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ブログとSNS

ありゃ〜、もう、ずっと放ったらかしになってしまいました。 Twitter を始めた時、ある人から、Twitter に流れてしまってブログを更新しないようにならないでくださいねと言われたことがあったのですが、まさにそうなってしまった気がします。 140字の中にどう収めるかということを考えていると、ブログに何かを書くということが妙に面倒なことになってしまう気がします。 他方、Facebookでは、皆さんからの反応が「いいね!」などによって簡単にもらえるため、書いたら書きっぱなしのブログとは違って、書き甲斐があるということになるのだと思います。 もちろん、ブログはブログで、アクセス数を確認することなどもできますから、その意味では、Twitter やFacebook などよりもむしろ皆さんの反応を目にしやすいのかも知れません。 ただ、何でしょうね、いわゆる「つぶやき」と呼ばれる、必ずしも文章の形をとっていなくても良い、単にその時感じたことをそのまま言葉にすれば良い手軽さと違い、ブログの場合は、やはりある程度の情報量がなければ形にならないということもあって、一旦面倒になってしまうと、なかなか戻ってくることが難しい側面があるのだなと思いました。 それに加え、特に7月以降は、仕事面でストレスフルなことが多く、それもあって、なかなかブログを書こうという落ち着いた気持ちになれなかったということもあり、こ〜んなに間が空いてしまいました。 でも、気を取り直して、書いていこうと思いますので、これからもよろしくお願いします。

夫婦の危機

7月も今日でおしまいですね。私のブログもどうなってんのかという感じです。書こうとする気持ち自体はあるのですが、なかなかネタを思い付きません。というか、小ネタはTwitterやFacebookに書いてしまうので、ブログには比較的大きめのネタを書こうとして意気込むあまり、なかなか手が出ない状況に陥っているのかも知れません。 この辺のSNSの使い分けを考えていきたいと思います。 さて、今月唯一のネタは、夫婦の危機について、です。 前回の投稿で、以下のようなことを書きました。 「結婚をする前は両目を開き、結婚をしたら片目をつぶれという言葉があります。そのくらい結婚生活においては受容が大切だという意味で、私もそれは理解しているつもりですが、私の妻は結婚当初『さぁ』の使い手でした。私は本当に耐えられなかったので、これに関しては(他にもたくさんあるのですが)かなりしつこくお願いをして、やめてもらいました。 そのことを妻が素直に聞き入れてくれたことを、本当に感謝しています。口癖を変えるということは、大変なことだと思うので。」 自分でもこれを書くことについては、少々ボーダーかなとは思っていました。でも、最後しっかりフォローしたつもりでしたし、基本的に妻が口癖を変えてくれたその努力が嬉しかったということを書いたと思っていたのですが、妻はそうはとっていなかったようです。これをFacebookやブログに書いたことについて、妻が怒り心頭状態だったことがつい先日発覚しました。 そんなに怒るんだったら、言ってくれれば良かったのにと言ったのですが、そしたら、言う気にもならないくらい怒っていたとのこと。それも数週間にわたって、です。 ひょんな会話からそのことが明らかになったのですが、言う気にもならないくらい怒っていたレベルから一段階怒りのレベルが下がって、言う気になってくれたということで、素直に感謝しました。 そして、我々の夫婦関係がかなり危機に瀕していたことを思ってゾッとしました。 というのは、今までは、妻は私の言動について腹を立てると、何らかのアクションを起こしたり、サインを出してくれていたんです。急に口をきかなくなるとか、イライラするとか。ところが、今回は、言う気にもならないくらい腹を立てていたにもかかわらず、そのこと以外の話題については、少なくとも私

