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弘前出張記(移動編)

青森県の田舎館村に青森南教会というところがありまして、そこで礼拝のお話と午後の防災・減災講話を依頼されたので、1泊2日で行ってきました。 普段遠方に出かける時は、経費削減のため、飛行機の早割等を利用するのですが、今回は1週間前まで旅行の手配をするのをすっかり失念してしまっていたため、飛行機は特割便でも往復4万円を超えてしまい( 羽田ー青森便 はJALしか飛んでいません)、ホテルパックでも一番安くて41,000円だったので、じゃらんで見つけた 新幹線ホテルパック を選択しました。 日本旅行 の赤い風船という名称の国内ツアーパックで、4日後に迫った旅行でも受け付けてくれたので大変助かりました。 東京-新青森の新幹線往復指定席券+弘前までの在来線運賃+ホテル素泊まりで、価格は35,800円。新幹線の座席は指定することができないというのがネックでしたが、とにかく経費を抑えなければならないので、今回はたとえB席(3列の真ん中の席)でも我慢しなければと思い、イチかバチかで注文してみたら、行きはA席(3列の窓側の席)、帰りはE席(2列の窓側の席)が取れて、往復ともにすぐ隣には人がいなかったので大変快適に旅行をすることができました。 はやぶさ号とこまち号 (盛岡で切り離されて、こまち号は秋田に向かいます) ねぶた祭りや田んぼアートなどのイベントがあるシーズンでもないですので、まぁそんなもんかとも思ったのですが、やはり、東海道新幹線は週末の便を4日前に抑えて隣に誰も座らないということはまずあり得ないので、やはり東北新幹線は利用者数が少ないことを思わされます。快適に旅行ができてありがたかった半面、経営は大丈夫なのだろうかと心配してしまいます。 東京-新青森間は、はやぶさで3時間強。列車には「新函館北斗」行きであることが表示されており、新幹線で北海道に行けるようになったことを実感させられます。新青森から新函館北斗までは約1時間のようです。 新青森で在来線に乗り換えて、奥羽本線でホテルのある弘前に向かいました。乗り換え時間が10分以内だったのと、1本逃すと次は30分後だったりするので、迷わないようにしなければと思ったのですが、仙台駅などと違って在来線は奥羽本線しかないため、迷うべくもなく、普通に歩けば5分もかからずに乗り換えができました。 新青森から...

NTTからのチラシ

今日、こんな案内がNTTから届きました。 A4サイズの印刷物。 なんだろう? 開封して読むと、もう少ししたら局内設備を切り替えるから、その時は・・・手続き不要、回線工事不要、機器の交換不要です。 ん? ってことは、つまり、何もしなくても良いってことでしょ? 何でこんなことわざわざ郵送料かけてお知らせしてくるの? と思ったのですが、しばらくして「あ!」と気づきました。 あぁ、そうか、 詐欺に関する注意勧告 が目的だったんですね。 今度、NTTの局内設備を交換いたします。その際、現在お使いの電話機器は一切お使いになれなくなるため、早めの交換をお勧めいたします。 みたいな感じの案内、来そうだと思いませんか? しかし、改めて、妙な時代になったもんです。

そして、凍結

ドカ雪が降った後、ご近所の皆さんと雪かきをしました。 北海道の人たちは、スコップで除雪することを「雪はね」と呼びますが、こちらの重い雪は「はね」るレベルではないので、やはり「雪掻き」がふさわしい表現だと思います。 陽が高くなるにつれ、雪もかなり融け始めましたので、そこまで気合を入れて雪かきをしなくても良いかなという思いもあったのですが、夜気温が下がった時のことを考えると、やはり凍結が心配なので、なるべくアスファルトが見えるところまでと思って頑張りました。 が、私は仕事もあって時間切れになってしまったので、あとは、ご近所の(主婦の)皆さんにお任せせざるを得ず・・・。 皆さん、とても頑張ってくださって、町内の生活道路のほとんどが人も車も安全に通れるレベルになりました。感謝! みんなで頑張りました! 仕事帰り、凍結がこわかったので、なるべく早く帰ろうと思っていたのですが、退社したのが夜8時半頃。電車とバスを乗り継いで帰宅した時には、10時半近くになっていました。 そしてその分気温も下がり、すでにしっかり氷点下。アスファルトの上の濡れたところが、キラキラ、否、ギラギラ光り始めています。 スマホをポケットにしまい、両手に手袋をし、リュックを両肩で背負って、両手をフリーにして、転んだ時の対策を充分した上で、でも、滑らないように気をつけながら歩きました。 1キロくらい歩いて、結構大丈夫だなと思い始めたその矢先、少々下っている斜面に差し掛かったと思ったら、不意に自分という存在が一瞬で消えてなくなりました。 そう・・・足を滑らせて尻もちをついたんです。 厳密に言うと、手を先についたので、尾てい骨を強打!みたいなことはなかったのですが、でもその分、手首が痛くなりました。 そして、こういう時、痛切に感じるのは、体重は軽い方が良いということ。 滑って転ぶなんて、北海道にいた時以来の経験でしたが、でも、大けがをするようなこともなく、守られて感謝でした。 前の日に北海道出身者の方が、フェイスブック上に雪道の歩き方を載せておいてくださったこともあり、両手をフリーにしておいて良かったと思いました。これでスマホを見ながら歩いていたりしたら、恐らくどこかをひどく打つなどしていたのではない...

