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ネパールでのプロジェクト

本日より約2週間にわたり、ネパールで、 口唇口蓋裂の患者さんに対して 無償の手術を提供するプロジェクトが行われます。 うらしぶちょうも、約3週間の予定で ネパール入りしました。 日本からは、ADRA Japan のスタッフを含めて 約40名の医療チームが派遣されています。 お医者さん、看護師さん、薬剤師さん、 臨床工学技士さんやその他ボランティアさん などによって構成されているチームです。 土曜日の夕方成田を発ち、 タイのバンコクで一泊。 翌日曜日にネパールに向かいました。 カトマンズ空港というのは 世界的に離着陸の難しい空港らしく、 「よく」飛行機がクラッシュしているよ などと不謹慎なことを、 ADRA ネパールの支部長が 笑顔で話してくれました。 ヾ(゚Д゚ )ォィォィ が、それでも、無事に着きました。 ただ、天候がすぐれず、 着陸のタイミングを見計らいつつ 上空で1時間近く旋回していました。 機内ではアナウンスされなかったのですが、 空港で待っていてくれた先発隊スタッフには、 もしかしたら、タイに戻されるかもとか、 インドに降ろされるかもとか、 いろいろな噂が聞こえていたようで、 気が気ではなかったとのことです。 そして、なんと、 我々が乗っていた飛行機の前の便までは 実際に着陸を断念し、 タイに戻ったかインドに行かされたかは 分からないのですが、とにかく どこかに行ってしまったそうです。 それを知ったボランティアさんの一人が、 我々の乗った飛行機が無事に着陸できますように と祈ってくださったそうなのですが、 その瞬間、晴れ間が見えて、 飛行機が無事に着陸できたというのです。 後でその話を聞かされ、 神様のお導きを感謝しつつ、 プロジェクトを始めることができました。 なお、証拠写真が写っている ADRA Japan のブログ を是非ご覧ください。 神様がその隙間をあけてくださったとしか 思えないような見事な晴れ間が写っています。

ワシントンDCの渋滞

泊まっているホテルから ワークショップの会場まで 歩いて行く途中、 陸橋が架かっています。 下を走る道路は、 キャピタルベルトウェイという 環状道路です。 ただ、この道路、 片側3〜4車線もあるのに、 朝と夕方、渋滞するんです。 ←クリックで拡大します。 なんとなく、アメリカは、 渋滞までスケールが大きい気がします。 ところが、次の瞬間、 人間としてのスケールの小ささ(?)を 感じさせられる場面に遭遇しました。 ←クリックで拡大します。 こら!路肩を走るんじゃない!! ヽ(`Д´)ノ コラー! さすがにこの渋滞だと、 特に先を急いでいる人は、 路肩を走る誘惑に駆られても ある意味、仕方が無い… ということにしておきましょうかね。 それにしても、 渋滞時に路肩を走るなんて、 何ともアメリカ人らしくないというか、 そんな、日本人がするようなことを しなくてもいいのにと思ってしまいますが、 渋滞が嫌だと思うのは 万国共通だということで、 本日の結論としたいと思います。 (もっとも、 路肩を走る車を運転しているのは 在米日本人かも知れませんけどね)

世界総会ふたたび

昨年に引き続き、 SDAの世界総会 に来ています。 が、立場がちょっと違います。 昨年は、世界総会理事として来ましたが、 今年は、ADRA Japan 支部長として来ました。 いゃ、実は、この2つの立場の違いは とても大きいんです。 まず、空港には 誰も迎えに来てくれませんでした。 (T_T) まぁ、一般的に考えて、 そのほうが、「通常」なんですよね。 お抱え運転手が来てくれるということのほうが 「異常」 「特別」なことなんです。 それだけ、世界総会理事が 優遇されているということに 今頃気づいてみました。 ADRA Japan の支部長とは 兼任できないだろうということで 辞退したわけですが、 ちょっと悔やんでみたりして…。 ^^; で、どうしたかって、シャトルと呼ばれる 乗合タクシーを使ってホテルまで来ました。 (今回乗ったのは、 Super Shuttle ) 1時間くらいの距離で、35ドル。 タクシーだと渋滞の時間帯では 100ドル近くかかることもあるというので、 かなり割安です。 それでも 自分の泊まるホテルの前まで来てくれるので、 今回は時差ボケも手伝って 完全に眠りこけてしまったのですが、 それでも乗り過ごすことがないので安心です。 (他の乗客が起こしてくれました) それから、2つの立場の違いの第二ですが、 作ってもらうIDカードの質が違いました。 去年は、ラミネート加工されていたのに、 今年は、厚紙むき出しです。 さらに、 ホテル〜会場間、 去年は、バスで往復だったのに、 今年は、徒歩です。 ADRA は、サバイバーなわけです。 で、今回は、約2週間ここに留まり、 ADRA の部長クラスの立場になった人たちが マネジメントの勉強をしているんです。 4月に比べて、すこ〜しですが、 英語になれてきたうらしぶちょう。 今回は、たどたどしい英語で 質問したりなんかしてしまっています。 ヮ(゚д゚)ォ! 慣れって、恐ろしい。 いゃいゃ、神様のお恵みです。 そして、去年と一番違うのは、 仕事として扱う内容です。 処理しなきゃいけないメールの件数が 下手するとゼロが1つ分くらい違います。 去年は、教会の牧師

震災から7ヶ月

東日本大震災から7ヶ月。 これまでの歩みを振り返って、 宮城県山元町の社会福祉協議会が運営する ボランティアセンターが 動画を作成しました。 ADRA Japan の事業部長や 東北事務所のスタッフも 顔を出しています。 お時間があったら、どうぞ。

