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6月, 2015の投稿を表示しています

あるブログ

3月、4月、5月と、仕事が忙しく、文字通り心に余裕がなかったこともあり、2月に再開!と思っていたブログが、すぐに止まってしまいました。 でもまた何か書こうかな〜と思うようになったのには理由がありまして、それはある人のブログに出会ったことでした。 それは、こちら。 心臓外科医はつらいよ 〜遮断鉗子のブルンジ奮闘記〜 ある心臓外科医が書いておられるブログなのですが、この方、今はアフリカのブルンジ(英語読みだとブルンディなので、最後を「ジ」と表記することに多少の抵抗を覚えながらも、でも一般的にはやはり「ブルンジ」)という国で、この国の医療の最先端を担う働きをしておられます。 本も書いておられるので、私も買いたいなと思っているのですが、やはり本を書ける人(にもピンキリあるでしょうが、しかし概して)は、筆が立ちますね〜。思わず文章に引き込まれてしまいます。あぁ、こんな文章が書けたらいいなと思うのですが、やはり、優れた文章にたくさん接しておられるであろうことと、あとは何より文才がなければ、書きたいなという気持ちだけではどうにもならないものだなと思わされます。 が、そういう私もかつて、ある先輩牧師から、浦島は「軽妙な」文章を書くと評されたことがあります。「巧妙」ではなく、あくまでも「軽妙」であって、軽さだけがウリであるわけなのですが、でもそんなふうに評価をしていただいたことの背景というか基礎には、中学2年生からの10年間、毎日ほぼ休まずに書き続けた日記の存在があると思っています。 私はあまり本を読むほうではありませんでしたが(そして今もそうですが)、書くことに関しては、4行という限られたスペースにいかに今日の出来事を収めるかを毎日考えることによって、文章をまとめる訓練は、知らず知らずのうちにさせてもらっていたということになるのかなと思います。 そんな私だからこそ、人を飽きさせることのない長い文章というものは、書いた試しもなければ書こうとも思わないものなので、本を書ける人というのは心から尊敬するわけです。 んでまぁ、憧れ半分、遮断鉗子さんのブログを読むようになりました(まだほんの数日ですが)。 そして、刺激を受けまして、やっぱり今自分が考えていることを文章に残しておくということは、大切だとか必要だとか言うのではなく、単に「イイ」ことだという、