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ヨルダン出張記(アンマン空港でのヨルダン入国編)

1週間ほど、ヨルダンに出張しました。 ADRA の世界会議が2年に1回程度のペースで開かれるのですが、今回は何故か会場が死海のほとりにあるホテルでした。 成田から今回はカタール航空で(ドーハ経由で)ヨルダンの首都アンマンに向かいました。 早速本題から外れますが、東京から成田空港に向かう際、これまでいわゆるLCCバス(東京駅の八重洲口付近から成田空港まで1,000円で行けるバス)を利用してきたのですが、今回はなんとぜいたくにエアポートリムジンに乗りました。と言っても値段は同じ1,000円ですが。 19:00以降にTCAT(東京シティエアターミナル)を出発して成田に向かう便は、定価2,800円のところを1,000円で乗れるんですね。今回たまたま乗換案内で検索して知ったのですが、これは使わなきゃという感じでした。 しかも、東京メトロ(地下鉄)の水天宮前駅直結なので、LCCバスと違って外を歩かなくても良いので、天候が悪くても心配ありません。美人なお姉さんが案内してくれるし(なんならターミナルも調べてくれるし)、バス車内の足元は広いし、電源はあるし、空いているし、良いことばっかりです。 なお、こちらのバスを利用する場合、予約は必要ありません(予約できるかどうかはサイトを見ても分かりません)。機会があったらぜひ! 成田空港リムジンバス お得な運賃のご案内 http://www.tcat-hakozaki.co.jp/airport/narita.html?tab=1 さて、本題に戻りまして、ヨルダンのアンマンにある空港についてですが、日本人は1か月以内であればビザが要りません。ですので、短期滞在の場合は、アンマンの空港に着いたら、ビザの要らない外国人のレーンに並んでください(Foreigners Visa Exempted とかいう表示だったと思います)。 入国カードも税関申告書も要りません。ただし、審査官に、どこに泊まるのか、何日間滞在するのかを聞かれますので、答えられる準備が必要です。ホテルの名前と何日間かを答えられればOKです。 荷物を受け取るターンテーブルの付近に両替コーナーがあり、米ドルやユーロのほか、日本円もJD(ヨルダンディナール)に両替することができます。 2019年2月時点のレートは、1JD=155円程度で...

エチオピア航空でアディスへ

これまで、アフリカには2度行ったことがあります。 最初は2012年の南スーダン。首都のジュバと、アッパーナイル州にある2か所の事業地を訪問しました。国内の移動手段はセスナ機。アフリカにおける生活の厳しさを肌で感じた出張でした。 お次は2014年のジンバブエ。首都のハラレと、ゴクウェ・ノース地区の事業地を訪問しました。自動車でひたすら走っていた感じでした。世界一長い直線道路があったり、サバンナで野生のシマウマを見たり、スケールの大きさを感じさせられました。 そして今回、3度目のアフリカは、エチオピアでした。5泊6日の短期間でしたが、ガンベラにある事業地(難民キャンプ)も見ることができ、スタッフが現地で頑張っている姿にも触れ、とても有意義な時間を過ごすことができました。 今回エチオピアへは、エチオピア航空を使って往復しました。現在、成田からアディスアベバまでの直行便が就航しており、毎週日・火・金に飛んでいます。 成田発が21時頃。翌日の朝7時頃アディスに到着します(時差は6時間。なので飛行機に乗っている時間は約15時間です)。 途中、香港に寄るのですが、そこでは乗降客が乗り降りするだけで、アディスまで行く乗客はなぜか飛行機の中で待っていないといけません。約1時間を機内で過ごします。 成田-香港間よりも、香港-アディスのほうが、乗客は格段に多いです。 香港-アディスは9割方の席が埋まるため、オススメなのは、最初から後方の座席を指定すること。(使用機材はボーイング787。エチオピア航空は、日本の飛行機会社以外で世界で初めて787を購入した航空会社なのだとか。現在787を14機も所有しています。787の座席は3-3-3です)真中の3列の最後方などは、隣に誰も座っていない場合が結構あります。そうなると、横になれますから、随分疲れ方が違います。 私は、今回は行きの便、香港-アディス間は隣に人がいて、帰りの便はアディスから成田までずっと3列分の席に1人だったのですが、帰りの方が半分くらいの時間に感じました。 15時間のフライト中、成田→アディス便では、食事が2回出ます。あと1回は軽食。美味しくないよとスタッフから脅されていたのですが、普段あまり肉を食べない私でも普通に食べることができるレベルのものでした。チョイスはビーフかチキン。 食事時...