コミュニケーションを終わらせる言葉

あら~、5月は1回も投稿をせずに終わってしまいました~。 まぁ、このブログのタイトルにあるように、現実逃避をしているヒマがないくらい一生懸命に働いたということにしておきましょう。 で、まぁ、先日ADRA Japan の総会も無事に終わったということで、ようやくブログに向かう気持ちも出てきたようで、今日、あ、これを書こうと思ったことがあったのですが、思わずFacebookにアップしてしまいました。 同じ内容なのですが、もともとブログに書こうと思っていたことだったので、こちらにも載せておきます。 コミュニケーションを終わらせることのできる言葉があります。 日本語の代表格は「さぁ」、英語の代表格は「I don't understand you」であると思います。 「さぁ」 は、卓球の愛ちゃんの掛け声ではありません。 「さぁ、それは知らないね」 の「さぁ」です。 例えば、単に同意を求める意味で、しょ~もないことについて尋ねる場合があると思います。 「ねぇねぇ、スカイツリーの柱って、どうして4本じゃなくて3本なのかな~」 など、本当にしょ~もないことです。 この場合、会話の主が相手に求めているのは決して明確な答えではありません。 「そうだね~、もしかしたら三脚みたいにしたほうが安定するからかな~」 とか、そこまでいかなくても 「ホントだね~、どうしてだろうね~」 と反応してくれれば十分なのです。 ところが、そんなことを自分に聞かれても分からないとマジメに考えるのかどうかが分からないのですが、こういう場合に 「さぁ」 と返す人がいます。 上述の通り、そんな答えは求めていないのです。ところが 「さぁ」 が来た瞬間、その会話は見事に修了します。 会話の主も、かなり気持ちを切り替えないと、その相手と他愛もない話を継続しようとは思えなくなるものです。 そういう意味で、「さぁ」は、コミュニケーションを終わらせることのできる言葉だと思います。 結婚をする前は両目を開き、結婚をしたら片目をつぶれという言葉があります。そのくらい結婚生活においては受容が大切だという意味で、私もそれは理解しているつもりですが、私の妻は結婚当初「さぁ」の使い手でした。私は本当に耐えられなかったので、これに関しては(他にもたくさん

子育てについて思うこと

一週間くらい前のこと。イクメンを推奨するNPOの代表の人がラジオに出ていました。 具体的に何か貢献することができなかったとしても、 子育てをする母親である妻の苦労を理解し、仕事が終わって帰宅したら、妻の話に耳を傾けたり、 感謝の言葉かけをしたりするだけでも違うということでした。 また、子どもとの関わりは、その子が3歳になるまでが勝負とのこと。それまでにその子との関係をしっかり作っておくと、ティーンエイジャーになってからも、父親と話をしてくれる子になると言っていました。 インタビューをしているパーソナリティが、自らの生活を振り返り、反省していました。つい言い訳をしたくなる中で、自分の非を素直に認めることができるその人は、本当の意味で強い人なのだと思います。 ただ、そういったことをする動機が、んー、どうなのかなーと思いました。 というのは、妻や子との良好な関係づくり、それ自体は良いことなのですが、それを今しておくことの最終的な目的が、15歳になった子どもとも話せることであったりとか、子どもたちが巣立った後の妻との関係を良好に保つことであったりとか、そういうレベルに終始していたからです。それっって、ちょっと目的が違わないだろうかと思ったのです。 3歳までの子どもとの関わりが勝負なのだとしても、毎日の妻への声かけが大切なのだとしても、将来への投資として、今、子どもと関わろうと思いたくはありませんし、やがて来るべき日を充実したものにするために、今、妻に労いの言葉をかけたりしたくはありません。 よく耳にする言葉で、「せっかくこれもあれもしてあげたのになー、こいつら全然覚えてないんだもんなー」という嘆きがあります。しかし、将来覚えていてもらうために、そしてあの時はありがとうねと感謝をしてもらうために、今、子どもと関わろうとしているのであれば、それは動機が間違っていると言わざるを得ないと思います。 そうではなく、今、そこにいる一人の人間である子どもとの関わりが嬉しくて、今という時間が与えられていることが感謝で、時間がある限り一緒にいたいと思う。奥さんの存在がありがたくて、少しでも疲れが取れればと思って、声をかけたり、何か少しでも手伝ったりしてあげたいと思う。そういう、今を大切にする姿勢こそが動機であるべきであって、そうでないものは結局のところ、打算で

