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8月, 2009の投稿を表示しています

勝利

教会の祈祷会で、 バプテスマのヨハネが獄中で殉教した箇所を読み、 皆さんと一緒にヨハネの気持ちについて考えていたとき、 アドベンチスト・ライフ誌2009年8月号に紹介されていた 詩のことを思い出しました。 一度、パッと読んだとき、 ん?そこまで言ってしまっていいのかな? と、ちょっとピンと来なかった部分もあったのですが、 後からよくよく考えてみたら、 すごい言葉だなと思うようになりました。 お読みになった方もおられると思いますが、 ここに転載させていただきます。 「勝利」 あなたが人に忘れられたり、 おろそかにされたり、 あるいは故意に無視されたりしても、 自分がはずかしめられたことや 見落とされたことを喜んで 心に微笑むことができる時、 それが勝利である。 あなたの良い点も非難され、 希望は妨げられ、 あなたの趣味は悪く言われ、 あなたの助言は無視され、 あなたの意見が嘲笑されても、 忍耐強く、愛の沈黙を守って、 すべてに耐える時、 それが勝利である。 あなたがどんな食物にも、 衣服にも、 気候にも、 社会にも、 どんな孤独にも、 あるいは人のどんな妨害にも甘んじる時、 それが勝利である。 あなたがどんな不調和、 不規則、また時間を守らないこと、 その他気にさわるどんなことに会っても、 忍耐ができる時、 それが勝利である。 あなたがむだ使いや愚かさ、 ぜいたくや霊的な無感覚さを見て、 イエスが忍耐なさったように、 すべてに耐えるとき、 それが勝利である。 あなたが会話の中で、 友の悪口や批評をしたくなった時、 口を閉ざすことができるならば、 それが勝利である。 あなたが会話の中で、 自分のことを話そうと思わず、 自分の善行について書いたり、 あるいは人の賞賛を求めたりすることの気持ちが全くなくなり、 あなたが世に知られない人であることを、 ほんとうに愛することができる時、 それが勝利である。 『アドベンチスト・ライフ』2009年8月号、2頁より この、最後の 「あなたが世に知られない人であることを、  ほんとうに愛することができる時、  それが勝利である。」 という部分に、グッと心を掴まれる思いがしました。 いつもどこかで、その全く逆の思いが 自分の心を占めていることに 気づかされたからです。 そして、こういう生き方って、 絶対に到達できないと思うのですが、 でも

牧師不足

苫小牧と静内の教会に行ってきました。 往復350kmくらいのドライブで、 運転の好きないらんにとっては 格好のストレス発散デーです。 今回は、神学生のSくんが同行してくれました。 行き帰りの車の中で、いろいろお話ができました。 教会内外の様々なことについて 自分なりの問題意識をもっていて、 将来有望な人材だなと思いました。 今年度、 三育学院カレッジ神学科で学んでいる学生と すでに卒業した人も含めて、6~7名程度が 牧師の採用試験に臨むだろうとのことです。 そんなにたくさんの人が 牧師になろうと思ってくれているなんて、 とてもとても久しぶりのことだと思いますし、 こんなに嬉しいことはありません。 ところが・・・!! 教団の厳しい財政状況は今も変わらず、 そういう人数を全部雇用することは難しいというのです。 まぁ、適性もあるでしょうから、 全員は無理だとしても、 もしかしたら、ほんの数名しか採用できないかも知れないとのことなのです。 あ~、もったいない! ただでも牧師の数が足りなくて、 兼牧教会の数が増えているというのに、 そして、牧師になりたいと思ってくれている人たちが こんなにたくさんいるのに、 S君のような人たちには、 どんどん現場に出てきてもらいたいと思っているのに、 充分なお金がないというだけで 採用できないのは、 本当にもったいないことだと思ってしまいます。 ( p_q)エーン いらんは、今働いている牧師たちの給料を減らしてでもいいから、 志を持って卒業してくる人たちを 雇ってもらいたい!…と、カッコイイことを言っています。 果たして、実際に牧師たちの給料も減り始めているのですが、 でも、財政がまだまだ厳しくて たくさん(というか、必要な数すらも)雇えないとは。。。 残念としか言いようがありません。 これは、もう、本当に真剣にお祈りして、 神様に助けてもらわないと、 なり手がいるのに 働いてもらうことができないという このどうしようにも、もどかしい状況を 打開することはできないかなと思います。 というわけで、 教会の祈祷会でもお祈りをしていこうと思いますし、 このブログをお読みの皆さんも、 是非、ご自分のお祈りの中に 覚えてくださいますようお願いいたします。 m(_ _"m)ペコリ

教師研修会(その2)