ドカ雪

今日の雪は、すごかったですね。 特に東京以西の関東圏に、かなり降ったようです。大阪に親戚がいますが、大阪もみぞれだったということなので、広範囲に雪をもたらした低気圧でしたね。 私は渋谷へ出勤したものの、自宅のある横浜で大雪になっていると聞き、午後2時過ぎには帰宅することを決めました。 帰りの電車は3時前なのに結構混んでいたので、早く帰った人たちがそれだけ多くいたということで、一般の企業なども、帰宅困難者を出さないための意識は、それなりに高まってきているのではないかと思いました。 電車は徐行運転で、路線バスもチェーンを履かせていることもあって(スピードが出せず)遅れていて、しかも、終バスですかと思ってしまうくらいの超満員でした。 路線バスを降りてから帰る道が・・・ 私が帰宅した後、近くで路線バスが電柱に突っ込んだとか、駅で入場規制がかかったとか、いろいろとニュースが入ってきました。 さすがにそろそろヤバそうだから帰るか、と、みんな考えることは一緒なので、一歩先に行動を起こすことができると、結果的には時間のロスを少なくすることができるのではないかと思いました。 というわけで、今後も、冬の爆弾低気圧はもちろんのこと、夏場の台風接近時なども含めて、一歩早めの行動を心がけたいものだと、改めて思わされました。

トランスフォーメーション

ある看護師さんから聞いた話です。 胎児の心臓と新生児の心臓の大きな違いについて。 胎児の心臓には、動脈管と呼ばれる動脈と静脈との間をつなぐバイパスがあります。それじゃぁ二種類の血が混じっちゃうじゃん!と思われたあなた、正解です。混じってしまうのです。 しかし、胎児の場合、まだ肺機能が動き始まっていないので、自分の中で血液のガス交換をする機能はありません。それは、お母さんがやってくれているため、胎児にとって大切なことは、できるだけ血液を効率的に体中に届けることなのです。それで、胎児の動脈と静脈の間にはバイパスがあり、あまり圧力をかけなくても血液が行き巡るようになっています。 それが、生まれた後、最初の呼吸をするために肺に空気が入る瞬間に、その圧力で動脈管は閉じ、二度と開くことはありません。 時々、動脈管が閉じない赤ちゃんがいるのですが、生まれた後は動脈と静脈を流れる血液が混じってはいけないため、カテーテルを入れるなどして人為的に閉じてあげる必要があるのだそうです。 このように、心臓と肺の機能を考えただけでも、生まれる前と後では人間は全く違う存在になるのだと思わされます。 まさにトランスフォーメーション、ですね。 なお、胎児の気道は体内では羊水で満たされているのですが、狭い産道を通って出てくる時に圧力で自然と押し出され、生まれた後に最初の呼吸がしやすくなる作用があるとのこと。ですので、帝王切開で生まれてくる赤ちゃんには、吸引をしてあげる必要があるようです。 ちなみに、産道には、生まれた後の赤ちゃんを病気から守るのに必要な細菌がいることが分かってきたようで、帝王切開で生まれる赤ちゃんには、お母さんの産道から採った成分を肌に塗るといったことも、最近の産科医はするのだとか。 何一つ無駄なことはなく、本当に「備えられた」中に私たちは生み出され、生かされているのだなと思います。

『「社会を変える」を仕事にする』

著者のインタビュー記事を読んで、この人の書いた本があれば読んでみたい!と無性に思って、図書館で借りて読んだ本です。 駒崎弘樹『「社会を変える」を仕事にする』(筑摩書房、2011年) 本書は、著者がフローレンスというNPO法人を立ち上げるに至るまでの遍歴と、病児保育サービスをどのように始め、展開していったかを綴ったものです。 随所で、本人の気持ちがどのように移り変わっていったのかを赤裸々に描写しているので非常に読みやすく、共感を覚えながら読み進めることができます。そもそも文庫本ではありますが、あまり読書スピードの速くない私でも通勤時間を利用して2日で読み終えてしまいました。 著者が、日本社会におけるエスカレーター方式の「出世」の在り方に違和感を覚えたのは、中高一貫校を受験したときのことだというので、相当のマセガキだったのだと思われます。でも、その頃から、塾の先生が言うことはおかしいという冷静な考えを持つことができたというのは、生まれつきの能力なのか、育った環境なのか、はたまた彼が学生時代の学びの中で身につけたものによるのかは判りませんが、いずれにしても彼はそういう頭脳を持ち合わせており、その意味で彼は「召された」人なのだなと思います。 そして、大学生の時に、社会の役に立ちたいと思っている、自分の内なる思いに気づいてしまった時から、NPO法人を立ち上げ、当時まだまだ社会が認知していなかった「病児保育」の分野に着目し、一つのビジネスモデルとして育て上げるまで、彼の走るべき行程は最初から備えられていたようにも思えるのです。まさに「使命」そのもの。 試行錯誤の末にようやくたどり着いたビジネスモデルを、いとも簡単に行政にパクられ、それが全国展開をし始めた時の著者の狼狽ぶりは当然のことと思うのですが、彼を諭す、今の介護保険制度の元を作ってやはり国にパクられたNPO代表の方の落ち着きようは異様なほどに思えました。 しかし、国の制度として採り入れられてしまうほどのイノベーティブな仕組みを作るような人たちというのは、完全にフォーカスが「他人」それも「目の前で困っている人たち」に合っているわけで、そのような完全なる利他主義に生きることができる人だけが、誰も考えもしなかったような社会の仕組みを作ることができるのだと思わされました。 駒崎氏の素晴らしいところは...

