ビジネス・セッションと呼ばれる
いわゆる事務的な会議をする前に、
まず、みんなで安息日を過ごしましょうというのが
毎回のことなのか
今回だけのことなのかは分かりませんが、
少なくとも今回は、
「リバイバルと変革」というテーマで
信仰的なことが全面に出ているのは確かなようです。
朝8時半頃講堂に入ったら
すでに祈祷会が行われていました。
司会者のリードによって
神様に対する感謝や願い事などを
それぞれが自由に言う形の祈りでしたが、
途中で突然讃美歌を歌い出す人がいて
それにみんなが同調して歌うことが何回かあり、
最初はちょっとびっくりしましたが、
あぁ、これもまた、自由な感じでいいなと思いました。
安息日学校の時間は、
数名の支部の総理がそれぞれの支部での
「ミッション・ストーリー」を紹介しました。
こちらは、我らがNSD総理の
ジェイリョン・リー先生です。
(先日のキャンプミーティングの講師です)
先生は、セブンスデー・アドベンチストの名称が
韓国に再臨メッセージが伝わる上で
大きな役割を果たしたというお話をされました。
韓国ではセブンスデー・アドベンチストを
このように訳しているそうです。
「基督復臨安息日会」
日本でも、え~と何でしたっけ、
第七日安息日基督再臨教会(多分)
という名称を使用していたことが
あったようですね。
1904年、2人の韓国人青年が
神戸経由でハワイに渡ろうとしていました。
ハワイ行きの船の出発を待ちながら
神戸に数日滞在することになりました。
ある日、神戸の街中に繰り出した2人は、
非常に長い名前の教会があるのを見つけ、
(第七日安息日基督再臨教会)
そこに入ってみることにしました。
そこには国谷秀牧師がいました。
お互いに言葉の通じない彼らは
漢字を書きながらコミュニケーションをとり、
聖書の勉強をしました。
数日後に彼らは再臨信仰を受け入れ、
バプテスマを受けました。
そのうちの1人は
ハワイに行く予定をキャンセルし、
再臨信仰を伝えるために
韓国に帰ることにしました。
韓国に戻った後、
国谷牧師を招待して講演会を開催し、
最初の講演会で71人のバプテスマがありました。
これが韓国における
SDA教会の始まりになったとのことです。
日本から韓国に伝わったということは
聞いたことがありましたが、
このような経緯があったということは
はじめて知りました。
礼拝説教者は、テッド・ウィルソン牧師でした。
やはり、セブンスデー・アドベンチストという
名称の重要性について話しておられました。
午後は、13の支部の総理が講壇に上がり、
それぞれの支部での働きについて
紹介をしていました。
そして最後は、
SDAの伝道者マーク・フィンレー牧師による
メッセージがありました。
流れるような素晴らしい英語で
どんどん話すので、
いらんは半分くらいしか分かりませんでした。
みんなが笑っている中で
一人で笑えないというのは、
本当に笑えませんね。。。
(ーー;)
いわゆる事務的な会議をする前に、
まず、みんなで安息日を過ごしましょうというのが
毎回のことなのか
今回だけのことなのかは分かりませんが、
少なくとも今回は、
「リバイバルと変革」というテーマで
信仰的なことが全面に出ているのは確かなようです。
朝8時半頃講堂に入ったら
すでに祈祷会が行われていました。
(←クリックで拡大します) |
司会者のリードによって
神様に対する感謝や願い事などを
それぞれが自由に言う形の祈りでしたが、
途中で突然讃美歌を歌い出す人がいて
それにみんなが同調して歌うことが何回かあり、
最初はちょっとびっくりしましたが、
あぁ、これもまた、自由な感じでいいなと思いました。
安息日学校の時間は、
数名の支部の総理がそれぞれの支部での
「ミッション・ストーリー」を紹介しました。
こちらは、我らがNSD総理の
ジェイリョン・リー先生です。
(先日のキャンプミーティングの講師です)
先生は、セブンスデー・アドベンチストの名称が
韓国に再臨メッセージが伝わる上で
大きな役割を果たしたというお話をされました。
韓国ではセブンスデー・アドベンチストを
このように訳しているそうです。
「基督復臨安息日会」
日本でも、え~と何でしたっけ、
第七日安息日基督再臨教会(多分)
という名称を使用していたことが
あったようですね。
1904年、2人の韓国人青年が
神戸経由でハワイに渡ろうとしていました。
ハワイ行きの船の出発を待ちながら
神戸に数日滞在することになりました。
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ある日、神戸の街中に繰り出した2人は、
非常に長い名前の教会があるのを見つけ、
(第七日安息日基督再臨教会)
そこに入ってみることにしました。
そこには国谷秀牧師がいました。
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お互いに言葉の通じない彼らは
漢字を書きながらコミュニケーションをとり、
聖書の勉強をしました。
数日後に彼らは再臨信仰を受け入れ、
バプテスマを受けました。
そのうちの1人は
ハワイに行く予定をキャンセルし、
再臨信仰を伝えるために
韓国に帰ることにしました。
韓国に戻った後、
国谷牧師を招待して講演会を開催し、
最初の講演会で71人のバプテスマがありました。
これが韓国における
SDA教会の始まりになったとのことです。
日本から韓国に伝わったということは
聞いたことがありましたが、
このような経緯があったということは
はじめて知りました。
礼拝説教者は、テッド・ウィルソン牧師でした。
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やはり、セブンスデー・アドベンチストという
名称の重要性について話しておられました。
午後は、13の支部の総理が講壇に上がり、
それぞれの支部での働きについて
紹介をしていました。
(←クリックで拡大します) |
そして最後は、
SDAの伝道者マーク・フィンレー牧師による
メッセージがありました。
(←クリックで拡大します) |
流れるような素晴らしい英語で
どんどん話すので、
いらんは半分くらいしか分かりませんでした。
みんなが笑っている中で
一人で笑えないというのは、
本当に笑えませんね。。。
(ーー;)