点から、伝道と地域奉仕の関連について考察した講演集です。 異なる場所で活動した2人の牧師たちが声を揃えて言っていると思ったことは、まず、教会は地域奉仕という視点を失っていたが、震災をきっかけにその大切さについての目が開かれたということです。自分たちが礼拝をするために教会に集まり、よかったら来てくださいと誘いはするものの、自分たちから出て行って何かをすることがなかったということです。 「支援活動の際、ボランティアが『教会から来ました』、『私はクリスチャンです』と言うと、それを聞いた三陸の人たちからは、『生まれて初めてクリスチャンに会った』という反応をもらうことが少なくありません。それほど、三陸や地方においては、寺や神社の存在は圧倒的なのです。  たとえば、被災後すぐに避難所となって何日間も着の身着のままの避難者を迎えて介抱したのは地域のお寺であり、神社でした。火葬すらできない遺体を引き取って土葬し、遺族を慰めたのは僧侶たちでした。地方において、寺社の存在は絶大です。  それとは対照的なのが、教会の存在感の薄さです。震災直後、すぐ教会を思い出して避難者が駆け込んで来たり、他宗教の遺族から死者の弔いを頼まれたりすることはありませんでした。言ってしまえば、教会には地域からの信頼がなかったのです。『いったい教会が自分たちに何をしてくれるのか』、『何をしているところなのか』、『そもそもその地域に教会があったのか!』ということさえ認識されてこなかったと言ってよい現実がありました。  私たち教会は神を礼拝することや教会行事、伝道の対象として人々を誘うことについては熱心でも、普段からその地域に住む人々を見て、つき合い、仕えてこなかったことに気づき、その生き方を変えなければいけないと思いました。教会が、外にいる人々の必要を知る間柄に乏しく、対話もままならなかったために、地域においては異質な空間になっていたことは否めません。それ

遺贈寄付について

外務省主催のシンポジウムに行ってきました。 お題は、遺贈寄付と国際協力NGOについて考えるというもの。 遺贈寄付とは、自分の遺産を相続する代わりに、非営利団体などに寄付をするというもので、基本的には信託銀行を通して遺言書の作成などの手続きをするようになっています。 これが日本ではまだまだ一般的と言えるものではないのですが、特に日本国内で公益法人格を取得して活動しているNGOが先駆けて、支援者の方々に遺贈寄付をお願いすることをしていて、その事例報告と今後に向けての提言を行なうというシンポジウムでした。 ADRA Japan としても、遺贈寄付のお願いをしていきたいとは思っているのですが、なかなかそのための労力を割くところまでいかず、どうやったら始めることができるかと思案している段階です。 今日のシンポジウムでは、まず、公益法人協会の理事長の方が、現在、公益信託制度に関する法律が抜本的に改革される段階に入ってきていることをご紹介くださり、現在は基本的に信託銀行が受託者になることになっているものが、今後規制が緩和され、公益法人や認定NPO法人なども公益法人の受託者になることができる見込みがあることを教えてくださいました。 ADRA Japan も現在認定NPO法人になるステップを踏んでいる最中ですので、今後、ADRA Japan 自身が公益法人の受託者になり、支援者の皆さんに対して、遺産で基金を設立しませんか?といった働きかけをすることが、これまで以上に積極的にできるようになるという可能性が出てくるというわけです。これは耳より情報だったと思います。 それから、遺贈寄付に関して、日本のNGOを対象に行った調査の報告もありました。日本ではまだ遺贈寄付をしてくださる方の数が非常に少ないということや、比較的相続財産の寄付をしてくださる率が高いことなどが報告されていました。 最後は、遺贈寄付のお願いを積極的に行っている団体の役員や、弁護士、コンサルの方などをパネラーとするパネルディスカッションがありました。モデレーターの方が非常に上手に進められたので、もう少し聞きたいなと思っているところをたくさん聞くことができました。 特に心に残ったのは、遺贈寄付をお願いするということは、早く死んでくださいと言わんばかりのお願いになってしまう気がして、あまり積極