遺贈寄付について

外務省主催のシンポジウムに行ってきました。 お題は、遺贈寄付と国際協力NGOについて考えるというもの。 遺贈寄付とは、自分の遺産を相続する代わりに、非営利団体などに寄付をするというもので、基本的には信託銀行を通して遺言書の作成などの手続きをするようになっています。 これが日本ではまだまだ一般的と言えるものではないのですが、特に日本国内で公益法人格を取得して活動しているNGOが先駆けて、支援者の方々に遺贈寄付をお願いすることをしていて、その事例報告と今後に向けての提言を行なうというシンポジウムでした。 ADRA Japan としても、遺贈寄付のお願いをしていきたいとは思っているのですが、なかなかそのための労力を割くところまでいかず、どうやったら始めることができるかと思案している段階です。 今日のシンポジウムでは、まず、公益法人協会の理事長の方が、現在、公益信託制度に関する法律が抜本的に改革される段階に入ってきていることをご紹介くださり、現在は基本的に信託銀行が受託者になることになっているものが、今後規制が緩和され、公益法人や認定NPO法人なども公益法人の受託者になることができる見込みがあることを教えてくださいました。 ADRA Japan も現在認定NPO法人になるステップを踏んでいる最中ですので、今後、ADRA Japan 自身が公益法人の受託者になり、支援者の皆さんに対して、遺産で基金を設立しませんか?といった働きかけをすることが、これまで以上に積極的にできるようになるという可能性が出てくるというわけです。これは耳より情報だったと思います。 それから、遺贈寄付に関して、日本のNGOを対象に行った調査の報告もありました。日本ではまだ遺贈寄付をしてくださる方の数が非常に少ないということや、比較的相続財産の寄付をしてくださる率が高いことなどが報告されていました。 最後は、遺贈寄付のお願いを積極的に行っている団体の役員や、弁護士、コンサルの方などをパネラーとするパネルディスカッションがありました。モデレーターの方が非常に上手に進められたので、もう少し聞きたいなと思っているところをたくさん聞くことができました。 特に心に残ったのは、遺贈寄付をお願いするということは、早く死んでくださいと言わんばかりのお願いになってしまう気がして、あまり積極...

イスラエイドの東日本支援

東日本復興支援事業において、ADRA Japan がパートナーとして共に教育支援をしている イスラエイド(IsraAID) というイスラエルのNGOの 事業報告会(Facebook上では「追悼式」と紹介されています) に行って来ました。 震災4日後から東北での活動を開始したというこの団体。主な活動として、PTSD予防活動や被災者体験談アーカイブプロジェクト、次世代育成事業などを行なっています。 今回私が参加したのは、上記の2つ目、被災者の証言や体験談を動画として記録する活動の報告会(追悼式)でした。 Voices of Tohoku というタイトルが付いたこのプロジェクト。基本は、被災者の方が、震災当日のことを振り返って話す体験談や、これまでの復興への歩みの中で感じてきたことなどを、動画で記録するというシンプルなものです。 1人当りの取材時間がどのくらいなのかは分かりませんが、ほんの数分の動画の中に、その人の「声」がしっかりまとめられています。 それもそのはず、このプロジェクトには、日本語で口述歴史とも訳されるオーラルヒストリーの専門家も関わっていて、アカデミックな立場からもきちんとフォローがなされているんです。 震災から時間が経過する中で、被災地の方々が最も恐れていることは、徐々にメディアにも採り上げられなくなり、世界の人々或いは日本の人々の記憶の中から、震災があったということ自体が忘れ去られていくことだ、という話を耳にすることがあります。 そういう中にあって、このようにきちんとした「声」としてまとめられたものが発信されていくということ。それは、非常に大切な支援の一つなのだと思いました。 このVoices of Tohoku についての簡単なパンフレットをもらったのですが、そこには、「東北の真の声をより多くの皆様に届けることを目的としています」ということが、はっきり謳われています。 物資支援なり何なり、他の支援をしていて、その流れで上記のようなことに気づいていくということではなく、最初から、このような支援が必要なのだということを認識しているということ。また、そのこと自体を目的にして活動を行なう勇気というか、先見の明というか、なんというか、それが非常に、敢えて安っぽい言葉で表現するうと「カッコイイ」なと思わされました。 震災後かな...

