年末、インフルエンザのA型を発症し、全治10日間というところだったのですが、今回は子どもたちが幼稚園からもらってきたインフルエンザB型を見事に受け継ぐこととなり、先週は1週間自宅で過ごしました。
B型には症状がいろいろあるようですが、今回の私の場合は熱は高くても39度で、咳も鼻水もA型の時ほどではなく、胃腸の調子が悪くなるわけでもなく、なんとなく身体がインフルエンザっぽいゾクゾク感を覚えていたくらいのことで、結局医者で処方してもらったタミフルを飲むこともなく、1週間でまた元通りの身体に戻ることができました。
が、今回は、どうやらウイルスが耳に回ってしまったようで、インフルエンザを発症した2日後に、小学生以来の中耳炎になってしまいました。
自宅で仕事をしていたので、スカイプで会議をしていたのですが、書記を担当したこともあり、話の内容を聞き漏らすまいとして音量を高めに設定していたのも良くなかったのだと思います。約2時間の会議が終わった後、イヤホンを突っ込んでいたほうの左耳に違和感が出始め、そのまま炎症を起こしてしまいました。
いやぁ、痛かったのなんの。
小学生のころの自分が、痛くてグズグズ泣いていたのも理解できる気がしました。
そして、耳鼻科に行って、医者から「これは痛かったですね」と言ってもらって、一気に救われた気がしたという・・・。あぁ、ここに分かってくれる人がいた!みたいな。
そんなこんなでここ10日ほど、片耳が不自由な生活を送っているのですが、その中で耳が2つあることの意味を感じさせられています。
一番大きな気づきだなと思っていることは、必要な情報のみを得るために、耳はいつも「聞き捨て」あるいは「聞き流し」の作業をしているということです。
というのは、片方の耳からしか情報が入ってこないことにより、急に音の選別が難しくなるのを感じたからです。
片耳でも音の強弱はもちろん、ある程度の方向も分かります。ところが、周囲の雑音が大きくなればなるほど、一番聞きたい相手の声を聞きとることが難しいのです。例えば走行中の自動車の中やショッピングモールなどでは、耳元で話してもらわないと、自分に話しかけられていることすら判りません。
これは、つまり、耳は両方聞こえていることによってはじめて必要な情報とそうでないものを選別することができるということを意味するのだなと思うわけです
恐らくですが、片方の耳は雑音を聞き流すことに徹し、もう片方の耳は、聞き流している音を差し引きながら(ノイズキャンセリングヘッドホンと同じようなことをしながら)聴きたい情報に集中しているのだろうなと思いました。
そう思っていたら、やはりそうだったんだなと確信をしたのが、中耳炎を発症してから約1週間後に耳鼻科でした聴力検査がまさにそうだったからです。
今回の検査は3段階に分けて行われました。最初は、一般的な健康診断でするようなもの。ヘッドホンを耳に当てて、片耳ずつ、違う周波数の音を聞き分けるというものです。次は、片耳にノイズを聞かせながら、もう片方の耳で、違う周波数の音を聞き分けるというもの。最後は骨伝導による音が認識できるかどうかの検査でしたが、これも後半は反対側の耳にノイズを聞かせながらの検査でしたので、厳密には4段階ということになるでしょうか。
これは、つまり、両耳の機能として、きちんとノイズキャンセリングができているかどうかを測るものなのだろうと思ったわけです。
音声情報の選別という作業をする上で、左右の耳の協力が必要だとは思ってもみませんでした。
つまり、左右2つある器官というものは、単に片方が使えなくなった時のスペアとして存在しているということではなかったというのが今回の最大の発見だったというわけです。
失って初めてわかることって、たくさんあるんだろうなと、あまりにもすべてが当たり前に備えられている者として、考えさせられる経験となりました。
B型には症状がいろいろあるようですが、今回の私の場合は熱は高くても39度で、咳も鼻水もA型の時ほどではなく、胃腸の調子が悪くなるわけでもなく、なんとなく身体がインフルエンザっぽいゾクゾク感を覚えていたくらいのことで、結局医者で処方してもらったタミフルを飲むこともなく、1週間でまた元通りの身体に戻ることができました。
が、今回は、どうやらウイルスが耳に回ってしまったようで、インフルエンザを発症した2日後に、小学生以来の中耳炎になってしまいました。
自宅で仕事をしていたので、スカイプで会議をしていたのですが、書記を担当したこともあり、話の内容を聞き漏らすまいとして音量を高めに設定していたのも良くなかったのだと思います。約2時間の会議が終わった後、イヤホンを突っ込んでいたほうの左耳に違和感が出始め、そのまま炎症を起こしてしまいました。
いやぁ、痛かったのなんの。
小学生のころの自分が、痛くてグズグズ泣いていたのも理解できる気がしました。
そして、耳鼻科に行って、医者から「これは痛かったですね」と言ってもらって、一気に救われた気がしたという・・・。あぁ、ここに分かってくれる人がいた!みたいな。
そんなこんなでここ10日ほど、片耳が不自由な生活を送っているのですが、その中で耳が2つあることの意味を感じさせられています。
一番大きな気づきだなと思っていることは、必要な情報のみを得るために、耳はいつも「聞き捨て」あるいは「聞き流し」の作業をしているということです。
というのは、片方の耳からしか情報が入ってこないことにより、急に音の選別が難しくなるのを感じたからです。
片耳でも音の強弱はもちろん、ある程度の方向も分かります。ところが、周囲の雑音が大きくなればなるほど、一番聞きたい相手の声を聞きとることが難しいのです。例えば走行中の自動車の中やショッピングモールなどでは、耳元で話してもらわないと、自分に話しかけられていることすら判りません。
これは、つまり、耳は両方聞こえていることによってはじめて必要な情報とそうでないものを選別することができるということを意味するのだなと思うわけです
恐らくですが、片方の耳は雑音を聞き流すことに徹し、もう片方の耳は、聞き流している音を差し引きながら(ノイズキャンセリングヘッドホンと同じようなことをしながら)聴きたい情報に集中しているのだろうなと思いました。
そう思っていたら、やはりそうだったんだなと確信をしたのが、中耳炎を発症してから約1週間後に耳鼻科でした聴力検査がまさにそうだったからです。
今回の検査は3段階に分けて行われました。最初は、一般的な健康診断でするようなもの。ヘッドホンを耳に当てて、片耳ずつ、違う周波数の音を聞き分けるというものです。次は、片耳にノイズを聞かせながら、もう片方の耳で、違う周波数の音を聞き分けるというもの。最後は骨伝導による音が認識できるかどうかの検査でしたが、これも後半は反対側の耳にノイズを聞かせながらの検査でしたので、厳密には4段階ということになるでしょうか。
これは、つまり、両耳の機能として、きちんとノイズキャンセリングができているかどうかを測るものなのだろうと思ったわけです。
音声情報の選別という作業をする上で、左右の耳の協力が必要だとは思ってもみませんでした。
つまり、左右2つある器官というものは、単に片方が使えなくなった時のスペアとして存在しているということではなかったというのが今回の最大の発見だったというわけです。
失って初めてわかることって、たくさんあるんだろうなと、あまりにもすべてが当たり前に備えられている者として、考えさせられる経験となりました。