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ツキを呼ぶ魔法の言葉

ある教会員の方からプレゼントしていただいたのですが、 『五日市剛さんのツキを呼ぶ魔法の言葉』 という本というか小冊子を読みました。 わずか50ページなので、 本当にすぐに読めてしまうのですが、 なんだかとっても不思議な感覚に捕われる本でした。 内容をあまり詳しく書いてしまうと いわゆるネタばれというヤツで あまり良くないと思いますので、 ごくごく簡単にご紹介しますと、、、 五日市さんという方がイスラエルを旅行したときに出会った 一人のおばあさんから教えてもらった 言葉の大切さについて書かれています。 そのおばあさんが教えてくれたのは、 人生にはツキがあって、そのツキを呼ぶためには、 何か良くないことが起きたときに「ありがとう」と言い、 こうなってほしいなという願望があるときに 「~になって感謝します」と言いなさいということでした。 それから、 汚い言葉は絶対に口にしないということと、 人の悪口は決して言わないということ。 そのたぐいの言葉を口に出すとツキが逃げてしまうというのです。 そうかと思った五日市さんが 日本に帰ってきてから実際にそういう習慣を身につけたところ、 不思議とその後の人生がツキまくってしまったとのこと。 もちろん、私たちクリスチャンは、 この世の人生がツイていればそれで良い という考え方をするわけではありませんが、 しかし、神様は、この世においても 私たちが幸福に生きることを望んでおられるわけですから、 より良い人生を送るための努力は必要だと思います。 そう考えると、 私は聖書の言葉を知りながら、 いかに聖書の原則を実生活に活かしていないかということを 思い知らされました。 というのは、聖書の非常に有名な聖句に、 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。・・・すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」 (Ⅰテサロニケ5:16~18,21,22) という言葉があって、 すでに知っているどころの騒ぎではありませんので。。。 ところが、この言葉を目にしても、 いらんをはじめとする多くのクリスチャンは、 「いつも喜んでいるとか、どんなことにも感謝するとかって、 順境の時は良いとしても、逆境のときは、難しいことです

死後の状態

他教派のクリスチャンの方で、 最近うちの教会に来ておられる方から、 相談の電話をいただきました。 昨年亡くなったお母様の遺骨を部屋に置いているのだが、 納骨はなるべく早くすべきものなのだろうか?と。 何故そのようなことをお尋ねいただくのかが 少々気になりましたので、 誰かに何かを言われたのですか?と聞くと、 他の教派の方から、 最近あなたが連続で病気になったのは、 恐らく、早く納骨をしなかったからだろうと言われたというのです。 確信を持って言われたわけではないにしても、 その可能性を否めないので、 納骨は早く済ませたほうが良い、と。 それから、他の教派の牧師さんには、 遺骨をいつまでもお部屋に置いておくと、 亡くなったお母様のあなたに対する強い思いが、 悪霊に変化する可能性がある、と言われたとのこと。 これは、聖書の解釈の違いによって生じる意見の相違だと思うのですが、 死は眠りであって、死者には意識が無いと考えるSDA教会からすれば、 上記のような考え方は、まったくナンセンスですので、 いらんとしては、電話をくださった方に対して、 そのような心配は全く要らないということを申し上げました。 しかし、解釈の違いとはいえども、 遺骨をいつまでも置きっぱなしにしたことによって 自分が病気にかかってしまっただとか、 亡くなった人の気持ちが悪霊に変化するだとかいうことであれば、 それは、日本古来の宗教と言いましょうか 霊界についての考え方と、さして変わらない気がします。 霊の世界のことについても、 かもしれないとか、可能性があるとかいうレベルではなく、 明確に示してく必要を感じます。 今、スピリチュアルなことがよく取り上げられ、 いろんな人がいろんなことを言う中で、 聖書という基準を持っている我々クリスチャンが、 聖書が人間の死後の状態について何と教えているかをしっかり学び、 正しい光を掲げていく大切さを、改めて感じました。