覚悟の問題

6月は、仕事に追われる毎日で、海外出張があったわけでもないのに、いつの間にか過ぎ去ってしまいました。 その6月の下旬、国連機関主催のリスクマネジメントのセミナーに参加しました。少ない講師陣ながら、とてもよく準備されていて、大変良い学びをすることができました。 圧巻は、最終日に行われたシミュレーショントレーニング。参加者たちがバーチャル事務所を構成し、次々に起きる難事件に対応するというものです。恐ろしく細かく計算されたシナリオに基づき、電話がかかってきたりメールが届いたりするのですが、即席事務所の中の雰囲気が、どんどん余裕がなくなり、アップアップしていくのが手に取るようにわかるようでした。 特に電話をかけてくる役の人たちがすばらしく、国連機関のインターンの方々だったのですが、彼らの迫真の演技にやられました。しばらくの間対応に追われた後、参加者たちは、その日の午後ずっとため息をつきっぱなし。冗談抜きに、ちょっとしたPTSDでした。 さて、このワークショップ中で、何回もグループディスカッションがあったのですが、ADRA Japan も事業を行なっている南スーダンの例をとってリスクマネジメントについて話し合う機会がありました。 できるだけ最悪のシナリオを想定してみようということになり、国境付近の村に派遣されている日本人スタッフが、雨季に銃撃戦に巻き込まれて大怪我をしたという設定にしたのですが、その途端、あれ?これってもしかして、そのスタッフを首都或いは国外の病院に運ぶ手立てが無い?という絶望的なことに気が付きました。 そんなハズはないだろうと思い、ADRA の事務所に帰って、事業担当者に尋ねました。本当のところはどうなんですか?と。すると、いゃ、実は手立ては無いのだという衝撃的な話を聞かされました。「だって、現地の人もそうでしょう。そこはもう、覚悟の問題ですよ」と。ちょうど南スーダン駐在女性スタッフが一時帰国中だったのですが、彼女も笑顔で同じことを言いました。 (-_-;)ホントカ・・・オイ これは南スーダンに限ったことではありませんが、改めて、フィールドに派遣されるということがどういうことであるかを思い知らされる経験になりました。 もちろん、ADRA にできるリスクマネジメントをしっかりしていきたいと思いますが、でも、最終的に、私にできることは、ス...

オーストラリア英語

ADRA Japan で働き始めて 明日でちょうど1年になります。 でも、英語が全然まだまだで、 常にコンプレックスです。 特に、オーストラリア人たちの英語が 未だに聞き取れません。 なのに、ADRA の世界では 異様に高いオーストラリア人率。 いつまでも聞き返すのは悪いかな〜という思いもあり、 分かったふりをして聞くこともあります。 場合によっては、話が進む中で あぁ、こういうことを言っていたのかと 理解できる場合もあります。 そうこうするうちに、 分からなくても、うんうんと聞き流したり、 周りと一緒に笑ったりするのが 何となく自然になってしまいました。 ある時、オーストラリア人に囲まれて 座ることになりました。 いつものように、 会話に加わっているふりをしていると突然 「お前、まさか、今のが分かったのか?  オーストラリアのジョークだぞ?」 と突っ込まれました。 え?ほんとに? そんなの分かるわけないじゃん(T▽T)アハハ! と笑ってごまかすほかありませんでしが、 その時の気まずい感じといったらありません。 それからは、反省し、分からない時は正直に 周りが笑っていても真顔でスルーすることにしました。 僕は分かっていないよ!というサインとして。 そしたら今度は、他のオーストラリア人が、 こう言っていたというのです。 「彼はマジメだから  自分のジョークに乗ってくれなかった」 これまた、気まずい感じです。 じゃぁ、どうすればいいんだよ! と、言いたくなる感じですが、 解決はただ一つ。 彼らの英語を理解することのみ、です。 ヽd´ι`bノ Oh・・・ オーストラリア英語を聴き取れるようになるための 教材とかって、 どなたかご存知ないですよ、ね?