呉に行った時の話の続きです。 大和ミュージアムに行きました。 戦艦大和の10分の1スケールの模型が展示してある博物館です。 10分の1で25メートルの長さがあります 結構、でかいです 幼小の教師研修会ということもあって、 ボランティアのガイドの方に説明をお願いしました。 本当は約2時間かかるところを この日は特別に1時間に短縮していただきました。 機関銃のように話すガイドさん この方、大和ミュージアムのボランティアガイドの中で 3本の指に入る方だということで、 ご自分で、「トップスリー」だとおっしゃっていました。 豊富な知識に裏付けられた的確な説明、 ウィットに富んだ興味をそそる解説、 それが本当によどみなく出てくる様子を拝見して、 トップスリーは誇張でも何でもないなと思いました。 戦艦大和がどのような経緯で造られたのか、 搭載されていた技術がいかに当時の最新鋭のものであったか、 それらの技術が現代社会の中でどのように平和利用されているか、 それなのに何故撃沈されることになったのか、 乗組員たちの思いはどんなものであったのか、 そういったことを、臨場感たっぷりに話してくださったので、 1時間があっという間でした。 まだまだ聞いていたいという気持ちにさせられました。 そして、お話を伺っていて一番伝わってきたのは、 二度と戦争という悲惨な歴史を繰り返してはいけないという 情熱でした。 感動しました。 情熱って、伝わるものなんだな~と、 ジ~ンときました。 そういう感動が 人を動かす力になるのだと思いました。 そして、 自分はこのくらいの情熱をもって伝えているだろうかと 反省させられました。 皆さんも、広島に行く機会があったら、 是非、大和ミュージアムに行ってください。 そして、このガイドさんに、案内をお願いしてください。 事前に電話をして、日程が合えば喜んで案内してくださるとのことでしたので。 え~と、この方のお名前・・・何だったかな

教師研修会

8月2日(日)から8月5日(水)までの4日間 広島市にある広島三育幼稚園小学校のキャンパスで 三育の全国初等教育教師研修会が開かれました。 いらんは、教会の牧師ですが、 幼稚園の副園長、小学校のチャプレンでもあるので 教師の皆さんと一緒に参加しました。 1日でも長く娘の顔を見ていたいいらんにとっては、 ちょっとした拷問のような4日間でしたが。。。 でも、全国各地で活躍している先生方にお会いできて 特に、学生時代を一緒にすごした先生方に再会できて とても嬉しかったです。 期間中、いくつかのセミナーが開かれて その講師の方も言っておられましたが、 三育の初等教育の教師には、男性が多い。 特に若い人たち(もちろん20代!)については 男性の方が多いのではないかという印象さえ受けました。 実際には、半々だと思うのですが。 年代的に見ても、バランスが良いですし、 将来があるな~という感じ。 中等教育においても同じ状況がありますが、 先生方のお働きを見た子どもたちが 同じ姿を目指すというのは、 先生方が非常にすばらしいお働きをなさっているからだと思います。 久しぶりに会った方々と、 毎晩のように話が盛り上がってしまって、 午前様もいいところだったので、 日中のセミナーの類は睡魔との闘いになってしまったのですが、 2日目の午後は、いくつかのグループに分かれて 外に出ました。 いらんは、4年間広島県に住んでいながら 一度も行ったことがなかった呉に行きました。 そこで、海上自衛隊の潜水艦救難艦という 潜水艦救助専門の船の中を見学させてもらったり、 鉄のくじら館や大和ミュージアムを見学しました。 潜水艦救難艦は、特に機密部分は無いとのことで、 本当にここまで見せてもらってしまってもいいの? と思うようなところまで、あちこち見学させてもらいました。 この潜水艦救難艦、 故障した潜水艦を救助するための 最新の技術を搭載した船なのですが、 その働きが非常に限定されていて、 潜水艦が故障して自走できなくなり 500mくらいまでの海底に沈んでしまった場合に限り 救助をするというものなのだそうです。 鉄のくじら館にて撮影 潜水艦の大きさが何となく分かりますか? つまり、本当に戦争になって 相手からの攻撃を受けて大破してしまった場合は もはや救助になりませんし、 故障は故障でも 運悪く海溝などの深い

生まれました

別に、隠していたとかそういうわけではないのですが、 単に書き忘れです。。。 先月の16日(木)に、 無事、長女が誕生しました。 もうすでに3週間が経過していますが、 母子共に健康です♪ 私たち夫婦に子どもが与えられるように祈ってくださった皆様、 本当にありがとうございました。 神様の子をお預かりしていることを忘れずに、 親としての務めを果たしていくことができたら幸いです。