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7月, 2012の投稿を表示しています

大学での恋愛学

深夜のニュース番組で、最近、大学で「恋愛学」や「結婚学」という授業があるという報道がありました。東京のW大学や九州の大学の例が挙げられていました。 授業のほんの一部が紹介されていましたが、講師がこんなことを言っていました。 「100点満点の60点くらいの相手でも、とりあえずメアドを交換しておくこと!そういう相手でも、いつ大変身を遂げるか分からないから」。 えぇ、まぁ、確かにそうかも知れません。でも、それって、その先生個人の意見にすぎないと思います。というのは、私だったら、その人が大変身を遂げる可能性にかけることはしないからです。私は、60点くらいの相手とでもメアドを交換するとしたら、その隣にいる100点の人とお近づきになるためにします。そして、私がこの授業の講師だったら、そう教えると思います。 このような講義をすることの理由として、一人の講師は少子化問題の解決の一助になればと考えているとのことでした。また、他の講師は、インタビューに答えて、次のようなことを言っていました。 「恋愛ができないと言っている若者の多くは、失敗することを恐れています。ですから、恋愛学という名前の講義ではありますが、基本的には、勇気を持ってチャレンジすることの大切さを教えています」。 なるほどという感じですが、しかし、冷静に考えてみると、勇気を持ってチャレンジをすることが大切だ!などということを、わざわざ大学の講義で扱わなければならないということ自体がおかしいのではないかと思うわけです。そもそも、そんなことは、学校で教わることではありません。家庭で教えられるべきことです。 今回のニュースで採り上げられていたような恋愛学なる講義がなされる必要があるのは、結局のところ、人間関係が希薄になってしまっていることの表れなのではないかと思います。 親から、兄弟から、或いは先輩から、当然教わるべきことが、何も伝えられていない。男だったら歯を食いしばってでも頑張ってみろ!と背中を押してもらったことがない。だから、恋愛ってどうすればいいのか分からない。…となるのではないかと思うのです。 イエス・キリストが、終末時代は人々の「愛が冷える」と言っておられますが、例えば、このような形で成就しているのではないかと思わされます。 やはり、基本は家庭だなと、思います。 (おまけ)

抱っこ

来週3歳になる娘が、段々重くなって来ました。今、体重約15キロ。片手で抱えて何かの作業をするには、5分が限界です。娘を抱っこするという作業自体が筋トレ状態ですが、さらなるトレーニングの必要を感じます。 少し前まで、「抱き癖」がつくから、あんまり抱っこをしすぎないほうが良いといったことが言われていた気がします。そうではなくても、そんなに抱っこばかりして、甘やかせるのは良くないといった意見もあるかと思います。ですが、「甘やかせる」ということの定義を知って、決してそうではないと思うようになりました。 甘やかせるとは、子どもが要求をしていないそばから、親がどんどん手を出してしまうことなのだそうです。多くの場合、時間がなくて子どもが自分でするのを待てないからということで手出しをしてしまうと思います。 そうではなく、子どもがこれをしてくれと明らかに要求を出すことに対して、親がそれに応えてあげるということは、決して甘やかしではありませんし、それは愛情表現の一環として大いにすべきことなのだと、以前に幼稚園で働いている時に教わりました。 ところが多くの親は、子どもが要求していないことについてせっせと手出しをして(つまり甘やかせて)、それで世話をしているつもりになっている。さらには、子どもの要求に応えるという肝心な部分では、甘やかせてばかりではいけないなどということを言って、愛情を表現する機会を逸してしまっているのだとか。 というわけで、子どもたちからの要求があるうちは、喜んで抱っこをしてあげようと思っています。きっとそのうち、抱っこさせてくれとお願いをしても、ダメと言われてしまう日がすぐに来るでしょうし。 言葉で自分の要求や状態を伝えることができる3歳児であっても、眠かったりすると、それが十分にできず、理由もなくグズったりします。そんな時、何を言っても解決しなくても、抱っこをしてあげるだけでOKだったりする訳です。 抱っこという非常にシンプルな行動によって、自分のような親でも、子どもに対し、どれだけ言葉に表すことのできない安心感を与えてあげることができることかと思うと、なんだか嬉しくなってしまいます。これからも、要求される限りは、嫌な顔をせずに抱っこをしてあげようと思います。 ・・・と、ちょっと良い親ぶってみました。

覚悟の問題

6月は、仕事に追われる毎日で、海外出張があったわけでもないのに、いつの間にか過ぎ去ってしまいました。 その6月の下旬、国連機関主催のリスクマネジメントのセミナーに参加しました。少ない講師陣ながら、とてもよく準備されていて、大変良い学びをすることができました。 圧巻は、最終日に行われたシミュレーショントレーニング。参加者たちがバーチャル事務所を構成し、次々に起きる難事件に対応するというものです。恐ろしく細かく計算されたシナリオに基づき、電話がかかってきたりメールが届いたりするのですが、即席事務所の中の雰囲気が、どんどん余裕がなくなり、アップアップしていくのが手に取るようにわかるようでした。 特に電話をかけてくる役の人たちがすばらしく、国連機関のインターンの方々だったのですが、彼らの迫真の演技にやられました。しばらくの間対応に追われた後、参加者たちは、その日の午後ずっとため息をつきっぱなし。冗談抜きに、ちょっとしたPTSDでした。 さて、このワークショップ中で、何回もグループディスカッションがあったのですが、ADRA Japan も事業を行なっている南スーダンの例をとってリスクマネジメントについて話し合う機会がありました。 できるだけ最悪のシナリオを想定してみようということになり、国境付近の村に派遣されている日本人スタッフが、雨季に銃撃戦に巻き込まれて大怪我をしたという設定にしたのですが、その途端、あれ?これってもしかして、そのスタッフを首都或いは国外の病院に運ぶ手立てが無い?という絶望的なことに気が付きました。 そんなハズはないだろうと思い、ADRA の事務所に帰って、事業担当者に尋ねました。本当のところはどうなんですか?と。すると、いゃ、実は手立ては無いのだという衝撃的な話を聞かされました。「だって、現地の人もそうでしょう。そこはもう、覚悟の問題ですよ」と。ちょうど南スーダン駐在女性スタッフが一時帰国中だったのですが、彼女も笑顔で同じことを言いました。 (-_-;)ホントカ・・・オイ これは南スーダンに限ったことではありませんが、改めて、フィールドに派遣されるということがどういうことであるかを思い知らされる経験になりました。 もちろん、ADRA にできるリスクマネジメントをしっかりしていきたいと思いますが、でも、最終的に、私にできることは、ス