A社の企業姿勢

最近、通販最大手A社の商売が雑だなぁと思います。 私は同社が提供している速達便がいつでも使えるP会員ですが、ここ2回ほど、WEB上でも、注文後の確認メールでも、この日に届くと表示された期日までに届かないことがありました。 それなのに何の説明もないんです。商品の到着が遅れますという連絡のメールすらもないんです。 ひどい時は当初の予定よりも3日も遅れたことがありました。ですが、まるでもともとそうであったかのように、そしてそれがまるで当たり前であるかのように、当初表示されていたのとは違う到着日が表示されたメールが届いて、それでおしまい。 それに対してクレームをつけることがなければ、何事もなかったかのように処理されて終わるのです。 遅れるのは仕方がありません。約束を守れないのも、まぁ、私だってそういうことばかりですから、理解できます。ただ、その時に必要なのは、お詫びだったり、釈明だったりするのではないでしょうか。 それが一切無いことに関する違和感は、ハンパないです。 ちなみに、カスタマーサービスに電話をしてみましたが、機械と話しているのではないかと錯覚するほど詫びの言葉を繰り返し、500円のクーポンやP会員の有効期間の延長を提供することによって黙らせようとします。そうしたことがすぐに提示されるので、マニュアルの中にあるのでしょう。 ですが、そんなものは要りません。ただ、事前の説明がほしいだけなんです。 というのは、顧客というものは、商品の質や価格もそうですが、特に通販の場合は、いつ手に入るのかということを考えて注文するものだからです。 例えば、10月15日に使いたい商品があるとします。A社のサイトを見ると、10月14日までに届くと表示されている商品があったので、それだったら前日に商品の確認をした上で15日に使えるなと思って注文をします。 本当はそれではなくて他のメーカーのものが欲しかったりしますが、14日までに届くとされているのがその商品だけなので、買い物に行く時間も割愛できるし、それでいいやと思って注文するわけです。 ところが、10月14日の夜になって受け取ったのが、商品ではなく「先程発送しました、到着は10月15日の予定です」というメール。 えー、だったら、多少値段が高くなったとしても、昼間のうちに近くの店に行って買っ...

確信犯の意味

「確信犯」という語の意味をご存知でしょうか? 私はこれまで、確信犯とは、自分がしていることが 悪いことである と判っていながら犯行に及ぶ人のことを指すとばかり思っていました。 ところが、違うんだそうですね。 確信犯とは、自分がしていることが 正しいことである との確信のもとに行動を起こす人のこと(そしてそれが結果として犯罪である人のこと)を指すのだそうです。 ところがところが、辞書を引いてみると、次のようにあります。 かくしん‐はん【確信犯】   1 道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。 2 《1から転じて》悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為。また、その行為を行った人。「違法コピーを行っている大多数の利用者が―だといえる」 [補説]「時間を聞きちがえて遅れたと言っているが、あれは確信犯だよね」などのように、犯罪ほど重大な行為でない場合にも用いる。2の意はもともと誤用とされていたが、文化庁が発表した平成14年度「国語に関する世論調査」では、1の意で用いると回答した人は16.4パーセント、2の意で用いると回答した人は57.6パーセントという結果が出た。 (goo辞書  http://dictionary.goo.ne.jp/jn/38874/meaning/m0u/ より) つまり、元々の意味は、自分がしていることが正しいことであるとの確信のもとになされる犯罪のことであったにも関わらず、誤用とされている意味と理解していた人が大半を占めたため、辞書上でもそれを載せざるを得なくなったということなんですね。 「全然」は「全然かなわない」など本来は否定形と一緒に使うのが正しいが、最近は「全然大丈夫」など肯定形と一緒に使うことが増えたため、辞書上でも、両方の用法がアリだとせざるを得ない状況があるのと同じだということですね(でも、さらに遡ると、元来「全然」は肯定形と一緒に使われていて、誤用とされていた否定形と合わせて使う形が一般に広まっていたため、やがてはそれが正しい用法であるとされるようになったと聞いたことがあります)。 言葉ひとつをとっても、何が絶対的に正しいということは言えないというのが、面白いところだなと思います。

パラグアイ出張記(街中ぶらぶら編)