日本人の謝意

英語のメールを書いていて、こちらの作業の遅れを謝らなければならず、ある程度きちんと謝りたかったのですが、でもあんまり堅苦しい雰囲気になるのもなと思い、英語の顔文字で「ごめんなさい」を表すものを書き加えようと思いました。 それで、いろいろなキーワードで検索してみるのですが、一向にヒットしません。というか、英語の顔文字一覧が紹介されているサイトはいくつかヒットするのですが、SORRYに当たるものはありません。 唯一、検索でヒットしたのが、次の顔文字。 ?-( ん?これのどこが、ごめんなさいなんだろうと思って、その意味を見たら、なんと、こうありました。 Sorry, I don't know what went wrong? = わたし、いけないことした? これ、つまり、「ねぇちょっと、私の何が間違っているんだか、全然わかんないんだけど」ということですよね。SORRYの文字はありますが、全然謝ってなんかいません。むしろ、こんな調子でSORRYを言われたら、かえってムカつきます。 そういえば、歩いている時に他人とぶつかっても、SORRYとは言うな、EXCUSE ME と言えと教わったこともあります。 大体、SORRYという言葉は「ごめんなさい」と訳せますが、「残念です」とも訳せる言葉です。もちろんAPOLOGIZE という言葉はあります。これは、和訳するなら、謝罪する、でしょうか。 しかし、そこまで大袈裟ではなくても、私が悪かったですという謝意をカジュアルなレベルで表せる言葉が英語には存在しないというのでしょうか。もしかしたら、謝ったほうが負けという考え方が基本にあるのでしょうか? つい先日、購入後約3週間のiPadを交換してもらいました。画面の端のほうに光が弱く、黒っぽい筋が入る部分があり、アップルストアに持ち込んだら、即、新品と交換ということになりました。 非常に迅速な対応をしてもらって感謝だったのですが、このことで計2回ショップに足を運んだ時に、妙な違和感を覚えました。 それは、非常に気持の良い対応をしてくれた店員さん2名に共通することでした。 それは、「申し訳ありません」という言葉がついに聞かれなかったということです。 消費者はApple製品に対する期待をもって購入するわけです。私のような貧乏人にとっては

iPad Wi-Fi モデルとメールチェック

iPadを購入してから、3週間が経ちました。 購入するまでは思ってもみなかった用途がいくつかあったので、順にご紹介したいと思います。今回は、Wi-Fi モデルを使った通勤中のメールチェックについてです。 今回のiPad購入に際しては、書類の整理ということを第一の用途と考えていたので、mini にはせず、Retina ディスプレイの64GB Wi-Fiモデルを選択しました。どんどんたまる一方の書類を片っ端からスキャンして、必要なときにいつでも呼び出せるようにしようという戦法です。もちろん、パソコンでも同じことができなくはないのですが、パソコンを開いた脇にiPadを置き、紙のように使ったら便利ではないかということを考えたわけです。 なお、第二の用途として、そういった書類を通勤電車の中でも読むということを考えていたので、iPad mini にRetina ディスプレイが搭載されていたら、恐らくそっちにしていたかなと思います。 が、結果として、大きくて重くて片手ではホールドできないiPadを、電車の中でも使いまくっているというのが現状です。 というのは、iPad Wi-Fi モデルを (ヨドバシカメラ以外の店で) 購入すると、SoftBankのWi-Fi接続サービス(2年間)が付属してくるので、駅のホームにいるときなどは、モバイルルーターを持っていなくても、メールチェック等ができるからです。 このSoftBankのWi-Fiサービスというのがなかなか便利で、駅もコンビニもスタバも、私の平日の行動範囲はほぼすべてカバーされているといったイメージです(ちなみにADRA Japan が入っている原宿クリスチャンセンターにも最近SoftBank Wi-Fi が設置されました)。 話をメールチェックに戻しますが、電車に乗った後でも、メールチェックという作業のみを考えるのであれば、電車が動いている時に文章を書き、駅に停まったらWi-Fi に再接続して送受信作業をするようにすることで、別に3G回線などで常に接続していなくても、充分作業ができます。このことに気づいてからは、通勤時でも相当数のメールを処理することができるようになりました。 そして、比較的座席に座りやすく、駅と駅との間隔が短い普通列車に敢えて乗るほうが、それだけWi-Fiに接続できる時間が増える

