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エチオピア航空でアディスへ

これまで、アフリカには2度行ったことがあります。 最初は2012年の南スーダン。首都のジュバと、アッパーナイル州にある2か所の事業地を訪問しました。国内の移動手段はセスナ機。アフリカにおける生活の厳しさを肌で感じた出張でした。 お次は2014年のジンバブエ。首都のハラレと、ゴクウェ・ノース地区の事業地を訪問しました。自動車でひたすら走っていた感じでした。世界一長い直線道路があったり、サバンナで野生のシマウマを見たり、スケールの大きさを感じさせられました。 そして今回、3度目のアフリカは、エチオピアでした。5泊6日の短期間でしたが、ガンベラにある事業地(難民キャンプ)も見ることができ、スタッフが現地で頑張っている姿にも触れ、とても有意義な時間を過ごすことができました。 今回エチオピアへは、エチオピア航空を使って往復しました。現在、成田からアディスアベバまでの直行便が就航しており、毎週日・火・金に飛んでいます。 成田発が21時頃。翌日の朝7時頃アディスに到着します(時差は6時間。なので飛行機に乗っている時間は約15時間です)。 途中、香港に寄るのですが、そこでは乗降客が乗り降りするだけで、アディスまで行く乗客はなぜか飛行機の中で待っていないといけません。約1時間を機内で過ごします。 成田-香港間よりも、香港-アディスのほうが、乗客は格段に多いです。 香港-アディスは9割方の席が埋まるため、オススメなのは、最初から後方の座席を指定すること。(使用機材はボーイング787。エチオピア航空は、日本の飛行機会社以外で世界で初めて787を購入した航空会社なのだとか。現在787を14機も所有しています。787の座席は3-3-3です)真中の3列の最後方などは、隣に誰も座っていない場合が結構あります。そうなると、横になれますから、随分疲れ方が違います。 私は、今回は行きの便、香港-アディス間は隣に人がいて、帰りの便はアディスから成田までずっと3列分の席に1人だったのですが、帰りの方が半分くらいの時間に感じました。 15時間のフライト中、成田→アディス便では、食事が2回出ます。あと1回は軽食。美味しくないよとスタッフから脅されていたのですが、普段あまり肉を食べない私でも普通に食べることができるレベルのものでした。チョイスはビーフかチキン。 食事時

子育てについて

私は現在3人の子どもを持つ親です。 結婚して、最初の10年間は子どもがなかったため、子どもが与えられるということについて、いろいろと考えさせられる時間があったと、今振り返ってみて、そう思います。 子どもが与えられるということ、その子をどのように育てるべきかということについて、どのように考えるべきかについては、これは、やはり、どうしても、一つの原則が必要になってくると思います。というのは、子育てについての考え方は百人百様だからです。 特に最近のニュースを見ていて、そう思います。 目を離している間に子どもがゴリラの居場所に落ちてしまい、ゴリラが射殺された話。言うことを聞かない子どもを車から降ろし、数分後に戻ったら子どもの姿が見えなくなり、捜索願を出した話。 どちらについても、ネットでは親に対する批判の嵐。さもありなんという感じです。 ただ、私は、批判をする輩に対して、一つ言いたいことがあるんです。 それは、 親の過失をあげつらって、責めるべきではない ということです。 イエス・キリストが言われた言葉で表現するなら、 罪のない者が、この女に石を投げなさい ということです。 親だって人間です。24時間子どもを監視することはできません。時には、人から見れば「行き過ぎ」と思える形の躾をすることもあります。みんな、その時その時で精一杯やっているんです。」 もちろん、これは、だから、どう育てたって構わないという意味ではありません。親には果たすべき責任があります。これに関しては、誠心誠意、果たさなければなりません。 でも同時に過失もあるんです。偶然もあるんです。意図に反して、たまたまそうなってしまったということも起き得るんです。 ネット上の批判を眺めていると、どれも、過失は赦されない、偶然はあり得ない、親は常に完璧でなければならない、というふうに読めます。 じゃぁ、そう言うアナタには、意図せずとか、思いの外とか、意外にもということは、起こり得ないんですね? と聞きたくなります。 聖書によれば、子どもは皆、本来、神様の大事な大事な子ども(聖書では「魂」という言葉で表現されています)です。神様はそれを、子どもを育てたいと願う我々不完全な人間の手に委ねてくださっているのです。本当は神様ご自身がその子を育てたほうが良いに