そんなにたくさん「ぶらぶら」したわけではないのですが、仕事の合間にちょっと散歩をしたときに目に留まったものを少しご紹介します。 まずは、これ。ラパチョの花。 例年8月中旬以降にならないと咲かないとのことだったのですが、気候変動の影響もあってか、今年は7月下旬から咲いていました。 桃の花のような雰囲気で、濃いピンクの花が、ポッポッと枝に付いている感じがとても和みます。そして、パラグアイの青い空によく映えます。 このラパチョが街のあちこちに植わっていて、春の到来を告げてくれます。 なお、ラパチョには黄色と白もあるとのことで、地元の方に伺うと、黄色が一番好きだという意見が一番多かったように思います。 こちらは、路駐の様子です。一方通行の道の両側にずらっと車が駐められています。 夜や週末になるとこの列はなくなるので、基本的には仕事などの用事のために駐めている人が多いのだとは思うのですが、これだけの車が路駐すると、当然のことながら交差点の見通しが悪くなりますし、交通の流れも悪くなります。 明らかに路駐が原因で渋滞している場面にもしばしば出くわしますので、少しくらい取り締まらないのかなと思ったりもしますが、これが彼らの文化なのでしょうから、まぁ、良しとしましょう。 こちらは、建設中のビルです。 よく見ると、上層階までレンガが積み上げられています。でも、地震が来たら、ものすごい崩れ方をするだろうなと思いますし、倒壊しなかったとしても、上の方からレンガが降ってくるだろうなとも思いますので、あまり賛成できません。 パラグアイはこれまでに大きな地震が、ほぼ全く起きたことのない場所なのだそうです。まぁ、そうでもなければ、こんな建て方はしないですよね。 こちらの建物は、何階建てになるかは判りませんが、この工法にご注目、です。 ネパールで見たのと全く同じ建て方です(ネパールの場合は、支え棒が木や竹でしたが、パラグアイは金属製ですね)。 どういう建て方かと言いますと、最初に柱を作り、その後、たくさんの支え棒を立てながら天井を作ります。最後に壁を作って(恐らくその段階で梁を渡して)、天井の支えができたら支え棒を抜くというシンプルなものです。 ネパールでもそうでしたが、この工法で建てられた建物は、もし地震が来て壁が...

子育てについて

私は現在3人の子どもを持つ親です。 結婚して、最初の10年間は子どもがなかったため、子どもが与えられるということについて、いろいろと考えさせられる時間があったと、今振り返ってみて、そう思います。 子どもが与えられるということ、その子をどのように育てるべきかということについて、どのように考えるべきかについては、これは、やはり、どうしても、一つの原則が必要になってくると思います。というのは、子育てについての考え方は百人百様だからです。 特に最近のニュースを見ていて、そう思います。 目を離している間に子どもがゴリラの居場所に落ちてしまい、ゴリラが射殺された話。言うことを聞かない子どもを車から降ろし、数分後に戻ったら子どもの姿が見えなくなり、捜索願を出した話。 どちらについても、ネットでは親に対する批判の嵐。さもありなんという感じです。 ただ、私は、批判をする輩に対して、一つ言いたいことがあるんです。 それは、 親の過失をあげつらって、責めるべきではない ということです。 イエス・キリストが言われた言葉で表現するなら、 罪のない者が、この女に石を投げなさい ということです。 親だって人間です。24時間子どもを監視することはできません。時には、人から見れば「行き過ぎ」と思える形の躾をすることもあります。みんな、その時その時で精一杯やっているんです。」 もちろん、これは、だから、どう育てたって構わないという意味ではありません。親には果たすべき責任があります。これに関しては、誠心誠意、果たさなければなりません。 でも同時に過失もあるんです。偶然もあるんです。意図に反して、たまたまそうなってしまったということも起き得るんです。 ネット上の批判を眺めていると、どれも、過失は赦されない、偶然はあり得ない、親は常に完璧でなければならない、というふうに読めます。 じゃぁ、そう言うアナタには、意図せずとか、思いの外とか、意外にもということは、起こり得ないんですね? と聞きたくなります。 聖書によれば、子どもは皆、本来、神様の大事な大事な子ども(聖書では「魂」という言葉で表現されています)です。神様はそれを、子どもを育てたいと願う我々不完全な人間の手に委ねてくださっているのです。本当は神様ご自身がその子を育てたほうが良いに...