発想の転換

ある日、カジュアルなレストランで食事をしていた時のこと。 50代前半と見受ける夫婦が、向かい合って食事をしていました。 料理が来るまでの間、旦那さんはスマホ、奥さんはiPadをそれぞれいじりながら、お互い 何の会話も交わさずに待っています。 料理が届くと、二人とも黙々と口に運び、先に食べ終わった旦那さんは奥さんが終わるのを特に何もせずに待っています(していたことと言えば、天井を見上げてあくびをするくらいのものでした)。 奥さんが終わると、そそくさとその場を去る…というわけでもなく、お冷やを飲みながら、またiPadをいじる奥さん。2人の間には何の会話もありません。 そうこうしているうちに、旦那さんが席を立ち、先に出て行ってしまいました。しかし慌てるわけでもなく、ゆっくりと片付け、退席する奥さん。 人様のことなので、私が干渉する余地はないのですが、なーんか、この夫婦、一緒にいて楽しいのかな?というか一緒にいる意味あるのかな?と思ってしまいました。 などということを妻に話したら、その2人は夫婦ではなかったのではないかという意見が飛び出しました。いゃぁ、夫婦じゃなくてあの状態だったら、それこそ何で一緒にいるの?という感じでしょ・・・と思ったのですが、 でも、確かに、そういう発想の転換が必要かも知れないと思って、いろいろ考えてみました。 もしかしたら、デートの途中でケンカをしたのかも知れません。だとしたら、さっさとデートを中止にしてしまうのではなく、険悪な雰囲気の中にも食事を一緒にしようとする姿勢は、お互いに仲直りの機会を見計らおうとしているという意味で、素晴らしいことです! 私も見習わなければならない、歩み寄りの姿勢がそこにありました! そんなことを考えながら、その人の行動の裏側に何があるかも知らずに、一方的に決めつけて批判するのは良くないことだと、改めて感じました。 いつも人の批判をし、ダメ出しばかりしてしまう私ですが、今回のような発想の転換によって、ポジティブな見方ができると、人間ウォッチングもさらに楽しくなるかもと思いました。

イスラエイドの東日本支援

東日本復興支援事業において、ADRA Japan がパートナーとして共に教育支援をしている イスラエイド(IsraAID) というイスラエルのNGOの 事業報告会(Facebook上では「追悼式」と紹介されています) に行って来ました。 震災4日後から東北での活動を開始したというこの団体。主な活動として、PTSD予防活動や被災者体験談アーカイブプロジェクト、次世代育成事業などを行なっています。 今回私が参加したのは、上記の2つ目、被災者の証言や体験談を動画として記録する活動の報告会(追悼式)でした。 Voices of Tohoku というタイトルが付いたこのプロジェクト。基本は、被災者の方が、震災当日のことを振り返って話す体験談や、これまでの復興への歩みの中で感じてきたことなどを、動画で記録するというシンプルなものです。 1人当りの取材時間がどのくらいなのかは分かりませんが、ほんの数分の動画の中に、その人の「声」がしっかりまとめられています。 それもそのはず、このプロジェクトには、日本語で口述歴史とも訳されるオーラルヒストリーの専門家も関わっていて、アカデミックな立場からもきちんとフォローがなされているんです。 震災から時間が経過する中で、被災地の方々が最も恐れていることは、徐々にメディアにも採り上げられなくなり、世界の人々或いは日本の人々の記憶の中から、震災があったということ自体が忘れ去られていくことだ、という話を耳にすることがあります。 そういう中にあって、このようにきちんとした「声」としてまとめられたものが発信されていくということ。それは、非常に大切な支援の一つなのだと思いました。 このVoices of Tohoku についての簡単なパンフレットをもらったのですが、そこには、「東北の真の声をより多くの皆様に届けることを目的としています」ということが、はっきり謳われています。 物資支援なり何なり、他の支援をしていて、その流れで上記のようなことに気づいていくということではなく、最初から、このような支援が必要なのだということを認識しているということ。また、そのこと自体を目的にして活動を行なう勇気というか、先見の明というか、なんというか、それが非常に、敢えて安っぽい言葉で表現するうと「カッコイイ」なと思わされました。 震災後かな