紀伊半島の水害

約1ヶ月前の台風12号による 紀伊半島の水害ですが、 ADRA Japan のスタッフが 現地を視察してきました。 現地の人たちが「山津波」と呼ぶくらい 水が引いた後の状況は 津波のそれと全く変わらなかったとのこと。 水がどのくらいの高さまで来ていたかが分かるのが、 次の動画です。 水が引いた後の状況を撮影したものと見比べると どのくらいの水かさがあったかが、さらによく分かります。 そして、道路を車で走ってみた時の様子。 ※なお、これらの動画は、  ADRA Japan スタッフが撮影したものではありません。 被災地では、とにかく人手が足りないそうです。 地元の ボランティアセンター では、 毎日ボランティアを募集しています。 被災地に足を運んでくださる方がおられましたら、 是非、お願いします。 ぺこ <(_ _)>

ラジオ放送

ラジオ放送「光とともに」の 収録をしました。 ADRA Japan の支部長も月に1回、 2分半のお話をすることになっていて 前任者からそのまま 引き継ぐことになりました。 たったの2分半です。 原稿用紙2枚分の原稿です。 でも、電波に乗ったり、 インターネットでいつでも聞けたり、 電話でも聞けてしまったりするとなると ちょっと話が違うなという感じです。 身構えすぎなのかも知れませんが、 妙に肩に力が入ってしまいました。 タイトルを決めて、 原稿を書いて、 今日の午後、収録をしました。 でも、緊張しているのか、 よくつっかえます。 技師のAさんが 忍耐強く録り直しをしてくださるので、 それに甘えてしまって、 一体何回つっかえたんだろう という感じでした。 が、 とにもかくにも、何とか終わりました。 C= (-。- ) フゥー で、何も自分から 恥さらしをする必要もないのですが、 一応、お知らせしておきますね。 以下のサイトから聞くことができます。 (ただし10月以降) http://www.vopjapan.net/radio/hikari/hikari.cgi よろしかったら、どうぞ。

ベシアナお別れ会

よく考えたら、9月はまだ ブログを一度もアップしていませんでした! 全然動いていない間も 律儀にチェックしてくださった皆様、 どうもありがとうございます。 もう少し、真面目に取り組みます。 (。--)ノ ハーイ コソボの内戦で顔に大やけどを負い、 日本に何回も手術に通っていた ベシアナちゃん ですが、 今回、最後の手術を終えて 母国に帰ることになりました。 で、今夜は、ベシアナ自身が コソボの料理を皆さんにご馳走して 感謝の意を表すということで、 小さなお別れ会をしました。 ベシアナをお世話してくださった 病院の看護師さんや、 コソボの大使も来てくださって、 少ない人数ながらも 濃いメンバーが集まりました。 会のはじめに、ベシアナから 皆さんへの挨拶がありました。 今までお世話になった皆さんに対する 感謝の言葉をひと通り述べた後、 彼女は、こう言いました。 「私の顔が焼けなかったら、  こんなにステキな人たちに  会うことはできなかった。  私の顔が焼けて良かったと思っている。」 ・・・(π0π) ウルルルル じーんときてしまいました。 日本中の皆さんからの支援と 世界一と言われるお医者さんのおかげで 彼女の顔は、劇的に元に戻ってきました。 ただ、決して、何もなかったという顔ではありません。 何も知らない人が見れば、 え?この子、どうしたの? と考えてしまうレベルです。 それでも、 そして、お別れ会の挨拶の言葉とはいえども、 本人が内心、本当にそう思ってなかったら 決して口にすることのできる言葉ではない と思います。 自分の身に降りかかった惨事を 「良かった」と表現できるようになるまでには、 一体どれだけのものを 乗り越えて来ただろうかと思います。 ベシアナは、明日、コソボに帰ります。 次は、いつ日本に来られるのか 全く分かりません。 でも、きっと、 コソボと日本をつなぐ 架け橋的な存在になってくれると信じます。 これからのコソボでの生活が 充実したものになるよう、 祈るばかりです。

ケーブル局での活動紹介

ケーブルテレビ局 J:COM 制作の ボランティア紹介番組 「週刊ボランティア情報『みんなのチカラ』」で ADRA Japan の活動が紹介されました。 以下は、30分番組の 最後の10分間です。 よろしかったら、どうぞ。

うまれました

8月23日(火)午後4時過ぎ、 無事に長男が誕生いたしました。 3,900g 超の大きな子でした。 お祈りしてくださった皆様、 あたたかいお声かけをしてくださった皆様、 どうもありがとうございました。

ラオスでのADRA Japan 事業(2)

ラオスの事業について もう少しご紹介いたします。 以下の写真は 左側の密生した稲が村人作。 右側の隙間だらけの稲がADRAスタッフ作。 実は、この右側の田んぼ、 ちょっと失敗作らしいのですが、 それでも、これでいて、右側のほうが お米の収量は多いのだそうです。 田植えの時に 苗と苗の距離が近すぎると 強い穂が出ず 見た目の割には収量が上がらないとのこと。 それを実際に見せることによって 村民たちに納得してもらおうという プロジェクトの一つです。 次の写真は、 山間の傾斜地に作られている畑で、 タロイモ、大豆、バナナ、 パイナップルなどを 混ぜて植える農法を採用している場所です。 もともと、自然には 大豆だったら大豆だけが 見渡すかぎり群生しているような場所が 存在するハズがないわけで、 いろいろな植物が混ざって生えているのが 「ナチュラル」なのです。 ですから、畑の作物も なるべく自然に近い形で、 背の高いものと低いものを 交互に植えてあげたりすることによって 自然に近い形にすると 土地が痩せにくかったり 病気が入りづらかったり という利点があるのだそうです。 次の溜池の写真は、 見ての通り、溜池です。 この溜池で魚を飼い、 大きくなったら池の水を抜いて 魚を拾って自分たちで食べたり 販売したりするということでした。 次は、豚小屋です。 この写真は ADRAによって家畜の買い方が指導された後 その方法を忠実に守り、 非常にきれいな環境で 豚の飼育ができている例の一つです。 ぶーちゃんも、その子どもたちも、 なんとなく幸せそうに見えました。 このカワイイのが そのうち食料にされてしまうのかと思うと 少々いたたまれない気持ちにさせられますが。

