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3月, 2013の投稿を表示しています

iPad Wi-Fi モデルとメールチェック

iPadを購入してから、3週間が経ちました。 購入するまでは思ってもみなかった用途がいくつかあったので、順にご紹介したいと思います。今回は、Wi-Fi モデルを使った通勤中のメールチェックについてです。 今回のiPad購入に際しては、書類の整理ということを第一の用途と考えていたので、mini にはせず、Retina ディスプレイの64GB Wi-Fiモデルを選択しました。どんどんたまる一方の書類を片っ端からスキャンして、必要なときにいつでも呼び出せるようにしようという戦法です。もちろん、パソコンでも同じことができなくはないのですが、パソコンを開いた脇にiPadを置き、紙のように使ったら便利ではないかということを考えたわけです。 なお、第二の用途として、そういった書類を通勤電車の中でも読むということを考えていたので、iPad mini にRetina ディスプレイが搭載されていたら、恐らくそっちにしていたかなと思います。 が、結果として、大きくて重くて片手ではホールドできないiPadを、電車の中でも使いまくっているというのが現状です。 というのは、iPad Wi-Fi モデルを (ヨドバシカメラ以外の店で) 購入すると、SoftBankのWi-Fi接続サービス(2年間)が付属してくるので、駅のホームにいるときなどは、モバイルルーターを持っていなくても、メールチェック等ができるからです。 このSoftBankのWi-Fiサービスというのがなかなか便利で、駅もコンビニもスタバも、私の平日の行動範囲はほぼすべてカバーされているといったイメージです(ちなみにADRA Japan が入っている原宿クリスチャンセンターにも最近SoftBank Wi-Fi が設置されました)。 話をメールチェックに戻しますが、電車に乗った後でも、メールチェックという作業のみを考えるのであれば、電車が動いている時に文章を書き、駅に停まったらWi-Fi に再接続して送受信作業をするようにすることで、別に3G回線などで常に接続していなくても、充分作業ができます。このことに気づいてからは、通勤時でも相当数のメールを処理することができるようになりました。 そして、比較的座席に座りやすく、駅と駅との間隔が短い普通列車に敢えて乗るほうが、それだけWi-Fiに接続できる時間が増える

発想の転換

ある日、カジュアルなレストランで食事をしていた時のこと。 50代前半と見受ける夫婦が、向かい合って食事をしていました。 料理が来るまでの間、旦那さんはスマホ、奥さんはiPadをそれぞれいじりながら、お互い 何の会話も交わさずに待っています。 料理が届くと、二人とも黙々と口に運び、先に食べ終わった旦那さんは奥さんが終わるのを特に何もせずに待っています(していたことと言えば、天井を見上げてあくびをするくらいのものでした)。 奥さんが終わると、そそくさとその場を去る…というわけでもなく、お冷やを飲みながら、またiPadをいじる奥さん。2人の間には何の会話もありません。 そうこうしているうちに、旦那さんが席を立ち、先に出て行ってしまいました。しかし慌てるわけでもなく、ゆっくりと片付け、退席する奥さん。 人様のことなので、私が干渉する余地はないのですが、なーんか、この夫婦、一緒にいて楽しいのかな?というか一緒にいる意味あるのかな?と思ってしまいました。 などということを妻に話したら、その2人は夫婦ではなかったのではないかという意見が飛び出しました。いゃぁ、夫婦じゃなくてあの状態だったら、それこそ何で一緒にいるの?という感じでしょ・・・と思ったのですが、 でも、確かに、そういう発想の転換が必要かも知れないと思って、いろいろ考えてみました。 もしかしたら、デートの途中でケンカをしたのかも知れません。だとしたら、さっさとデートを中止にしてしまうのではなく、険悪な雰囲気の中にも食事を一緒にしようとする姿勢は、お互いに仲直りの機会を見計らおうとしているという意味で、素晴らしいことです! 私も見習わなければならない、歩み寄りの姿勢がそこにありました! そんなことを考えながら、その人の行動の裏側に何があるかも知らずに、一方的に決めつけて批判するのは良くないことだと、改めて感じました。 いつも人の批判をし、ダメ出しばかりしてしまう私ですが、今回のような発想の転換によって、ポジティブな見方ができると、人間ウォッチングもさらに楽しくなるかもと思いました。

