2月は逃げると言いますが、本当ですね。月末の日数が、いつもよりも2日か3日少ないからというわけではなくて、下旬になるまでが異様に速い気がします。
「2」という数字が持つ微妙さなのかなとも思います。
例えば、野球の2番バッター。上位打者の中では際立って目立たない存在だと思います。 非常に大事な存在であることは理解しています。誰でも打てる打順でないことも分かっています。でも、目立たない、というか、華がない。
例えば、トランプの「2」。1ではなくて2なのに、1が1ではなくてエースとかいう称号で呼ばれるがゆえに、大富豪を除いたほぼすべてのゲームで一番弱い存在です。ナポレオンでは「セイムツー」が効きますが、誰かが台札を持っていない時点で流れてしまうという不安定さ。
例えば、御祝儀の2万円。2枚だと2つに分けられるから縁起が悪いということで、1万円の2倍も入っているのに、何故か喜ばれない。だからもう1枚足して3枚にしないといけないなんて、一体誰が決めたっっ!? じゃぁ、3万円御祝儀あげて、それで別れた時には1枚返せよな!と言いたい。
失礼。貧乏人のヒガミでした。
例えば、素数としての「2」(素数とは「1と自分自身以外に約数を持たない数」のことです)。え、それを言うな ら、1も素数じゃん!と言いたくなりますが、1は含まないとのこと。しかも、数ある素数の中で2が唯一の偶数。他の偶数は、それが偶数である限り、少なく とも2で割り切れますからね。そんなことだったら、1だけじゃなくて2も例外として認めてほしかった・・・。
あと、2という数字は、あまり良くないことの例として使われることが多い気がします。二枚舌だとか、男に二言はないだとか、二股をかけるだとか。
そして、あと一つ上乗せするだけで、数的には大して変わらないハズなのに「最高」を表す言葉になる場合が多い気がします。三拍子揃っただとか、三冠王だとか、三ツ星レストランだとか。二拍子だと揃わないし、二冠や二つ星でも決して悪くはないのに「残念」な感じが拭いきれません。
そういえば、神様も、三位一体でした。
あぁ、考えれば考えるほど、2って微妙です。
と思ったら、ありました、ありました、1よりも3よりも2が優れている場合が。
二枚目とか、二重まぶたとか、です。あんまり例をたくさん挙げられませんが。
そして、例えば夫婦は3人ではなく2人ですし、「人」という漢字は人と人とが支え合っている様子を表したものだと聞きますから、人間存在の基本は「2」にあるということだと思います。
また、「対」とは2つのものが合わさった状態を言いますし、ハサミは2枚刃だから切れるわけです。つまり、何かが機能するときの基本も「2」なのだと思います。
と、まぁ、この妄想はどこへ行くのかという感じですので、このくらいにしておきたいと思いますが、2というものは、非常に基本的なものでありながら、大切なものでありながら、それがどれだけ大事なものであるかについての認知度が低い、つまり、目立たない、華のない存在なのかなと思います。
1月は新年で、3月は学校などの年度の締めくくりの月ということもあり、その間にある2月は決定的に注目度が低い感じがしますし、閏年ではない年はカレンダーをめくってもめくらなくても不便を感じませんし、そして、何と言ってもすぐに過ぎてしまうわけですが、だからこそ、その時間をいかに大切にできるかが勝負(何の勝負かわかりませんが)の分かれ目なのかも知れません。
などということを、2月も終わりに差し掛かった今頃になって、つらつらと考えてみました。
「2」という数字が持つ微妙さなのかなとも思います。
例えば、野球の2番バッター。上位打者の中では際立って目立たない存在だと思います。 非常に大事な存在であることは理解しています。誰でも打てる打順でないことも分かっています。でも、目立たない、というか、華がない。
例えば、トランプの「2」。1ではなくて2なのに、1が1ではなくてエースとかいう称号で呼ばれるがゆえに、大富豪を除いたほぼすべてのゲームで一番弱い存在です。ナポレオンでは「セイムツー」が効きますが、誰かが台札を持っていない時点で流れてしまうという不安定さ。
例えば、御祝儀の2万円。2枚だと2つに分けられるから縁起が悪いということで、1万円の2倍も入っているのに、何故か喜ばれない。だからもう1枚足して3枚にしないといけないなんて、一体誰が決めたっっ!? じゃぁ、3万円御祝儀あげて、それで別れた時には1枚返せよな!と言いたい。
失礼。貧乏人のヒガミでした。
例えば、素数としての「2」(素数とは「1と自分自身以外に約数を持たない数」のことです)。え、それを言うな ら、1も素数じゃん!と言いたくなりますが、1は含まないとのこと。しかも、数ある素数の中で2が唯一の偶数。他の偶数は、それが偶数である限り、少なく とも2で割り切れますからね。そんなことだったら、1だけじゃなくて2も例外として認めてほしかった・・・。
あと、2という数字は、あまり良くないことの例として使われることが多い気がします。二枚舌だとか、男に二言はないだとか、二股をかけるだとか。
そして、あと一つ上乗せするだけで、数的には大して変わらないハズなのに「最高」を表す言葉になる場合が多い気がします。三拍子揃っただとか、三冠王だとか、三ツ星レストランだとか。二拍子だと揃わないし、二冠や二つ星でも決して悪くはないのに「残念」な感じが拭いきれません。
そういえば、神様も、三位一体でした。
あぁ、考えれば考えるほど、2って微妙です。
と思ったら、ありました、ありました、1よりも3よりも2が優れている場合が。
二枚目とか、二重まぶたとか、です。あんまり例をたくさん挙げられませんが。
そして、例えば夫婦は3人ではなく2人ですし、「人」という漢字は人と人とが支え合っている様子を表したものだと聞きますから、人間存在の基本は「2」にあるということだと思います。
また、「対」とは2つのものが合わさった状態を言いますし、ハサミは2枚刃だから切れるわけです。つまり、何かが機能するときの基本も「2」なのだと思います。
と、まぁ、この妄想はどこへ行くのかという感じですので、このくらいにしておきたいと思いますが、2というものは、非常に基本的なものでありながら、大切なものでありながら、それがどれだけ大事なものであるかについての認知度が低い、つまり、目立たない、華のない存在なのかなと思います。
1月は新年で、3月は学校などの年度の締めくくりの月ということもあり、その間にある2月は決定的に注目度が低い感じがしますし、閏年ではない年はカレンダーをめくってもめくらなくても不便を感じませんし、そして、何と言ってもすぐに過ぎてしまうわけですが、だからこそ、その時間をいかに大切にできるかが勝負(何の勝負かわかりませんが)の分かれ目なのかも知れません。
などということを、2月も終わりに差し掛かった今頃になって、つらつらと考えてみました。