耳の機能について

年末、インフルエンザのA型を発症し、全治10日間というところだったのですが、今回は子どもたちが幼稚園からもらってきたインフルエンザB型を見事に受け継ぐこととなり、先週は1週間自宅で過ごしました。 B型には症状がいろいろあるようですが、今回の私の場合は熱は高くても39度で、咳も鼻水もA型の時ほどではなく、胃腸の調子が悪くなるわけでもなく、なんとなく身体がインフルエンザっぽいゾクゾク感を覚えていたくらいのことで、結局医者で処方してもらったタミフルを飲むこともなく、1週間でまた元通りの身体に戻ることができました。 が、今回は、どうやらウイルスが耳に回ってしまったようで、インフルエンザを発症した2日後に、小学生以来の中耳炎になってしまいました。 自宅で仕事をしていたので、スカイプで会議をしていたのですが、書記を担当したこともあり、話の内容を聞き漏らすまいとして音量を高めに設定していたのも良くなかったのだと思います。約2時間の会議が終わった後、イヤホンを突っ込んでいたほうの左耳に違和感が出始め、そのまま炎症を起こしてしまいました。 いやぁ、痛かったのなんの。 小学生のころの自分が、痛くてグズグズ泣いていたのも理解できる気がしました。 そして、耳鼻科に行って、医者から「これは痛かったですね」と言ってもらって、一気に救われた気がしたという・・・。あぁ、ここに分かってくれる人がいた!みたいな。 そんなこんなでここ10日ほど、片耳が不自由な生活を送っているのですが、その中で耳が2つあることの意味を感じさせられています。 一番大きな気づきだなと思っていることは、必要な情報のみを得るために、耳はいつも「聞き捨て」あるいは「聞き流し」の作業をしているということです。 というのは、片方の耳からしか情報が入ってこないことにより、急に音の選別が難しくなるのを感じたからです。 片耳でも音の強弱はもちろん、ある程度の方向も分かります。ところが、周囲の雑音が大きくなればなるほど、一番聞きたい相手の声を聞きとることが難しいのです。例えば走行中の自動車の中やショッピングモールなどでは、耳元で話してもらわないと、自分に話しかけられていることすら判りません。 これは、つまり、耳は両方聞こえていることによってはじめて必要な情報とそうでないものを選別することができるとい

スムースエッグ マイクロホイップ

コストコで安売りをしていたもので、買ってきてみました。 (画像は ソフト99社 HPから拝借) スムースエッグ マイクロホイップ 確か、4本入りで1,980円だった、ハズ。 軽く洗車をした後、まだ濡れているうちにスプレーをするタイプのコーティング剤もまだたっぷり残っているんですけどね。 水で洗わなくても、泡で洗えてしまうという手軽さに惹かれ。 特に冬の寒いときは良いかなぁと思いまして。 ボディがある程度汚れている時は軽く洗ってから使うようにという指示があるものの、どの程度の汚れだと洗ってからのほうが良いかという判断もつかず、とりあえずそのまま使ってみることに。 まぁまぁ水あかが目立つくらいの汚れ方だったので、多分、規定量(ゴルフボール1個程度の泡で50平方センチをカバーできると書いてあります)よりも多めに使ったんだと思います。 ボトル1本で中型車3台分と書いてあるけど、VOXYを1台拭いたらボトル内の残量はおそらく3分の1程度かと。 まぁ、でも、1本500円だから、400円の水洗い洗車と同じくらいということで。 ボディは結構ツルツルになりました。 そして、その後2回雨が降りましたが、コーティング効果は確かなものですね。これまでに比べて水あかの残り具合が全然違います。ツルツルのまんまです。 これは、なかなか良い製品♪ 唯一残念なのは、洗車後に使うスプレータイプのものと違って、窓ガラスには使えないところです。 この手軽さだったら、ついでに窓もコーティングできちゃうとさらに良いと思いますが。 まぁ、でも贅沢を言わずに、窓は窓で処理をすることにしましょう。

インフルエンザ

年末、約20年ぶりにインフルエンザに罹りました。 前回罹ったのは牧師2年目が終わろうとする春先、青年たちの海外奉仕活動の引率としてスリランカに出かける直前のことでした。高熱でどうしようもなくなっていたところへ先輩牧師が現れ、私を病院に連れて行き、予定を1週間遅らせる措置をとってくれました。結婚前の独身の私には、一人でどうすることもできなかったので、非常にありがたかったのを覚えています。 それ以来、予防接種をすることもなく、しかしインフルエンザに罹ることもなかったのですが、昨年末はしっかり捕まってしまいました。 11月末、ネパールに出張に出かける日に39度の熱を出してしまったのですが、休むわけにもいかず、そしてこの時は体の感覚からしてインフルエンザではないだろうなという確信めいたものがあったので、頑張って出かけました。 約半日かけての移動中に、熱が完全に上がり切り、翌日にはかなり楽になっていたので、葛根湯を飲みながら約10日間の出張を乗り切りました。 かなり改善していたものの、帰りにタイに1泊したことで、ネパールとの気温差と、きつめの冷房とでまたしても風邪をひいてしまいました。 風邪をひくことを英語でCatch Cold (風邪を捕まえる)と表現しますが、まさにそんな感じで、自分からわざわざ捕まえに行ってしまったという気分でした。 その風邪が日本に帰ってからもなかなか治らず、ずっと37~38度台の熱があり、しかし38度では仕事を休む理由にはならないと思って、週末もほとんど休みなく働き続けた結果、ついに今度はインフルエンザを捕まえることになってしまいました。 天皇誕生日くらいから熱が高くなり始め、咳が出始め、そして急に仕事をする気持ちが失せてきました。翌日の朝、起きたくないと思った時は、もしかして自分は鬱になってしまったのだろうかとも思いました。本当にやる気が起きなかったので。 さらには食欲が減退し、いよいよおかしいなと思いましたので、熱が上がったらインフルエンザかもしれないと考え、一晩様子を見ることにしました。 するとその日の夜中に40度近くの熱が出たため、翌日病院に行ってみたところ(インフルエンザの検査はたいていどこのクリニックでもしてくれるようです。でも一応「自分の住んでいる地域名、インフルエンザ、検査」というキーワードで検