高速道路の最高速度引き上げについて

高速道路の最高速度が現在の時速100キロから120キロに引き上げられる方針が固まったようですね。 改めて、120キロかぁ。。。と思ってしまいます。 もちろん今の車にとっては屁でもないスピードですし、安全面についても100キロと比べてそう大きくは違わないのでしょう。 ただ、120キロ制限の区間では130キロ(場合によっては140キロ)くらい出しても取締りの対象にはならないということになります。 そうなると80キロで走っているトラックとは50~60キロ差ですからね。 いくら実勢速度(実際に車が走っているスピード)がそうだとは言っても、現在140キロで突っ走る車はほんの一握り。それが大多数という話になってくると、かなり状況が変わるのではないかと思います。 追い越し車線を走るほとんどの車が140キロ前後でぶっ飛ばしているわけです。そこへ、80キロで走るトラックを抜かそうと、90キロで走る他のトラックが(追い越し車線へ)出てくるわけです。 時速50キロから0キロに落とすのと、140キロから90キロに落とすのとでは、要する時間が違います(と思います。運動エネルギー量が違いますから)。 あー、もう、その瞬間を想像するだけでも怖い・・・。 あと、ハイブリッド車に乗っている私が気になるのは燃費。高速になると急に悪くなります。 私は、時間がある時は、クルーズコントロール機能を使って80~90キロくらいで一番左側の車線とトラックたちと一緒にノロノロ走ります。それで、我が家のVOXYで(親子5人乗車で)リッター20~22キロくらいです。 それが100キロになるとリッター19キロ前後にがくんと下がります。120キロ巡航はさせたことがありませんが、恐らく15~16キロ程度になってくるのではないでしょうか。だとすると140キロ出した時の燃費はどうなることやら。 「実際に車が走っているスピード(実勢速度)と規制速度の隔たりを解消し、取り締まりへの理解を広げることが狙いだ」というのもそもそもどうかと思います。それって、取り締まる側の都合しか考えていない発案かと。 それはさておいたとしても、でもやっぱりスピードを上げても構わないよと言うのは、地球環境を考えなければいけない時代の流れに逆行しているのではと思います。 もちろん、世界で開かれる環境会議...

disる

最近、私と同年代の人間の口からも「disる(ディスる)」という言葉が聞かれるようになってきたので、その不思議な和製外国語と思しき単語が何を意味するのかを知りたいと思いました。 ネットで調べれば一発なのでしょうが、でもその前にちょっとだけ自分なりに考えてみました。 disが英語なのであれば、否定の意味になる接頭辞ですから、disだけでは何の意味も持たないわけです。 しかも、今パッと思いつくだけでも、disappear, disappoint, discount, discover, discharge, discuss, dispatch, distribute, disturb などなど、一般的な会話でも普通に使われる語がたくさんありますから、一体こうした語のうちのどれを取って「disる」などという、それを聞いただけではおよそ何を意味するのかがほぼ全く分からない使い方をするのだろうと思ってしまうわけです。 良く耳にする使い方としては、「いゃ、別にdisっているわけではないんですよ」みたいな感じでしょうか。否定的な意味合いで使われる言葉であることは想像ができます。 さて、それでは検索をしてみましょう。数あるdisで始まる単語を代表する形でdisるに使われることになった栄誉ある単語は一体何でしょうか。 あー、ありましたありました。えー! なんと、disrespect でしたっっ!! respect が尊敬するという意味で、その反対の意味ですから、尊敬しない、つまり軽蔑するという意味なのでしょうね。 何でそんなに微妙な言葉が、日本人の普段の会話に導入されるようになったのでしょうか。 あるツイートには、disrespect は米国のヒップホップミュージシャンたちが他人をけなす時に好んで用いていた表現だと説明してありました。ただし「dis」ではなく「diss」と表記していたそうなので、「disる」は厳密に言うと間違いらしいです。 いずれにしても、この表現がネット上に広まり、今ではヒップホップミュージックファン以外の人たちの間でも使われるようになってきたということでした。 なるほど、経緯を見れば、そういうことなのかーと思いはするものの、でも経緯を知らなければその意味は分からないままです。和製...

遺贈寄付について

外務省主催のシンポジウムに行ってきました。 お題は、遺贈寄付と国際協力NGOについて考えるというもの。 遺贈寄付とは、自分の遺産を相続する代わりに、非営利団体などに寄付をするというもので、基本的には信託銀行を通して遺言書の作成などの手続きをするようになっています。 これが日本ではまだまだ一般的と言えるものではないのですが、特に日本国内で公益法人格を取得して活動しているNGOが先駆けて、支援者の方々に遺贈寄付をお願いすることをしていて、その事例報告と今後に向けての提言を行なうというシンポジウムでした。 ADRA Japan としても、遺贈寄付のお願いをしていきたいとは思っているのですが、なかなかそのための労力を割くところまでいかず、どうやったら始めることができるかと思案している段階です。 今日のシンポジウムでは、まず、公益法人協会の理事長の方が、現在、公益信託制度に関する法律が抜本的に改革される段階に入ってきていることをご紹介くださり、現在は基本的に信託銀行が受託者になることになっているものが、今後規制が緩和され、公益法人や認定NPO法人なども公益法人の受託者になることができる見込みがあることを教えてくださいました。 ADRA Japan も現在認定NPO法人になるステップを踏んでいる最中ですので、今後、ADRA Japan 自身が公益法人の受託者になり、支援者の皆さんに対して、遺産で基金を設立しませんか?といった働きかけをすることが、これまで以上に積極的にできるようになるという可能性が出てくるというわけです。これは耳より情報だったと思います。 それから、遺贈寄付に関して、日本のNGOを対象に行った調査の報告もありました。日本ではまだ遺贈寄付をしてくださる方の数が非常に少ないということや、比較的相続財産の寄付をしてくださる率が高いことなどが報告されていました。 最後は、遺贈寄付のお願いを積極的に行っている団体の役員や、弁護士、コンサルの方などをパネラーとするパネルディスカッションがありました。モデレーターの方が非常に上手に進められたので、もう少し聞きたいなと思っているところをたくさん聞くことができました。 特に心に残ったのは、遺贈寄付をお願いするということは、早く死んでくださいと言わんばかりのお願いになってしまう気がして、あまり積極...