人間としての自立

臨床心理士の方を数名知っていますが、いつも興味深くお話しを伺っています。人間の心の仕組みって、とても複雑で、そして、そうであるがゆえに、奥が深いなと思います。 ある方とのお話しの中で、人間としての自立という話がとても興味深かったので、ご紹介します。 例えば、様々な理由で結婚をしない人たちがいます。その理由を、いくつかのカテゴリーに分けることができるそうです。そのうちの一つは、自制心が強いということ。 自制心が強い人は、どう考えるかというと、好きな人がいたとしても「自分にはこの人を幸せにする資格がない」という自制心が働いて、自分の気持ちを素直に打ち明けるところまで行かないというのです。 ぶっちゃけ話、私にはそういう気持ちが全く分かりません。だって、好きだって思っちゃったら、それはそれだし、結婚って、自分が相手を幸せにしてあげるとか、そんな大それた話ではないと思うからです。そんなことを考え始めたら、私なんて絶対に失格です。相手を幸せにできる保証なんてどこにもありませんから。そんなことではなくて、私にはあなたが必要だ! I neet you!! 君と一緒にいたいんだ! というそれだけで突っ走ってしまった気がします。本来、そうあるべきではないのでしょうが。 ということをお話したら、「いゃ、それが人間として自立しているという証なんですよ」というコメントが返ってきて、へ〜〜〜〜という感じでした。 I need you because I love you. (あなたのことが好きだ、だから一緒にいてほしい) そう素直に言えるということは、自立をしている証拠。逆に素直にそう言えずに足踏みをしてしまう場合は、自制心を働かせる大人であるというよりはむしろ、過去に何らかのトラウマがあったりするなど、何かその人が乗り越えるべき課題を抱えたままでいる証拠なのだそうです。 私は、自分が自立した人間であるなどとは、これっぽっちも思っていませんし、この話の要点は、それが分かって嬉しかったとかそういうことではありません。そうではなく、自分の気持ちを素直に表現できるということは、とても大切なことなのだということを、改めて考えさせられたということです。 確かに、日常生活の中でも、家族や友人に対して、自分の思っていることを素直に話せない時というのは、何か他に解決すべき問

2月を想う

2月は逃げると言いますが、本当ですね。月末の日数が、いつもよりも2日か3日少ないからというわけではなくて、下旬になるまでが異様に速い気がします。 「2」という数字が持つ微妙さなのかなとも思います。 例えば、野球の2番バッター。上位打者の中では際立って目立たない存在だと思います。 非常に大事な存在であることは理解しています。誰でも打てる打順でないことも分かっています。でも、目立たない、というか、華がない。 例えば、トランプの「2」。1ではなくて2なのに、1が1ではなくてエースとかいう称号で呼ばれるがゆえに、大富豪を除いたほぼすべてのゲームで一番弱い存在です。ナポレオンでは「セイムツー」が効きますが、誰かが台札を持っていない時点で流れてしまうという不安定さ。 例えば、御祝儀の2万円。2枚だと2つに分けられるから縁起が悪いということで、1万円の2倍も入っているのに、何故か喜ばれない。だからもう1枚足して3枚にしないといけないなんて、一体誰が決めたっっ!? じゃぁ、3万円御祝儀あげて、それで別れた時には1枚返せよな!と言いたい。 失礼。貧乏人のヒガミでした。 例えば、素数としての「2」(素数とは「 1と自分自身以外に約数を持たない数」のことです)。え、それを言うな ら、1も素数じゃん!と言いたくなりますが、1は含まないとのこと。しかも、数ある素数の中で2が唯一の偶数。他の偶数は、それが偶数である限り、少なく とも2で割り切れますからね。そんなことだったら、1だけじゃなくて2も例外として認めてほしかった・・・。 あと、2という数字は、あまり良くないことの例として使われることが多い気がします。二枚舌だとか、男に二言はないだとか、二股をかけるだとか。 そして、あと一つ上乗せするだけで、数的には大して変わらないハズなのに「最高」を表す言葉になる場合が多い気がします。三拍子揃っただとか、三冠王だとか、三ツ星レストランだとか。二拍子だと揃わないし、二冠や二つ星でも決して悪くはないのに「残念」な感じが拭いきれません。 そういえば、神様も、三位一体でした。 あぁ、考えれば考えるほど、2って微妙です。 と思ったら、ありました、ありました、1よりも3よりも2が優れている場合が。 二枚目とか、二重まぶたとか、です。あんまり例をたくさん挙げられません