本当のニーズ

南スーダンで、 ADRA の戦略会議なるものに参加してきました。 現在、南スーダンを支援している 各国のドナー支部が集まって、 今後の活動の方向性などについて 話し合いをするためです。 と、かっこ良く書いてみましたが うらしぶちょうは、英語がダメなので 現地入りしている日本人のスタッフに 代わりに頑張ってもらいました。 (^_^;) 南スーダンにおける主な支援は、 紛争終結後、自分たちの故郷に戻ってくる 帰還民と呼ばれる人たちの受け入れ 及び再定住のために必要な支援です。 会議の途中で、突然、 ある筋から情報が入って来ました。 数千人単位で、(北部)スーダンから南スーダンに 帰還民が入ってきていて、 ナイル河畔でキャンプをしている、と。 とりあえず状況だけを見に行くというので うらしぶちょうも社会見学のつもりで 他の人たちについて行きました。 現場に着き、様子を見て歩きました。 大きな貨物船が数隻着岸しており、 その船には乱雑に家具などが 積み上げられています。 陸地には、たくさんのテント。 そして、大きなトラックが数台。 川の汚い水を汲んで 一生懸命運んでいる人がいるかと思えば、 ひたすらぼ~っとしている人もいます。 話を聞くと、家族の一部が 故郷の村に荷物を半分持って帰っているので また戻ってくるまで、残りの荷物を 見張っているんだという人が 多くいることが分かりました。 故郷に荷物を運ぶためのトラックは 国連機関や他のNGO団体によって提供され、 また、食糧に関しては 国連の難民支援機関から配付されているようで、 お腹が減って仕方がないという感じの人は とりあえず見当たりませんでした。 少し足を進めると、明らかに商売人 という感じの人たちもいて、 ベッドのマットなど比較的大きな商品を 陸揚げしていました。 南スーダンでお金儲けをするのは 大変なんじゃない?と聞くと、 人生には苦労が付きものだ、みたいな ごもっともな答えが返ってきました。 こういう商売人(トレーダー)たちは、つまり 支援が必要な人たちに紛れて入国しているのです。 そこに座ってボーッとしているだけだと なかなか見分けがつきません。 いろいろ聞き出すと、...

南スーダンに来ています

皆様、かなりご無沙汰いたしました。 このブログを書き始めてから、 何もアップしない月というのは 作らない努力をしていたハズだったのですが、 昨月は、とうとう、 ブログに触ることができずに 終わってしまいました。 タイトルが「現実逃避」ということですから、 現実から逃げているヒマがないくらい 仕事をしていたということを 言い訳にさせていただきたいと思います。 ・・・にしても、その間、 ほぼ毎日、どなたかが訪問してくださり まだかな〜とのぞいていてくださったことを 心から感謝申し上げます! m(_ _)m さて、わたくし、今回生まれて初めて アフリカ大陸に足を踏み入れることになりまして、 今、南スーダンに来ております。 出張で来ることになって初めて、 地図を見て位置を確かめたという どうしようもない状態だったのですが、 南スーダンって、昨年7月に 独立したばかりの新しい国です。 位置としては、エジプトの南にある (北側スーダンがあって、その南です) と申し上げるのが一番分り易いでしょうか。 これまでアジアの国々は あちこち訪ねる機会があったのですが、 昨年ネパールに行ったのが、ほぼ最西で インドよりも西側に来たことはありませんでした。 いろいろな人から話を聞く限りでは、 アフリカってどれだけひどい場所なのか という印象だったのですが、 実際に来てみて、 思っていたほどひどくはない というのが、今のところの感想です。 と、そう言うのは、やはり、今まで 数年にわたって事業を展開してきた場所を 視察して回っているからであって、 最初に事業に携わった人たちは 本当に苦労の連続だったのだろうと思います。 そんなことを余裕な顔をして言えてしまうくらい、 南スーダンのような生まれたばかりの国でも かなり文明的な生活ができるくらい 世界が発展してきたということなのでしょう。 実際に、今、こうやって、パソコンを開いて ブログが書けてしまっていますから、ね。 でも、あまりにもちょっと回線が遅いので、 撮り貯めた写真は、帰国後アップいたします。 とりあえず、新年のご挨拶を、と思いまして、 一筆、したためました。 今年もどうぞよろしくお願いします。 _(_^_)...

