ちょっとタイトルが大きくなってしまいましたが、
何てことはありません。
うらしぶちょうが見てきた
学校と病院のことについての
レポートのみです。
ハイチのSDA大学の構内には、
もともと小学校から高校までが共存し
別々の校舎で勉強をしていたのですが、
震災で使えなくなってしまった建物が多く
仮設の教室で小学校から大学までの生徒たちが
時間帯を分けて授業をしているとのことでした。
この仮設教室は、
アメリカの学生中心のボランティアグループ
「マラナ・タ」が建ててくれたものだそうです。
きちんと数えませんでしたが、
恐らく50教室くらいあったと思います。
窓も充分に無く中も暗いですが
でも机と椅子があって黒板があれば
授業はできますからね。
とりあえずでも何でも、
学校が始まるということは
いいことだなと思います。
ただ、前日分にも書いたように
この大学の構内には
避難生活を送っている人たちがたくさんいて
必ずしもSDAの人たちではないということで
治安の問題が心配されており、
それを理由に子どもを転校させてしまう親が
たくさんいたという話を聞きました。
国連の治安維持部隊が構内に24時間駐留し
治安維持を図っていますが、
ハイチの人に言わせると
「彼らは何もしてくれないよ」
ということなので・・・。
ちなみに、この日は、
スリランカから来た兵隊さんたちが
暇そうにしていました。
大学のすぐ隣には
SDAの病院がありました。
ベッド数は、70床。
これから拡大工事を予定しているとのことでした。
震災直後は、怪我人が次から次へと運び込まれ
大変な状況だったとということです。
ここは、震災で手足を失った人たちのための
リハビリセンターということでした。
何の地震対策も施されていない建造物が崩壊し、
その下敷きになってしまった人が
多くいたようです。
そう考えると、耐震強度偽造問題というのは、
改めて、やはり大きな事件だったなと思います。
人の命に関わることですから。
何てことはありません。
うらしぶちょうが見てきた
学校と病院のことについての
レポートのみです。
ハイチのSDA大学の構内には、
もともと小学校から高校までが共存し
別々の校舎で勉強をしていたのですが、
震災で使えなくなってしまった建物が多く
仮設の教室で小学校から大学までの生徒たちが
時間帯を分けて授業をしているとのことでした。
この仮設教室は、
アメリカの学生中心のボランティアグループ
「マラナ・タ」が建ててくれたものだそうです。
きちんと数えませんでしたが、
恐らく50教室くらいあったと思います。
窓も充分に無く中も暗いですが
でも机と椅子があって黒板があれば
授業はできますからね。
とりあえずでも何でも、
学校が始まるということは
いいことだなと思います。
ただ、前日分にも書いたように
この大学の構内には
避難生活を送っている人たちがたくさんいて
必ずしもSDAの人たちではないということで
治安の問題が心配されており、
それを理由に子どもを転校させてしまう親が
たくさんいたという話を聞きました。
国連の治安維持部隊が構内に24時間駐留し
治安維持を図っていますが、
ハイチの人に言わせると
「彼らは何もしてくれないよ」
ということなので・・・。
ちなみに、この日は、
スリランカから来た兵隊さんたちが
暇そうにしていました。
大学のすぐ隣には
SDAの病院がありました。
ベッド数は、70床。
これから拡大工事を予定しているとのことでした。
震災直後は、怪我人が次から次へと運び込まれ
大変な状況だったとということです。
ここは、震災で手足を失った人たちのための
リハビリセンターということでした。
何の地震対策も施されていない建造物が崩壊し、
その下敷きになってしまった人が
多くいたようです。
そう考えると、耐震強度偽造問題というのは、
改めて、やはり大きな事件だったなと思います。
人の命に関わることですから。