耳の機能について

年末、インフルエンザのA型を発症し、全治10日間というところだったのですが、今回は子どもたちが幼稚園からもらってきたインフルエンザB型を見事に受け継ぐこととなり、先週は1週間自宅で過ごしました。 B型には症状がいろいろあるようですが、今回の私の場合は熱は高くても39度で、咳も鼻水もA型の時ほどではなく、胃腸の調子が悪くなるわけでもなく、なんとなく身体がインフルエンザっぽいゾクゾク感を覚えていたくらいのことで、結局医者で処方してもらったタミフルを飲むこともなく、1週間でまた元通りの身体に戻ることができました。 が、今回は、どうやらウイルスが耳に回ってしまったようで、インフルエンザを発症した2日後に、小学生以来の中耳炎になってしまいました。 自宅で仕事をしていたので、スカイプで会議をしていたのですが、書記を担当したこともあり、話の内容を聞き漏らすまいとして音量を高めに設定していたのも良くなかったのだと思います。約2時間の会議が終わった後、イヤホンを突っ込んでいたほうの左耳に違和感が出始め、そのまま炎症を起こしてしまいました。 いやぁ、痛かったのなんの。 小学生のころの自分が、痛くてグズグズ泣いていたのも理解できる気がしました。 そして、耳鼻科に行って、医者から「これは痛かったですね」と言ってもらって、一気に救われた気がしたという・・・。あぁ、ここに分かってくれる人がいた!みたいな。 そんなこんなでここ10日ほど、片耳が不自由な生活を送っているのですが、その中で耳が2つあることの意味を感じさせられています。 一番大きな気づきだなと思っていることは、必要な情報のみを得るために、耳はいつも「聞き捨て」あるいは「聞き流し」の作業をしているということです。 というのは、片方の耳からしか情報が入ってこないことにより、急に音の選別が難しくなるのを感じたからです。 片耳でも音の強弱はもちろん、ある程度の方向も分かります。ところが、周囲の雑音が大きくなればなるほど、一番聞きたい相手の声を聞きとることが難しいのです。例えば走行中の自動車の中やショッピングモールなどでは、耳元で話してもらわないと、自分に話しかけられていることすら判りません。 これは、つまり、耳は両方聞こえていることによってはじめて必要な情報とそうでないものを選別することができるとい...

インフルエンザ

年末、約20年ぶりにインフルエンザに罹りました。 前回罹ったのは牧師2年目が終わろうとする春先、青年たちの海外奉仕活動の引率としてスリランカに出かける直前のことでした。高熱でどうしようもなくなっていたところへ先輩牧師が現れ、私を病院に連れて行き、予定を1週間遅らせる措置をとってくれました。結婚前の独身の私には、一人でどうすることもできなかったので、非常にありがたかったのを覚えています。 それ以来、予防接種をすることもなく、しかしインフルエンザに罹ることもなかったのですが、昨年末はしっかり捕まってしまいました。 11月末、ネパールに出張に出かける日に39度の熱を出してしまったのですが、休むわけにもいかず、そしてこの時は体の感覚からしてインフルエンザではないだろうなという確信めいたものがあったので、頑張って出かけました。 約半日かけての移動中に、熱が完全に上がり切り、翌日にはかなり楽になっていたので、葛根湯を飲みながら約10日間の出張を乗り切りました。 かなり改善していたものの、帰りにタイに1泊したことで、ネパールとの気温差と、きつめの冷房とでまたしても風邪をひいてしまいました。 風邪をひくことを英語でCatch Cold (風邪を捕まえる)と表現しますが、まさにそんな感じで、自分からわざわざ捕まえに行ってしまったという気分でした。 その風邪が日本に帰ってからもなかなか治らず、ずっと37~38度台の熱があり、しかし38度では仕事を休む理由にはならないと思って、週末もほとんど休みなく働き続けた結果、ついに今度はインフルエンザを捕まえることになってしまいました。 天皇誕生日くらいから熱が高くなり始め、咳が出始め、そして急に仕事をする気持ちが失せてきました。翌日の朝、起きたくないと思った時は、もしかして自分は鬱になってしまったのだろうかとも思いました。本当にやる気が起きなかったので。 さらには食欲が減退し、いよいよおかしいなと思いましたので、熱が上がったらインフルエンザかもしれないと考え、一晩様子を見ることにしました。 するとその日の夜中に40度近くの熱が出たため、翌日病院に行ってみたところ(インフルエンザの検査はたいていどこのクリニックでもしてくれるようです。でも一応「自分の住んでいる地域名、インフルエンザ、検査」というキーワードで検...