ネパールでのプロジェクト

本日より約2週間にわたり、ネパールで、 口唇口蓋裂の患者さんに対して 無償の手術を提供するプロジェクトが行われます。 うらしぶちょうも、約3週間の予定で ネパール入りしました。 日本からは、ADRA Japan のスタッフを含めて 約40名の医療チームが派遣されています。 お医者さん、看護師さん、薬剤師さん、 臨床工学技士さんやその他ボランティアさん などによって構成されているチームです。 土曜日の夕方成田を発ち、 タイのバンコクで一泊。 翌日曜日にネパールに向かいました。 カトマンズ空港というのは 世界的に離着陸の難しい空港らしく、 「よく」飛行機がクラッシュしているよ などと不謹慎なことを、 ADRA ネパールの支部長が 笑顔で話してくれました。 ヾ(゚Д゚ )ォィォィ が、それでも、無事に着きました。 ただ、天候がすぐれず、 着陸のタイミングを見計らいつつ 上空で1時間近く旋回していました。 機内ではアナウンスされなかったのですが、 空港で待っていてくれた先発隊スタッフには、 もしかしたら、タイに戻されるかもとか、 インドに降ろされるかもとか、 いろいろな噂が聞こえていたようで、 気が気ではなかったとのことです。 そして、なんと、 我々が乗っていた飛行機の前の便までは 実際に着陸を断念し、 タイに戻ったかインドに行かされたかは 分からないのですが、とにかく どこかに行ってしまったそうです。 それを知ったボランティアさんの一人が、 我々の乗った飛行機が無事に着陸できますように と祈ってくださったそうなのですが、 その瞬間、晴れ間が見えて、 飛行機が無事に着陸できたというのです。 後でその話を聞かされ、 神様のお導きを感謝しつつ、 プロジェクトを始めることができました。 なお、証拠写真が写っている ADRA Japan のブログ を是非ご覧ください。 神様がその隙間をあけてくださったとしか 思えないような見事な晴れ間が写っています。

ワシントンDCの渋滞

泊まっているホテルから ワークショップの会場まで 歩いて行く途中、 陸橋が架かっています。 下を走る道路は、 キャピタルベルトウェイという 環状道路です。 ただ、この道路、 片側3〜4車線もあるのに、 朝と夕方、渋滞するんです。 ←クリックで拡大します。 なんとなく、アメリカは、 渋滞までスケールが大きい気がします。 ところが、次の瞬間、 人間としてのスケールの小ささ(?)を 感じさせられる場面に遭遇しました。 ←クリックで拡大します。 こら!路肩を走るんじゃない!! ヽ(`Д´)ノ コラー! さすがにこの渋滞だと、 特に先を急いでいる人は、 路肩を走る誘惑に駆られても ある意味、仕方が無い… ということにしておきましょうかね。 それにしても、 渋滞時に路肩を走るなんて、 何ともアメリカ人らしくないというか、 そんな、日本人がするようなことを しなくてもいいのにと思ってしまいますが、 渋滞が嫌だと思うのは 万国共通だということで、 本日の結論としたいと思います。 (もっとも、 路肩を走る車を運転しているのは 在米日本人かも知れませんけどね)