イスラエイドの東日本支援

東日本復興支援事業において、ADRA Japan がパートナーとして共に教育支援をしている イスラエイド(IsraAID) というイスラエルのNGOの 事業報告会(Facebook上では「追悼式」と紹介されています) に行って来ました。 震災4日後から東北での活動を開始したというこの団体。主な活動として、PTSD予防活動や被災者体験談アーカイブプロジェクト、次世代育成事業などを行なっています。 今回私が参加したのは、上記の2つ目、被災者の証言や体験談を動画として記録する活動の報告会(追悼式)でした。 Voices of Tohoku というタイトルが付いたこのプロジェクト。基本は、被災者の方が、震災当日のことを振り返って話す体験談や、これまでの復興への歩みの中で感じてきたことなどを、動画で記録するというシンプルなものです。 1人当りの取材時間がどのくらいなのかは分かりませんが、ほんの数分の動画の中に、その人の「声」がしっかりまとめられています。 それもそのはず、このプロジェクトには、日本語で口述歴史とも訳されるオーラルヒストリーの専門家も関わっていて、アカデミックな立場からもきちんとフォローがなされているんです。 震災から時間が経過する中で、被災地の方々が最も恐れていることは、徐々にメディアにも採り上げられなくなり、世界の人々或いは日本の人々の記憶の中から、震災があったということ自体が忘れ去られていくことだ、という話を耳にすることがあります。 そういう中にあって、このようにきちんとした「声」としてまとめられたものが発信されていくということ。それは、非常に大切な支援の一つなのだと思いました。 このVoices of Tohoku についての簡単なパンフレットをもらったのですが、そこには、「東北の真の声をより多くの皆様に届けることを目的としています」ということが、はっきり謳われています。 物資支援なり何なり、他の支援をしていて、その流れで上記のようなことに気づいていくということではなく、最初から、このような支援が必要なのだということを認識しているということ。また、そのこと自体を目的にして活動を行なう勇気というか、先見の明というか、なんというか、それが非常に、敢えて安っぽい言葉で表現するうと「カッコイイ」なと思わされました。 震災後かな

人間としての自立

臨床心理士の方を数名知っていますが、いつも興味深くお話しを伺っています。人間の心の仕組みって、とても複雑で、そして、そうであるがゆえに、奥が深いなと思います。 ある方とのお話しの中で、人間としての自立という話がとても興味深かったので、ご紹介します。 例えば、様々な理由で結婚をしない人たちがいます。その理由を、いくつかのカテゴリーに分けることができるそうです。そのうちの一つは、自制心が強いということ。 自制心が強い人は、どう考えるかというと、好きな人がいたとしても「自分にはこの人を幸せにする資格がない」という自制心が働いて、自分の気持ちを素直に打ち明けるところまで行かないというのです。 ぶっちゃけ話、私にはそういう気持ちが全く分かりません。だって、好きだって思っちゃったら、それはそれだし、結婚って、自分が相手を幸せにしてあげるとか、そんな大それた話ではないと思うからです。そんなことを考え始めたら、私なんて絶対に失格です。相手を幸せにできる保証なんてどこにもありませんから。そんなことではなくて、私にはあなたが必要だ! I neet you!! 君と一緒にいたいんだ! というそれだけで突っ走ってしまった気がします。本来、そうあるべきではないのでしょうが。 ということをお話したら、「いゃ、それが人間として自立しているという証なんですよ」というコメントが返ってきて、へ〜〜〜〜という感じでした。 I need you because I love you. (あなたのことが好きだ、だから一緒にいてほしい) そう素直に言えるということは、自立をしている証拠。逆に素直にそう言えずに足踏みをしてしまう場合は、自制心を働かせる大人であるというよりはむしろ、過去に何らかのトラウマがあったりするなど、何かその人が乗り越えるべき課題を抱えたままでいる証拠なのだそうです。 私は、自分が自立した人間であるなどとは、これっぽっちも思っていませんし、この話の要点は、それが分かって嬉しかったとかそういうことではありません。そうではなく、自分の気持ちを素直に表現できるということは、とても大切なことなのだということを、改めて考えさせられたということです。 確かに、日常生活の中でも、家族や友人に対して、自分の思っていることを素直に話せない時というのは、何か他に解決すべき問