「できる人」の発想法

人間誰しも、「やりたいこと」と「やらなければならないこと」との間で葛藤をするものだと思います。そして、多くの場合、やりたいことを優先してしまい、失敗をして後悔したり、誰かから怒られて反省したり、理想像からはかけ離れた自分の姿を見て愕然としたりするのだと思います。 世の中には成功している人たちがいます。メディアに取り上げられるほどではなくても、他の人よりも一歩前を行く人たちがいます。いわゆる「できる人」がいます。私の今の職場の中にも、そういう人物が何人かいます。 そのうちの一人に話を聞く機会がありました。名前をAさんとします。話を聞く中で、物事の捉え方自体が、発想法自体がそもそも異なるのだなと感じたので、以下に簡単に話の中身をご紹介します。 例えば、ちょっと体重が気になるのでダイエットをすることにしたとします。 食欲を克服するというのは、すべての人にとって困難なことだと思います。私を含めた数知れない人たちが、痩せなきゃと思いつつ、全く逆の行動をとったりするわけです。夜中にお腹が空けば、何かを口に入れたくなるのは物の道理というものです。 しかし、Aさんの場合は、一度やると決めたら、他に選択肢はないものとするそうです。 そんなことができたら人間苦労しないと言ったのですが、Aさん曰く、むしろ大変なのは、決意をするまで。夜は食べないと決めるということは、捨てなければならないものがたくさんあるので非常に辛いことです。ですから、普通、なかなか決意をするところまで行かないわけです。しかし、夜は食べないと一旦決めたら、それ以外の選択肢は無し。 つまり、ダイエットをしようと思いつつ、夜中にお菓子を食べてしまう場合、その人はまだ決意に至っていないとも言えるのだと思いました。 そして、発想の転換も大切とのことでした。夜中にお菓子が食べたいと思う時、それをただ我慢するのではなく、「次の日の朝ご飯を美味しく食べよう」と思うようにするそうです。次の日、いかに美味しい朝ごはんを食べるかを想像し、そのためには今食べたらその分美味しくなくなるから、今はやめておこうと思うようにする。 たしかに、そういった頭の中の切り替えは非常に有効だと思います。 さらには、決意をしてそれを頑張って遂行している自分は好きになれるはずだから、自分を好きでいるためにも、決意したことは必

docomoの白ロム

約1年前から、docomoの白ロムスマホを使っています。 これに先月からDTI社のServerman というSIMを入れ、月額490円で通話以外のことをし、音声通話はauのガラケーでするようにしました。つまり2台持ちです。 ところがこのスマホが最近調子が悪く、Android OS をアップデートすることにしました。 しか〜し、本体だけでも、専用ソフトをパソコンにインストールし、USBケーブルでつないでも、アップデートの方法として紹介されていることを、できる限り調べ、試してみたのですが、どうしてもうまくいきません。 途方に暮れそうになりながらネットを調べるうちに、docomoショップで対応をしてくれる場合があるという書き込みに出会いました。 それで、原宿駅前にあるdocomoショップに行ってみたのですが、とにかく、現在docomoとの契約があるわけではないので、肩身が狭いせまい。「お客様は当社との契約がおありではないのですね?」と確認をされるたびに、「はい、ごめんなさい」と言うほかない感じ。 それでも係員の人に症状を説明すると「白ロム故障」という扱いで、意外にも普通に対応をしてくれました。 結果として、スマホ内部の基板そのものを換えてもらうことになったのですが、修理費は無料。OSのアップデートも済んだ形で渡してもらえました。 修理に出す前のもたつき感は、基板の不具合によるものだったのかも知れないと妙に納得してしまうくらい、基板交換後はサックサクに動くので、まるで新しいスマホを手にしたような気分です。 ショップのお姉さんの話では、たとえ白ロムとは言えども、docomoの製品であることに変わりはないというスタンスのようで、端末購入後3年間は無料の保証期間が継続されている形になるとのことでした。 私はこの端末を、Amazon の白ロムショップで昨年の春に購入したのですが、docomo側での販売記録によると、一昨年の秋に購入したことになっていました。つまり現時点で約1年半落ちということになりますが、まだまだ余裕で3年保証中だったということで、docomoの懐の広いバックアップ体制というものを図らずも体験することになり、さすがだなと思いました。 というわけで、docomoの白ロムを使っていて、何らかの不具合がある人は、是非、まずはdo