震災から7ヶ月

東日本大震災から7ヶ月。 これまでの歩みを振り返って、 宮城県山元町の社会福祉協議会が運営する ボランティアセンターが 動画を作成しました。 ADRA Japan の事業部長や 東北事務所のスタッフも 顔を出しています。 お時間があったら、どうぞ。

紀伊半島の水害

約1ヶ月前の台風12号による 紀伊半島の水害ですが、 ADRA Japan のスタッフが 現地を視察してきました。 現地の人たちが「山津波」と呼ぶくらい 水が引いた後の状況は 津波のそれと全く変わらなかったとのこと。 水がどのくらいの高さまで来ていたかが分かるのが、 次の動画です。 水が引いた後の状況を撮影したものと見比べると どのくらいの水かさがあったかが、さらによく分かります。 そして、道路を車で走ってみた時の様子。 ※なお、これらの動画は、  ADRA Japan スタッフが撮影したものではありません。 被災地では、とにかく人手が足りないそうです。 地元の ボランティアセンター では、 毎日ボランティアを募集しています。 被災地に足を運んでくださる方がおられましたら、 是非、お願いします。 ぺこ

ラジオ放送

ラジオ放送「光とともに」の 収録をしました。 ADRA Japan の支部長も月に1回、 2分半のお話をすることになっていて 前任者からそのまま 引き継ぐことになりました。 たったの2分半です。 原稿用紙2枚分の原稿です。 でも、電波に乗ったり、 インターネットでいつでも聞けたり、 電話でも聞けてしまったりするとなると ちょっと話が違うなという感じです。 身構えすぎなのかも知れませんが、 妙に肩に力が入ってしまいました。 タイトルを決めて、 原稿を書いて、 今日の午後、収録をしました。 でも、緊張しているのか、 よくつっかえます。 技師のAさんが 忍耐強く録り直しをしてくださるので、 それに甘えてしまって、 一体何回つっかえたんだろう という感じでした。 が、 とにもかくにも、何とか終わりました。 C= (-。- ) フゥー で、何も自分から 恥さらしをする必要もないのですが、 一応、お知らせしておきますね。 以下のサイトから聞くことができます。 (ただし10月以降) http://www.vopjapan.net/radio/hikari/hikari.cgi よろしかったら、どうぞ。

ベシアナお別れ会

よく考えたら、9月はまだ ブログを一度もアップしていませんでした! 全然動いていない間も 律儀にチェックしてくださった皆様、 どうもありがとうございます。 もう少し、真面目に取り組みます。 (。--)ノ ハーイ コソボの内戦で顔に大やけどを負い、 日本に何回も手術に通っていた ベシアナちゃん ですが、 今回、最後の手術を終えて 母国に帰ることになりました。 で、今夜は、ベシアナ自身が コソボの料理を皆さんにご馳走して 感謝の意を表すということで、 小さなお別れ会をしました。 ベシアナをお世話してくださった 病院の看護師さんや、 コソボの大使も来てくださって、 少ない人数ながらも 濃いメンバーが集まりました。 会のはじめに、ベシアナから 皆さんへの挨拶がありました。 今までお世話になった皆さんに対する 感謝の言葉をひと通り述べた後、 彼女は、こう言いました。 「私の顔が焼けなかったら、  こんなにステキな人たちに  会うことはできなかった。  私の顔が焼けて良かったと思っている。」 ・・・(π0π) ウルルルル じーんときてしまいました。 日本中の皆さんからの支援と 世界一と言われるお医者さんのおかげで 彼女の顔は、劇的に元に戻ってきました。 ただ、決して、何もなかったという顔ではありません。 何も知らない人が見れば、 え?この子、どうしたの? と考えてしまうレベルです。 それでも、 そして、お別れ会の挨拶の言葉とはいえども、 本人が内心、本当にそう思ってなかったら 決して口にすることのできる言葉ではない と思います。 自分の身に降りかかった惨事を 「良かった」と表現できるようになるまでには、 一体どれだけのものを 乗り越えて来ただろうかと思います。 ベシアナは、明日、コソボに帰ります。 次は、いつ日本に来られるのか 全く分かりません。 でも、きっと、 コソボと日本をつなぐ 架け橋的な存在になってくれると信じます。 これからのコソボでの生活が 充実したものになるよう、 祈るばかりです。