ラオスでのADRA Japan 事業

10日間、ラオスに行ってきました。 (以下、写真はすべてクリックで拡大します) 時々行く機会のあるタイの隣の国なので、 まぁ、同じような文化なのだろうと思い、 特に下調べもせずに 出かけてしまいました。 ですから、 言葉も全く覚えないうちに 入国してしまったという次第です。 ADRA Japan の支部長やスタッフと 一緒に行ったので、 現地での会話はすべてお任せ状態。 ラオスに入国してから、 「こんにちは」=「サバーイディー」 「ありがとう」=「コプチャイ」 と言うのだということを知りました。 (^_^;) ところで、 6月に行ったハイチのことを まだ書き終わっていない気がするのですが、 そちらはそのうちにまた 触れる機会もあるかなということで、 ラオスの紹介をすることにいたします。 今回のメインの目的地は、 ラオスの北部にあるロンという地域でした。 ここにADRAの小さなオフィスがあり (ADRAラオスのメインオフィスは 首都のビエンチャンにあります) 日本人スタッフが駐在して 3年計画の農業プロジェクトを 行っています。 現在行われている農業プロジェクトには 2本の柱があり、 一つは、栽培技術改善支援 もう一つは、水資源確保支援です。 特に栽培技術支援については、 次のような状況があります。 中国資本の経営者が ラオスの農村に入って来て、 バナナやゴムの栽培をしないかと持ちかけ、 応じた人には 多額の現金収入を約束します。 ただし、その時、 文字の読めない村人たちにとって 不利な内容が書かれている契約書に サインをさせるのです。 そして、後になってから 「ここにこう書いてあるだろう!」と言って 収益のほとんどを巻きあげていくというのです。 そのような非常に卑劣なことが 行われているということで、 甘い誘いに乗らないために、 生産効率を上げることによって 充分な競争力のある経済生活を 送ることができるように、 支援活動をしているということでした。 <写真の右奥がバナナ園> 現金収入を得たいがために、 自分たちの農地を バナナやゴムの栽培地に変える農民たち。 それはそれで悪いことではありませんが、 商

携帯電話を変えました

最近、お金がないので、 そして第二子も産まれるということで、 削れる経費は削りましょうと、 この度、携帯を変えることにしました。 iPhone は便利だったんですけどね。 使用料は、それなりです。 そして、私の場合、 出張先で使えるネット接続器があると かなり便利ということで、 これまでPCに接続して使用するものを 使用していたのですが、 iPhone と併せると、毎月コンスタントに 1万円から1万5千円程度かかっていました。 これを何とか3分の1くらいに 抑えられないかということで、 いろいろ検討した結果、 こんな携帯を選択することにしました。 http://www.bmobile.ne.jp/ideos/ これを選んだ理由は、 ○データ通信(インターネット接続)料が安い   ・7ヶ月分先払いすれば月額約2千円でつなぎ放題   ・docomoの帯域を使用しているのでエリアが広い   (実際にFOMAのSIMカードが入っています) ○テザリング機能がある  (ポケットWi-Fiとして使用できる) ○IP電話が使用できる   基本料:月額500円(300円分の通話料込)   通話料:10円/30秒(S社のダブル白プランと同額)   海外でもWi-Fiが使用できる環境で通話可   (しかも何故か国内通話よりも安価)   転送やボイスメール(留守電)の利用は無料 ○SIMフリー   どこの会社のSIMカードでも受け付ける   海外で入手したプリペイドSIMカードも使用可 と、そんなところでした。 約2週間使用してみての感想ですが、 短所としては、以下のことが挙げられると思います。 △バッテリーの容量が少ない   普通に使用していると1日2回は充電します   (とりあえずの対処としてMobile Booster を携帯)   (替えのバッテリー購入も検討中) △データ通信速度が遅い   わざと300kbps固定にしてある安いプランなので   (安いがゆえの我慢のしどころです)   (ちなみに最遅プランは月額980円です)   特に電車等での移動時に通信量が落ちる気がする   You Tube 等はまず観られない   (Wi-Fiが使える場所では問題ありませ

ADRA Japan の活動

な~んか最近、 ブログを更新する余裕がなくてですね。 今日、自分でも久しぶりに このページを開きました。 そしたら、毎日律儀に チェックしてくださっている方々が・・・! ∑( ̄ロ ̄|||)なんと! 皆様のご期待に応えるためにも というほどの内容ではありませんが、 最近のADRA Japan の活動をまとめた 動画ができましたので、 ここにご紹介いたします。