ありがた迷惑

専門的な勉強をしたこともありませんし、そんなに詳しいとも思っていないのですが、中学2年生の頃、MS-DOS の時代からパソコンに触っているということもあり、何となくですが、ごくごく一般的なレベルよりは少しだけパソコンに関する知識はあるのかなと思います。 加えて私の偉そうな態度も手伝って、パソコンのことはうらしぶちょうに聞くべしという感じの雰囲気になっていることもあり、ADRA Japan ではPC整備係をしています。 夏のインターンを数名受け入れるに際し、皆さんに使っていただくパソコンの整備をすべく、スタッフからのお下がりの数台をイニシャライズしています。 この時に感じるのが、パソコンを作っている企業の姿勢の違いです。 大きく分けて2つあると思います。 1つは、なるべく余計なものを入れずにシンプルな状態の機器をユーザーに渡そうとする姿勢。もう1つは、Windows だけじゃ不十分だし使いづらいでしょ?だから我が社オススメのユーティリティーをプリインストールしておきますよという姿勢。 ひところ、I社やT社は前者の姿勢だったため結構好きで通算で数台購入したのですが、I社は中国企業に身売りしちゃったこともあって何となく気持ちが離れてしまったのと、T社は徐々に上述の後者の姿勢になってきたこともあってその後は一切手を出していません(その後、シンプルさが気に入って一度購入したG社もやはり中国企業に身売りをしてしまいました(泣))。 ここ数日でイニシャライズをかけた数台のパソコンはいずれもT社のものなのですが、プロダクトリカバリーをかけて最初に表示されるデスクトップを見て愕然とします。マニュアルの類であったり便利ツールの類であったりするもののショートカットアイコンがずらっと15くらい並んでいるんです。 さらに、プログラムの追加と削除の画面を見ると、どう考えても使わないプリインストールソフトが30近くあります。そしてそいつらのほとんどが常駐する設定になっているため、パソコンが重いの何のって。システムが起動してからHDDランプが消えるまでの時間たるや…って感じです。 そういうソフトを一つひとつちまちまとアンインストールしていくわけですが、その作業に2時間とかを費やすわけです。 ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~ まったく、こういうのって、ありがた迷惑...

余裕をもって生きる

自分のFacebook 投稿からの転載+補記。 自治会の会合があって、いつもより早く帰りました。 そうすると、いつもよりも電車が混んでいます。当然座れず、座席の前に立ち吊革につかまっていたのですが、ある駅で私の目の前の席が空きました。 私の両脇に立っていたのはどちらも女性だったので、50代後半から60代前半くらいに見える白髪混じりの方に「どうぞ」と席を促しました。 そしたら、その女性(以下の1の場所)、私を挟んで反対側に立っていた(それもすぐ隣ではなく2人目くらいに立っていた)若い女性(3の場所)を、自分の側に引っ張ってくるようにして「どうぞ、座ってください」」と席を促したのです。 その時の位置関係: [女性1][私][女性2][女性3] その若い女性(3)はお辞儀をしながら着席しました。 え?知り合い?と思ったのですが、その後言葉を交わす様子もないので、そうではなさそうです。 その時、ふと、目に入りました。 そう、 「おなかに赤ちゃんがいます」 マークが、です。 座った女性のバッグに下がっていたんです。 おー、おばちゃん、良く見てんなー! と感動しました。 混雑した車内で、しかもあちこちをきょろきょろと見まわしていたわけでもありませんでしたので、いつから気づいていたのでしょうか。 すると、その女性(妊婦さんに席を促した人)は、私に向かってぺこりと頭をさげ、お礼を言ってくれたのです。 いえいえ、そんな、私はおなかの赤ちゃんマークに気づかなかったほうですから。 恐縮してしまいます。 日ごろ電車に乗っていると、なんとなく、我先に!という生き方をするおばちゃんが多い気がしてしまうのですが、この女性のように余裕を持っている人もいるんだなと思わされました。 そして私も、「こんな生き方がしたい」と思える(思ってもらえる)年長者になりたいと、改めて思わされた。

日本人、まだまだ

休日前の終電に乗ろうとする人でごった返す駅のホーム。 乗車の列に並んでいると、私の前に立っていた若い女性が、ある方向にタタタッと走り寄りました。 私からはちょうど壁に隠れる位置だったので、何が起きているのかは分かりませんでしたが、誰かが倒れた様子で、辺りが騒然としています。 ほどなくして、上述の女性が自分の持っていたタンブラーの蓋を閉めながら戻って来て、私の前に並び直しました。どうやら、中に入っていたお水か何かを提供しようとしたようです。 しばらくすると、その女性の前に並んでいたもう1人の女性が、すぐそこにあった自販機で水のボトルを1本購入し、倒れたと思われる人に対して差し出しています。 電車が到着し、列が進んだ時に見ると、酔っていると思われる女性がしゃがみ込んでいます。 一瞬、どうしようと思ったのですが、駅員さんが来て対応してくれるかなと思い、そのまま電車に乗り込みました。 こういう時って、いつも、どうすれば良かったのかなと思います。 大体、フラフラになるまで飲むほうが悪いわけで、そんな人を助ける義務は無い。一緒に飲んでいた仲間がいただろうから、むしろ責任はその人たちにある。だが、困ったときはお互い様、だ。自分にだって少なからず人に助けられた経験はある。しかし、終電だったのが悪かった。あれがあと1時間早ければ、駅員さんを呼ぶくらいのことはできたかも知れない。非常ボタンを押すわけにもいかないし、しばらくしたら必ず全体を見回りに来る駅員さんがいるハズだから、何とかしてもらえるだろう。だがあそこにいたということは、彼女も終電に乗りたかったのではないだろうか。いゃ、下手に満員電車に乗ってボミットされても困る。駅員さんに案内してもらってタクシーに乗せてもらうのが良いだろう。・・・ 結論の出ない議論が頭の中で展開されるわけです。あぁ、情けない。 まぁ、しかし、それにしても、私の前に立っていた女性の行動の素早さと自然さはスゴかったと思います。パッと駆け寄っていましたし、しかも自分が持っていた飲み物を提供しようとする姿勢には頭が下がる思いでした。 そして、その後水のボトルを買ってあげた女性もすごいと思いました。しばらく迷っていましたが、それでも、見ず知らずの人に対して100円も払ったわけですから。 日本人、まだまだ捨てたものではない...