ケーブル局での活動紹介

ケーブルテレビ局 J:COM 制作の ボランティア紹介番組 「週刊ボランティア情報『みんなのチカラ』」で ADRA Japan の活動が紹介されました。 以下は、30分番組の 最後の10分間です。 よろしかったら、どうぞ。

ラオスでのADRA Japan 事業(2)

ラオスの事業について もう少しご紹介いたします。 以下の写真は 左側の密生した稲が村人作。 右側の隙間だらけの稲がADRAスタッフ作。 実は、この右側の田んぼ、 ちょっと失敗作らしいのですが、 それでも、これでいて、右側のほうが お米の収量は多いのだそうです。 田植えの時に 苗と苗の距離が近すぎると 強い穂が出ず 見た目の割には収量が上がらないとのこと。 それを実際に見せることによって 村民たちに納得してもらおうという プロジェクトの一つです。 次の写真は、 山間の傾斜地に作られている畑で、 タロイモ、大豆、バナナ、 パイナップルなどを 混ぜて植える農法を採用している場所です。 もともと、自然には 大豆だったら大豆だけが 見渡すかぎり群生しているような場所が 存在するハズがないわけで、 いろいろな植物が混ざって生えているのが 「ナチュラル」なのです。 ですから、畑の作物も なるべく自然に近い形で、 背の高いものと低いものを 交互に植えてあげたりすることによって 自然に近い形にすると 土地が痩せにくかったり 病気が入りづらかったり という利点があるのだそうです。 次の溜池の写真は、 見ての通り、溜池です。 この溜池で魚を飼い、 大きくなったら池の水を抜いて 魚を拾って自分たちで食べたり 販売したりするということでした。 次は、豚小屋です。 この写真は ADRAによって家畜の買い方が指導された後 その方法を忠実に守り、 非常にきれいな環境で 豚の飼育ができている例の一つです。 ぶーちゃんも、その子どもたちも、 なんとなく幸せそうに見えました。 このカワイイのが そのうち食料にされてしまうのかと思うと 少々いたたまれない気持ちにさせられますが。

ラオスでのADRA Japan 事業

10日間、ラオスに行ってきました。 (以下、写真はすべてクリックで拡大します) 時々行く機会のあるタイの隣の国なので、 まぁ、同じような文化なのだろうと思い、 特に下調べもせずに 出かけてしまいました。 ですから、 言葉も全く覚えないうちに 入国してしまったという次第です。 ADRA Japan の支部長やスタッフと 一緒に行ったので、 現地での会話はすべてお任せ状態。 ラオスに入国してから、 「こんにちは」=「サバーイディー」 「ありがとう」=「コプチャイ」 と言うのだということを知りました。 (^_^;) ところで、 6月に行ったハイチのことを まだ書き終わっていない気がするのですが、 そちらはそのうちにまた 触れる機会もあるかなということで、 ラオスの紹介をすることにいたします。 今回のメインの目的地は、 ラオスの北部にあるロンという地域でした。 ここにADRAの小さなオフィスがあり (ADRAラオスのメインオフィスは 首都のビエンチャンにあります) 日本人スタッフが駐在して 3年計画の農業プロジェクトを 行っています。 現在行われている農業プロジェクトには 2本の柱があり、 一つは、栽培技術改善支援 もう一つは、水資源確保支援です。 特に栽培技術支援については、 次のような状況があります。 中国資本の経営者が ラオスの農村に入って来て、 バナナやゴムの栽培をしないかと持ちかけ、 応じた人には 多額の現金収入を約束します。 ただし、その時、 文字の読めない村人たちにとって 不利な内容が書かれている契約書に サインをさせるのです。 そして、後になってから 「ここにこう書いてあるだろう!」と言って 収益のほとんどを巻きあげていくというのです。 そのような非常に卑劣なことが 行われているということで、 甘い誘いに乗らないために、 生産効率を上げることによって 充分な競争力のある経済生活を 送ることができるように、 支援活動をしているということでした。 <写真の右奥がバナナ園> 現金収入を得たいがために、 自分たちの農地を バナナやゴムの栽培地に変える農民たち。 それはそれで悪いことではありませんが、 商...