ADRA Japan 報告会開催のお知らせ

アフガニスタン教育支援 活動報告会開催のお知らせ ADRA Japanは、2011年1月より アフガニスタンにおいて 教育支援を実施しています。 治安が不安定なアフガニスタンでは、 テロや爆発等のニュースばかりが取り上げられますが、 現地では教室に収まりきらないほど多くの子ども達が、 毎日勉強に励んでいます。 未来を担う子ども達が 健全な環境で勉強することができるよう、 ADRA Japanは 校舎・トイレの建設、机・椅子の供与など、 教育環境を整備しています。 このたび、ADRA Afghanistan(アフガニスタン支部)の 支部長であるVinod Nelson(ビノッド・ネルソン)氏の 来日にあわせて 報告会を開催することになりました。 アフガニスタンの現状や事業運営の課題等、 現場の声をご紹介いたしますので、 ぜひご参加ください。 ※日本語の通訳が入ります。 【日 時】2011年7月5日(火)18:00-19:30 【会 場】SDA原宿クリスチャンセンター1階 会議室 【最寄駅】東京メトロ千代田線・副都心線 明治神宮前(原宿)駅より徒歩1分、 JR 山手線原宿駅より徒歩5分 【参加費】 無料 【参加方法】 参加を希望される方は、人数の把握のため、 事前にお名前、ご所属、ご連絡先を Email(houkokukai@adrajpn.org)にて お知らせください。 ※当日参加も可能です。 【お問い合わせ先】(特活)ADRA Japan 担当:鈴木/寺脇 Email : houkokukai@adrajpn.org

ハイチの現状(5─仮設住宅)

なんだか落ち着かなくて、 ブログ、ずっと更新していませんでした。 でも、まだハイチのことを全部書ききっていないので、 もう少し続けさせてください。 ∑(=゚ω゚=;) マジ!? ハイチの震災後に 各国のアドラ支部の支援によって建設された 仮設住宅を見学に行きました。 (写真はすべてクリックで拡大します) 海沿いの砂浜の上に、 100世帯くらいでしょうか。 木造のまさに「仮設」の小屋が 所狭しと並んでいました。 すぐ近くには、発電所(多分、火力)があり、 環境的にあまり良い場所とは言えませんが、 でも、仮設住宅をあてがわれた人たちの中には、 もともと路上生活をしていたような人もいるようで 震災があって、かえって生活が向上した という人も少なくないようです。 海側は、すがすがしい感じの 景色が広がっているんですけどね。 仮設住宅には小さな窓が2つしかなく、 非常に風通しの悪い感じの建物でした。 雨がしのげるだけ良いのかも知れませんが 同じ人間の住む場所とは思えないくらい 日本の仮設住宅とは大きく違います。 これは、ソーラーパワーで充電し 暗くなると点灯するタイプの街灯です。 せっかくこういうものを配置してくれても ソーラーパネルを盗んで 売ってしまう人もいるということでした。 (この写真の街灯は大丈夫でしたが  他の場所に、実際に  パネルが外されているものがありました) そんな治安の悪い中にあっても、 ヤギの親子は、平和そのもの。 このヤギたちは、誰かが飼っているのか 単に住み着いているのか よく分かりませんでしたが・・・。

ハイチの現状(4─教育と医療)

ちょっとタイトルが大きくなってしまいましたが、 何てことはありません。 うらしぶちょうが見てきた 学校と病院のことについての レポートのみです。 ハイチのSDA大学の構内には、 もともと小学校から高校までが共存し 別々の校舎で勉強をしていたのですが、 震災で使えなくなってしまった建物が多く 仮設の教室で小学校から大学までの生徒たちが 時間帯を分けて授業をしているとのことでした。 この仮設教室は、 アメリカの学生中心のボランティアグループ 「マラナ・タ」が建ててくれたものだそうです。 きちんと数えませんでしたが、 恐らく50教室くらいあったと思います。 窓も充分に無く中も暗いですが でも机と椅子があって黒板があれば 授業はできますからね。 とりあえずでも何でも、 学校が始まるということは いいことだなと思います。 ただ、前日分にも書いたように この大学の構内には 避難生活を送っている人たちがたくさんいて 必ずしもSDAの人たちではないということで 治安の問題が心配されており、 それを理由に子どもを転校させてしまう親が たくさんいたという話を聞きました。 国連の治安維持部隊が構内に24時間駐留し 治安維持を図っていますが、 ハイチの人に言わせると 「彼らは何もしてくれないよ」 ということなので・・・。 ちなみに、この日は、 スリランカから来た兵隊さんたちが 暇そうにしていました。 大学のすぐ隣には SDAの病院がありました。 ベッド数は、70床。 これから拡大工事を予定しているとのことでした。 震災直後は、怪我人が次から次へと運び込まれ 大変な状況だったとということです。 ここは、震災で手足を失った人たちのための リハビリセンターということでした。 何の地震対策も施されていない建造物が崩壊し、 その下敷きになってしまった人が 多くいたようです。 そう考えると、耐震強度偽造問題というのは、 改めて、やはり大きな事件だったなと思います。 人の命に関わることですから。

ハイチの現状(3─避難所)