犬のシャンプーをしました

我が家には、15才になる犬がいます。「花子」という名前のメス犬です。 最近の花子 あるお医者さんに聞いた犬の年齢を人間の年齢に換算する方法を適用すると、1年目が18才で、2年目以降は4.5才とのことだったので、 18+4.5×(15-1)=81 81才のおばあちゃん、ということになります。 そして、恐らく10月生まれなので、15才3ヶ月ということで、82才、ですね。 「恐らく」というのは、千葉県にある市立短大で働いていた時に、学校の門のすぐ外側に段ボールに入れられて置いてあったのを拾った時が12月で、その時生後2ヶ月程度と思われたので、10月頃生まれたのだろうと考えた、というわけです。 妻とはその2年後に結婚しましたので、花子との生活のほうが実は長かったりします。結婚したての頃は、自分が「正妻」だと思っていた感じの行動もありました。今はすっかり「奴隷」以下ですが。 その花子も、私が海外留学をしている間、両親に預かってもらった期間を含めて、千葉〜宮崎〜長崎〜神奈川〜広島〜北海道〜神奈川と移り住んできました。引越しをするたびに、この土地に慣れるだろうか、急に弱ってしまわないだろうかと心配をしてきましたが、お蔭様で今でも全速力で走り回れるほど元気です。 問題点と言えば、眼が白内障っぽくなってきたことと、耳が遠くなってきたことくらいのものでしょうか。 あんまり良くないと聞いたのですが、花子は普段は室内にいて、用を足す時や散歩の時だけ外に出す形で飼っています。もともとは外専門だったのですが、心優しい妻が、いつの間にか家の中に入れていました。 ですので、外から帰ってきた時は入念に足の裏を拭きますし、室内だとニオイも気になるので、1ヶ月に1回程度はシャンプーをします。 白い毛が多いことや、自分で体をなめてキレイにする習慣があることと併せて、定期的にシャンプーもするということもあってか、「きれいなワンちゃんですね」とのお褒めの言葉をいただくことがよくあります。 ただ、もし野生だったら、シャンプーなんて無縁の世界ですし、あまり洗いすぎるのも良くないと聞いたことがあるので、本犬にとってはシャンプーなど迷惑千万ということろなのだと思います。若い頃は、風呂場の中を逃げ惑って、洗うのに結構苦労しました。 しかし、それでも、洗いあ

今年もよろしくお願いします

昨年は、なんと、18本しかアップしませんでした。つまり、1.5本/月というペースだった計算になります。仕事も2年目でしたし、そんなに忙しかったとは思わないのですが、とにかく、心に余裕がなかったというか、ネタを探してまでブログを書こうとは思わなかったというのが正直な気持ちです。 今の自分の文章力の基礎は、中学2年生の時から10年間ほぼ毎日、日記をつけ続けたことによってある程度形作られたものなのかなと思います。しかし、現在は日記をつけているわけでもありませんので、自分自身を振り返るための機会としても、また文章力をキーブするためにも、なるべくブログを書くことができたらと思います。 ブログを書こうとなかなか思えないというか、思い切らないとなかなか書く気になれないのですが、それは、一つは、TwitterやFacebookの多用により、そんなに大した内容ではなかったり、必ずしも話の落ちが無かったりしても、投稿できてしまうという辺りの感覚に慣れてしまったからなのかなとも思います(かと言って、ブログに書くことに毎回オチがあるというわけでもありませんが)。 やはり、人間、どうしても、安易な方に流れていく傾向がありますね。  (^_^;) 気を引き締め直して、2013年も頑張ってみたいと思います。 ・・・特にブログ。