ADRA Japan の活動

な~んか最近、 ブログを更新する余裕がなくてですね。 今日、自分でも久しぶりに このページを開きました。 そしたら、毎日律儀に チェックしてくださっている方々が・・・! ∑( ̄ロ ̄|||)なんと! 皆様のご期待に応えるためにも というほどの内容ではありませんが、 最近のADRA Japan の活動をまとめた 動画ができましたので、 ここにご紹介いたします。

ADRA Japan 報告会開催のお知らせ

アフガニスタン教育支援 活動報告会開催のお知らせ ADRA Japanは、2011年1月より アフガニスタンにおいて 教育支援を実施しています。 治安が不安定なアフガニスタンでは、 テロや爆発等のニュースばかりが取り上げられますが、 現地では教室に収まりきらないほど多くの子ども達が、 毎日勉強に励んでいます。 未来を担う子ども達が 健全な環境で勉強することができるよう、 ADRA Japanは 校舎・トイレの建設、机・椅子の供与など、 教育環境を整備しています。 このたび、ADRA Afghanistan(アフガニスタン支部)の 支部長であるVinod Nelson(ビノッド・ネルソン)氏の 来日にあわせて 報告会を開催することになりました。 アフガニスタンの現状や事業運営の課題等、 現場の声をご紹介いたしますので、 ぜひご参加ください。 ※日本語の通訳が入ります。 【日 時】2011年7月5日(火)18:00-19:30 【会 場】SDA原宿クリスチャンセンター1階 会議室 【最寄駅】東京メトロ千代田線・副都心線 明治神宮前(原宿)駅より徒歩1分、 JR 山手線原宿駅より徒歩5分 【参加費】 無料 【参加方法】 参加を希望される方は、人数の把握のため、 事前にお名前、ご所属、ご連絡先を Email(houkokukai@adrajpn.org)にて お知らせください。 ※当日参加も可能です。 【お問い合わせ先】(特活)ADRA Japan 担当:鈴木/寺脇 Email : houkokukai@adrajpn.org

ハイチの現状(5─仮設住宅)

なんだか落ち着かなくて、 ブログ、ずっと更新していませんでした。 でも、まだハイチのことを全部書ききっていないので、 もう少し続けさせてください。 ∑(=゚ω゚=;) マジ!? ハイチの震災後に 各国のアドラ支部の支援によって建設された 仮設住宅を見学に行きました。 (写真はすべてクリックで拡大します) 海沿いの砂浜の上に、 100世帯くらいでしょうか。 木造のまさに「仮設」の小屋が 所狭しと並んでいました。 すぐ近くには、発電所(多分、火力)があり、 環境的にあまり良い場所とは言えませんが、 でも、仮設住宅をあてがわれた人たちの中には、 もともと路上生活をしていたような人もいるようで 震災があって、かえって生活が向上した という人も少なくないようです。 海側は、すがすがしい感じの 景色が広がっているんですけどね。 仮設住宅には小さな窓が2つしかなく、 非常に風通しの悪い感じの建物でした。 雨がしのげるだけ良いのかも知れませんが 同じ人間の住む場所とは思えないくらい 日本の仮設住宅とは大きく違います。 これは、ソーラーパワーで充電し 暗くなると点灯するタイプの街灯です。 せっかくこういうものを配置してくれても ソーラーパネルを盗んで 売ってしまう人もいるということでした。 (この写真の街灯は大丈夫でしたが  他の場所に、実際に  パネルが外されているものがありました) そんな治安の悪い中にあっても、 ヤギの親子は、平和そのもの。 このヤギたちは、誰かが飼っているのか 単に住み着いているのか よく分かりませんでしたが・・・。