SDAの大学が一時的な避難所 ・・・になるハズでしたが 震災から1年半経った今も まだテント生活の人たちがいて、 大学の構内に住み続けています。 こういうテントや掘っ建て小屋が 数百ありました。 住人に許可を得て中を見せてもらいました。 一体どこに寝るスペースがあるのだろう という感じですが、一家族平均5名くらいだそうです。 キャンパス内に神学科の教室があり 学生さんたちがいたので、話を聞きました。 (インタビューをしているのが石井支部長です) 学生の一部は、家がなくなってしまったので 教室に寝泊まりすることが許されているとのこと。 また、多くの学生が、昨年の震災以降 両親やスポンサーが仕事を失って 授業料を支払うことができず、 単位を取り終えても卒業することができそうもない ということで途方に暮れていました。 何らかの形で支援を求めていきたいと 話していました。 そんなに苦労して4年間勉強した後、 牧師になることができるのは ほんの一握りだということでした。 それでも神学を学ぶことをやめない彼らは ある意味、本物だなと思います。 少なくとも、就職するためだけの 学びではないということになりますから。 そんな話をしている周りには かわいい子どもたちがちょこちょこ 集まってきます。 この女の子、妙に親近感が・・・と思ったら、 男の子っぽい女の子という意味で、 自分の娘と同じだ!ということに気が付きました。 女の子らしい服を着せても それでも男の子に見えてしまうというのは こういうことなんだなと 客観的に考える機会が与えられました。 でも、純粋に、カワイイですよね。 (*^-^)

ハイチの現状(2─ラジオ局)

ハイチから帰ってきた後、なかなか ブログを更新している時間がありませんで 結局そのままタイに来てしまいました。 海外出張に出ると 出先では案外時間があることが多かったりします。 ハイチのレポート続けます。 SDA大学の構内にあるラジオ局を訪問しました。 (画像クリックで拡大します) きちんとした設備が整っています。 ここではSDAの番組を24時間放送している 専門のFMチャンネルがあるとのこと。 ハイチだからこそできることなのでしょうが、 それにしても、日本の状況とはかなり違います。 ラジオ局に連れて行ってくれた ADRAスタッフと一緒にパチリ。 左から、ADRAハイチの会計担当カーロ ADRAハイチ支部長秘書のカトリーン そしてラジオ牧師の・・・え~名前忘れました。 大学生だと思うのですが、 やたらに陽気なお兄ちゃんたちが 見送ってくれました。

ハイチの安息日(動画)

無事に日本に戻りました。 ハイチのレポートは、もう少しあるので 時間を見つけて少しずつご紹介いたします。 さて、まずは、 安息日の午後に行われたコンサートの 動画、いくつかアップいたします。 コワイヤーが中心のコンサートでしたが、 そのためのセッティングをしている間に 明らかに前座的な演奏がいくつかありました。 まずは、中学生くらいの 女の子たちによる讃美歌です。 これぞハイチという感じの軽快な曲です。 そして、突然小さな女の子が つかつかと歩み出まして・・・。 女の子が歌うのに合わせて、 即興で伴奏をしてしまう ピアニストの技術にも注目です。 中学生くらいの子たちの2曲目です。 途中、ちょっと、ラップっぽい? そして、いよいよコワイヤーの登場! でも、この動画はアンコールの曲です。 後半の盛り上がりがすごいというか、面白いです。 お時間の無い方は4分30秒くらいのところから 再生してみてください。 ※音量にご注意ください。 あまりの大音量で録音計の針が振り切れたので。 そして、音が割れてしまってごめんなさい。 盛り上がりようをご覧いただけましたか? これでもって「保守的な」教会なのだそうです。 だったら「革新的な」教会は 一体どのくらいすっ飛んでいるのでしょうか。

ハイチの安息日

5月28日(土)の安息日は、 アドラハイチオフィスのすぐ近くにある 大学の構内の英語教会に出席しました。 フィリピン留学時代に出席していた AIIASの教会に似た雰囲気の教会でした。 生徒たちが手話の特別讃美をしています。 ん~、しかし、暑い中 3時間半じっと座っているのは なかなか忍耐の要ることでした。 時差ボケも手伝って、 睡魔に襲われまくりだし。 でも、地元の人たちって、 スーツをバリッと着込んでいるんですよね。 アフリカの人たちもそうだと 聞いたことがありますが、 黒人さんたちって 暑さを感じないのだろうかと思ってしまいます。 でも、そんなことはなくて、 みんな汗だくで参加しています。 こちらの人たちは 非常に保守的な信仰者だと聞きますが、 こういう服装にも表れたりするのでしょうか。 午後からは、 車で1時間くらい走ったところにある 繁華街の教会に行きました。 震災後、教会員の手で 応急処置が施された教会です。 かわいい子どもたちが 出迎えてくれました。 で、この教会で何があったのかって、 コンサートがあったんです。 コワイヤーのコンサートが。 それが、もう、すごいの何のって。。。 ちょ~盛り上がりまくりです。 どこが保守的なのか、という感じ。 iPhoneで動画を撮ったので 皆様にもお見せしたいのですが、 ちょっと今いる場所のネット回線が 遅すぎてアップロードできないので、 日本に帰ったらご紹介いたします。

ハイチの現状

昨日書いた内容に関連する写真を 数枚ご紹介いたします。 (写真はすべてクリックで拡大します) ハイチのSDA教団本部です。 なかなか素敵な建物でした。 幹線道路沿いにあるテント街。 多くの被災者は、震災1年半後の今もまだ このようなテントやバラックで暮らしています。 ハイチの地震では津波は来ませんでしたが、 建物がとにかく耐震設計ではないので もう本当にバラバラに崩れてしまっている所を よく目にします。 崩れたままの家の中で よく生活が成り立っているなと思います。 こちらが大統領ハウス。 こんな感じで崩れたままの姿が 町のど真ん中にド~ンとあります。 不気味な感じです。 国のシンボルなんだから、 一刻も早く直せばいいのに~ と思ってしまいますが、 国民の生活が第一だ!という アピールなのかな?と思ったりします。 アドラ・ハイチの倉庫です。 救援物資等は一度ここに運び込まれ、 被災者に届けられていたそうです。 大統領ハウスは崩れても、 アドラの倉庫はびくともしなかったという・・・。 まぁ、純粋に、耐震設計らしいのですが。 仮設住宅のモデルハウスです。 各地にこのような仮設住宅を 建設しているとのことでした。