スタッドレスタイヤの必要性

ある日の朝、車を運転しながらラジオを聞いていて、関東地方での自動車事故のニュースがたくさん報道されていることに気づきました。 原因は、凍結路でスリップしたと「思われる」ものがほとんど。 中には、登校中の生徒をひいて大怪我をさせたり、バイクと衝突してそのまま逃げたり(バイクに乗っていた方は死亡)というものまでありました。 警察の調べに答えたドライバーは、急に車がスリップし、立て直そうとしたが、車の挙動を制御することができなかったと答えていました。そして、この人は、自動車運転過失致傷罪で逮捕されてしまうわけです(これに対する刑は「7年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金」とされていますので、厳しくとられた場合は懲役刑です)。 思えば、この日の前日は冷たい雨が降り、夜はかなり冷え込んだため、私が夜中に帰宅した時点で、東京都内でも路面がすでに凍結しており、歩いても滑るくらいでした(フロントガラスには、霜がびっしり)。 朝方さらに気温が下がったハズですので、そこをノーマルタイヤで走るなんぞは、普通に考えて自殺行為です。 私も、以前は雪が降らない限りはスタッドレスタイヤを履かせようとは思いませんでしたが、北海道で生活をした後は、一番怖いのは雪ではなく凍結路面だということが分かり、雪の有無に関わらず、冬は必ずスタッドレスタイヤを履かせるようになりました。 特に北海道の人たちが一番恐れるのは、ブラックアイスバーンと呼ばれる路面状態で、雪が無いので一見アスファルトが露出しているようで、実は表面が凍結しているというものです。凍結しているようには見えないので、普通の速度で侵入すると大変なことになります。 この日の朝は、まさにこのブラックアイスバーンが関東地方の各地にできていたのだと思います。 ブラックアイスバーンの場合、スタッドレスタイヤを履いていても、気づかないと非常に危険なのに、ましてやノーマルタイヤで突っ込んだ日には、もう、どうしようもありません。重大事故が起きて当然です。 というわけで、何が書きたいかと言いますと、 関東地方の皆さんも 冬期はスタッドレスタイヤを履きましょう! ということです。 特に最近、気候の変動が激しく、気温の上がり下がりも大きくなっていますので、今日は大丈夫でも明日はどうなるか分かりません。...

震災復興と戦後復興

震災を経験した方々への特に心的サポートということを考える際に、いつもふと思うことは、戦後の日本がどうだったかということです。 各地で大空襲があり、原爆が落とされ、沖縄のような「悲惨」という言葉では表しきれないくらいの状況に置かれた土地もありました。父や兄は戦地へ駆り出され、女性や小さな子どもたちは疎開で見知らぬ土地に行き、家族がばらばらになったまま二度と会えなかった人たちもたくさんいたわけです。 しかし、日本各地が「被災」した状態でしたし、現在のような心的ケアといった視点も無かった時代ですから、ある意味、みんな放ったらかしだったはずで、子どもたちの心の傷は、どうやって癒やされていったのだろうと思います。 他ならぬ私の父親も戦中派ですので、父の人間形成において戦争が及ぼしたところの影響は大きかったと思います(別に父の人間性に欠陥があるという意味ではありませんが、戦争を経験していなかったら、もっと違う人間になっていただろうと思うという意味です)。現在の日本社会は、そういう人たちが中心になって造り上げてきたものであるわけです。今になって様々な歪みが出てきていると言えなくもありませんが、でも他の国々がうらやむほどの発展を遂げてきたということを否定する人はいないと思います。 戦争と自然災害とでは、根本的に質が違うのかも知れません。しかし、住む家を追われ、生活を奪われた人たちが、復興を目指して歩んで行くというプロセス自体は同じなのではないかと思います。 だから、震災を経験した人たちに対するケアが必要ないとは言いません。ただ、支援を行なう上では、何を問題とするのか、どこを(ゴールとして)目指して支援を行なうのかというそもそも論的なところを明確にすることが不可欠だと思います。 単に、大変なことを経験し、まだ元の生活に戻れていないから、コミュニティーに歪みが生じ、不登校の子どもたちが増えているので支援が必要だと言うだけでは、支援が形骸化してしまうことを危惧しています。