宮城とハイチ

北浦での祈祷週、無事に終わりました。 皆様のお祈りに支えられたことを 実感した1週間でした。 どうもありがとうございます! 今週は、火曜日と水曜日に 被災地視察ツアーということで、 支援を考えておられる方々を 6名ほどお連れして 宮城方面に行ってきました。 ツアー参加者のうちの一人が 石巻で食事をしたことがあって、 そのお店がどうなっているのかを 見てみたいということで、 うらしぶちょうも今まで全く踏み込んだことのない 石巻市の様子を見に行きました。 被災地の様子をあちこち見て、 津波の被害のひどさを 知っているつもりでしたが、 石巻の被害状況は段違いでした。 これって、ほんと・・・? 言葉を失うばかりでした。 同行者の皆さんも、 他の場所ではパシャパシャ 写真を撮っていましたが、 石巻の惨状を目の当たりにし、 シャッターを切るのも忘れていた という感じでした。 その石巻でも、 かなり瓦礫などが片づけられてきたな という印象を受けましたが、 でも、「復興」ということになると 果たしてどのくらい先の話になるのか 皆目見当もつかないという感じです。 被災者の方々が守られるように 祈らずにはいられませんでした。 さて、宮城から帰ってきて翌日からは 1年半ほど前に大震災のあった ハイチに向かいました。 今は、ホテルの食堂でネットがつながるので テーブルを一つ占拠させてもらって PCをパカパカしています。 ハイチは、うらしぶちょうがフィリピンで行っていた スラム街の感じと似ているなと思いました。 ゴミがその辺に散乱している感じや、 ドブ臭い感じ、 そして、みんながとてもフレンドリーで 優しい感じが。 しかし、 震災後2ヶ月の宮城を見てきた その目でハイチを見ると、 震災から1年半とは思えないくらい 全くと言って良いほど、復興の気配が見えません。 大統領ハウスですら、崩れたままです。 世界各地から 支援の手が差し伸べられたハズなのですが、 一体誰がどこで活動したの? と聞きたくなるくらい 何も変わっていないのではないかと 思ってしまいます。 それなのに、住民たちが 底抜けに明るい感じがするのは 何かの勘違いなのだろうかと思います

祈祷週

明日から1週間、 北浦三育中学校の祈祷週に 行って参ります。 講師として呼んでいただいたのが、 ほぼ半年前のこと。 まだADRAの話が全然出ていなかった時に 引き受けたことなので、 立場が変わったからと言って 断ることもできませんので、 さすがに1週間抜けるのは 現在の仕事的にも大きいのですが、 喜んで行ってこようと思います。 教会の牧師業を離れて、 そろそろ2ヶ月になろうとしています。 人前で、しかも中学生の前で話すのは かなり久しぶりのことなので、 いつになく緊張しています。 皆様のお祈りの端に加えていただけたら とてもとても感謝です。 よろしくお願いいたします。 ぺこ <(_ _)>

ADRA の会議

先日タイで行われたADRA の会議の様子が ビデオにまとめられました。 これは、わざわざお金をかけて作ったとか そういうことではなくて、 ビデオ撮影や編集を勉強している青年が ボランティアで作ってくれたものです。 うらしぶちょうも、一瞬写ってます。 (´▽`) 雰囲気が分かるだけでもと思って、 ここに埋め込んでおきますね。 お暇があったら、どうぞ。 上から1~4日目の様子です。 重くなっちゃったらごめんなさい。

山元町での被害

5月4日付のYahoo!ニュースに 今、ADRA Japan が支援をしている 山元町のことが記事として掲載されていました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110504-00000006-maip-soci この記事に出てくる方のお一人には うらしぶちょうも実際にお会いしました。 とても、こんな悲しい出来事を 経験された方とは思えないくらい、 明るく働いておられました。 しかし、自分の娘が行方不明になった状態で 一体、他の子どもの面倒など みることができるだろうかと 思ってしまいました。 少なくとも自分には そんなに心の広いこと、 絶対に無理だと思います。 前に進むしかない状況だと言えば そうなのかも知れませんが、 皆さん、本当によく やっておられるなと思います。 被災地の方々のために 毎日お祈りさせていただきます。

玄米菜食のお店

つい先日のことなのですが、 原宿で、友人と食事をしようということになりました。 せっかくだから 菜食料理が食べられるところに行こう、と 詳しい人に聞いて出かけました。 HANADA ROSSO というお店です。 明治通りを、 表参道との交差点から渋谷方面に歩いて 3分くらいのところにあります。 ランチメニューで、 1,500円あれば十分に食べられる価格設定。 (ただし、しっかり噛んで食べないと お腹いっぱいになりませんが・・・。) メインディッシュ+ライスにする場合、 基本は玄米で、五分搗きも選択できます。 パンの場合は、全粒粉のパン。 動物性タンパク質はゼロなので、 お腹がもたれることはありません。 でも、玄米食なので、 腹持ちがとても良いです。 (ちなみに、うらしぶちょうは 毎日奥さんに持たせてもらっているお弁当、 玄米ご飯にしてもらっています。 動物性タンパク質はありますが。) この、HANADA ROSSO、 HPをご覧いただければわかると思いますが、 店構えも、こだわりのポイントも 非常におシャレで、 しかし、細部まで徹底していて、 玄米菜食って、こういうふうに アピールできるんだなと思います。 そして、 本来であれば、こういうことは、 私たちの教団がしなければならないこと なのだろうな、と、考えてしまいます。 菜食は、とても良いものだから 是非みんなに知ってもらいたい という姿勢と、 菜食をしていないと、神様に裁かれて 天国に行けなくなってしまったら困る という姿勢とでは、 当然、取り組み方が違ってきます。 他人に紹介する時にも、 提示の方法が全く異なることになると思います。 我々の教団の中では、長年、 上記の後者の姿勢に近いものが あったのではないかと思います。 変に宗教的戒律のような要素が絡んでしまって 全く、個人の喜びということで なされてこなかった。 結果、こだわる人は死ぬほどこだわるし どうでも良い人は、 とことんどうでも良くなる。 そのような 両極端になってしまったのかな、と。 そんな気がしています。 なお、 HANADA ROSSO 代表の花田美奈子さんは、 私財を投じてまで、 「本当の美食」

検問

夜遅く、原チャリで帰宅中、 検問中の警察官に止められました。 最近、ひったくりが多いので、 確認をしているのだと言います。 警官A: 「あれ?ナンバー、札幌なんですね?」 うらしぶちょう: 「はい、この春引っ越してきて、 まだ変更に行っていないもので。」 警官B: 「へ~、札幌かぁ、すげ~!」 って、何がすごいのか分かりませんが。。。 それから、 免許証の提示を求められ、 住所を控えられました。 警官A: 「現住所を教えてください。」 うらしぶちょう: 「○○区△△町です。」 警官A: 「漢字は、どうやって書きますか?」 あれ? この近くに住んでいるんじゃないんだ??? でも、高速のインター名になっている 地名なんですけど~。 ちょっと頼りない感じです。 警官B: 「お、これ、チョイノリですね。」 警官A: 「え?チョイノリっていうメーカーがあるの?」 うらしぶちょう: 「いえ、チョイノリは車名で メーカーは、スズキです。」 チョイノリという車名を知っておいてくれ とは言いませんが、 でも、チョイノリという バイクメーカーが無いことくらいは 知っておいてほしかった。。。 o┤*´Д`*├o アァー 警官A: 「アルコールは、大丈夫ですよね?」 うらしぶちょう: 「はい、大丈夫です。」 警官A: 「そしたら、ちょっと ハ~ッって息を吐いてもらえますか?」 と言って、うらしぶちょうの口臭を嗅ぐ警官。 (; ̄y ̄)~~クサイ、、、 改めて、警官って大変な仕事だと。 警官A: 「あ、はい、大丈夫、ですね。」 って、ホントにそんなんで アルコールチェック、大丈夫なの? という気がしないでもない。。。 警官B: 「ひったくり、気をつけるように ご家族にも言ってくださいね。 道路側の手にバッグを持たないように。 逆の手で持てば取られにくいですから。」 ご親切に、ありがとうございます。 しかし、予防策はもっと他にもある気が…。 警官A: 「はい、じゃぁ、安全運転で お願いしま~す。」 と、これでおしまいだったのですが、 一体この検問に、どれだけの意味があるのか イマイチよく分かりません。 犯人に対する牽制

情報漏洩?

つい先日、 あるホテルから 携帯に電話がかかってきました。 ホテル: ○○ホテルですが、 うらしぶちょうさんの携帯ですか? うらしぶちょう: はい、そうですが。 ホテル: 4月☓日にご宿泊予定でしたが、 お見えになりませんでしたので 確認のお電話を差し上げました。 うらしぶちょう: は? ホテル: ◇教団のA様から 4月△日にお電話をいただき、 代表者様がうらしぶちょう様で 4月☓日に7名様ご宿泊の ご予約をいただいていたもので。 うらしぶちょう: え?ちょっと待ってください! たしかに◇教団は私の勤務先で Aという者も働いてはおりますが、 私はそもそもその日に ホテルに泊まる予定など 全くありませんでしたし、 勤務先からも何の連絡もありませんので、 恐らく何かの間違いだと思います。 4月△日に Aという者から電話があった際の 着信履歴は残っていますか? ホテル: いえ、ございません。 うらしぶちょう: そうですか。。。 とにかく、こちらで 調べるだけ調べますが、 何かの間違いだと思います。 キャンセル料は発生しているのでしょうか? ホテル: いえ、それはございません。 うらしぶちょう: それを聞いて安心しました。 でも、とにかく、何かの間違いか 誰かのイタズラか何かだと思います。 申し訳ありませんが、 今回は不泊ということで、 処理をお願いします。 ということで、 とりあえず電話を切ったのですが、 いやぁ、一体何なのでしょうか!? 勤務先の事務所で そのようなアレンジをしておいて 代表者になっている自分に 何の連絡もしないということは まずあり得ないでしょう。 しかも、 海外出張から帰ってきたばかりの人間に 7人のお客さんの引率をするとか そのようなことをさせるとも 考えづらいわけです。 そして、 電話のかかってきたホテルというのが、 うらしぶちょうが昨年の秋 アメリカから帰国した際に 1泊した廉価なホテルで、 駅からもかなり歩きますから わざわざそんな場所に お客様を泊めさせるハズがないのです。 そして、昨年の秋、 そのホテルに宿泊予約をした際、 ネット上で携帯番号と勤務先を書き、 送信

最終日

約10日間のタイ滞在も 今日が最終日です。 今夜の便で帰国します。 本当は、昨日の夜の便で飛んで 今朝には帰国しているハズだったのですが、 うらしぶちょうの大間違いで 1日遅れてしまいました。 というのも、もともと支部長から、 今回のスケジュールについて 25日まで会議に参加して 26日の朝に成田に着くよと 言われていたんです。 それでスケジュール帳に書き込んだんですね。 おおざっぱに。 「~4月26日:バンコク」って。 それからしばらくして 飛行機のチケットをとることになり、 スケジュール帳を見ながら あ、4月26日までバンコクだな。 ということで、 26日の夜に飛ぶ便を予約してしまいました。 オットォ!(・o・ノ)ノ 後日、この間違いに気づいたのですが、 便の変更ができない安いチケットを取ったので キャンセル料を含めて4万円くらい 払わないといけない状況になっていました。 だったら飛行機の便を変更せずに もう1泊するほうが安いだろうということで 今日まで残ることにしたというわけです。 だから、もちろんホテル代は 自分で出そうと思っていました。 ところが! こちらに来て分かったことは、 もともと支部長に 月曜日までだと伝えられていたのは間違いで 実は火曜日までだったということなのです。 そのことをアドラアジア支部の人に言うと、 おぉ、そりゃぁ、君は良い間違いをして良かったね! 最後まで会議に出席していったらいいよ。 で、終わってしまいました。 そして、支部長に対しては 日本人は忙しいのが分かっているから、 先に帰って構わないよ、ですって。 ってゆ~か、今回の会議って、 もともと、そんなもん??? みたいな。 さすが、タイ。 ん?いゃ、タイだけど、 運営しているのがタイ人というわけではありません。 さすが、アドラ。 と言うべきでしょうか。 しかしですね、 「たかが1日」かも知れませんが、 日本人からすれば、 1日無駄に過ごすんだったら (結果としてそうはならなかったのですが) さっさと帰国して家族と一緒に過ごしたいよ! もしくは、仕事したいよ! というところですよね? まぁ、でも、パソコン持っていれば、 とりあえず

タイのタクシー

タイに来るのは約15年ぶりだと思うのですが、 一人で来るのは初めてのことです。 というか、 ADRA 支部長と一緒に来ているのですが、 フライトの時間が微妙にズレたので、 それぞれで来ることになりました。 うらしぶちょうがバンコクの空港に着いたのは 土曜日の夜10時頃。 支部長に教わった通り、 到着フロアではなく出発フロアから外に出て すぐにタクシーを拾うことができました。 メーターを立てて走ってよ!と念を押し、 行き先の住所を伝えて、 これでよし!とばかりに 後部座席でくつろいでおりました。 20分くらい走ったでしょうか。 「多分この辺だと思うんだけど~」と言われて、 え?え?こんなところだったっけ??? と思いつつ、近くに立っていた看板を見ると 確かに、住所としては合っているようです。 お金を払ってとりあえず外に出ましたが、 ん~、こんな繁華街だったっけな~ という感じです。 しばらく近くを歩き回ってみたのですが、 15年前の記憶が全然戻ってきません。 それもそのハズ、 小さなボランティアグループの一員として 準備された車に乗って来て 宿泊だけさせてもらったという それだけの場所だったんですから。 周りを歩いてみて、 あぁ、ここだって判るというほうが不思議です。 日本じゃないんですから、 住所を伝えただけで、 建物の前まで連れて来てもらえると 思っていたのがそもそもの間違いでした。 トランクを転がしながら、 支部長に電話をしてみるのですが、 つながりません。 (T-T) 時計は夜11時を回るし、 だんだん心細くなってきました。 神様助けて~!! と、久しぶりに真剣にお祈りしました。 それから、 このままではらちがあかないと思い、 もう一度タクシーを拾い直しました。 そして、目的地の近くにあると聞いていた 学校の名前を告げると、 ドライバーが道を聞き聞き、 何とか学校まで連れて行ってくれました。 そこからもう一度支部長に電話をして 今度はつながったので、 道を教えてもらいながら何とか歩いて到着。 ε=( ̄。 ̄;)フゥ 地図も何も持たずに来てしまった 自分の浅はかさを反省しました。 ヾ(_ _。)ハンセイ… そ

APLI

タイのバンコクで開かれている APLI というタイトルの ADRA の会議に出ています。 こんなすばらしい部屋で会議をやっています。 APLI というのは、 ADRA Professional Leadership Institute の略だそうで、 え~、ADRA の指導者訓練機関による トレーニングセミナーというところでしょうか。 まぁ、うらしぶちょうにとっては、 すべてが新しく学ぶことばかりで、 話題によっては何が扱われているのか 全くちんぷんかんぷんの部分もあります。 1年半ほどの留学経験も これは神学を学ぶためのものだったので、 ちょっとだけ英語ができるつもりになっていましたが、 使われる言葉自体が全然違うので、 1からのスタートという感じです。 でも、4日目に入って、 すこ~し慣れてきたかなという感じです。 オーストラリア人の訛りのある早すぎる英語も 初日は2割くらいしか分かりませんでしたが、 今日は8割くらい分かるかな~という状況です。 でも、ちょっと集中力が途切れると もう分からなくなったりしています。 (;-_-) =3 フゥ 期間中、今回の日本の大震災についても プレゼンをする時間が設けられていて、 2日目の夕方だったのですが、 うらしぶちょうも写真を見せながら 簡単に説明をするように言われて、 あり得ないくらいの緊張の中、 何とか倒れずに終わったという感じでした。 まぁ、メインの部分は 本物の支部長がしてくださったので、 本当に「前座」だけだったんですけどね。 人前で英語で話すというのは、 非常にストレスです。 でも、そんなうらしぶちょうのことを あたたかく見守ってくれる 他国のADRA の皆さんに、心から感謝!です。 それにしても、 とにかく英語ができないことが コンプレックスです。 勉強しよ~。