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6月, 2011の投稿を表示しています

ハイチの現状(5─仮設住宅)

なんだか落ち着かなくて、 ブログ、ずっと更新していませんでした。 でも、まだハイチのことを全部書ききっていないので、 もう少し続けさせてください。 ∑(=゚ω゚=;) マジ!? ハイチの震災後に 各国のアドラ支部の支援によって建設された 仮設住宅を見学に行きました。 (写真はすべてクリックで拡大します) 海沿いの砂浜の上に、 100世帯くらいでしょうか。 木造のまさに「仮設」の小屋が 所狭しと並んでいました。 すぐ近くには、発電所(多分、火力)があり、 環境的にあまり良い場所とは言えませんが、 でも、仮設住宅をあてがわれた人たちの中には、 もともと路上生活をしていたような人もいるようで 震災があって、かえって生活が向上した という人も少なくないようです。 海側は、すがすがしい感じの 景色が広がっているんですけどね。 仮設住宅には小さな窓が2つしかなく、 非常に風通しの悪い感じの建物でした。 雨がしのげるだけ良いのかも知れませんが 同じ人間の住む場所とは思えないくらい 日本の仮設住宅とは大きく違います。 これは、ソーラーパワーで充電し 暗くなると点灯するタイプの街灯です。 せっかくこういうものを配置してくれても ソーラーパネルを盗んで 売ってしまう人もいるということでした。 (この写真の街灯は大丈夫でしたが  他の場所に、実際に  パネルが外されているものがありました) そんな治安の悪い中にあっても、 ヤギの親子は、平和そのもの。 このヤギたちは、誰かが飼っているのか 単に住み着いているのか よく分かりませんでしたが・・・。

ハイチの現状(4─教育と医療)

ちょっとタイトルが大きくなってしまいましたが、 何てことはありません。 うらしぶちょうが見てきた 学校と病院のことについての レポートのみです。 ハイチのSDA大学の構内には、 もともと小学校から高校までが共存し 別々の校舎で勉強をしていたのですが、 震災で使えなくなってしまった建物が多く 仮設の教室で小学校から大学までの生徒たちが 時間帯を分けて授業をしているとのことでした。 この仮設教室は、 アメリカの学生中心のボランティアグループ 「マラナ・タ」が建ててくれたものだそうです。 きちんと数えませんでしたが、 恐らく50教室くらいあったと思います。 窓も充分に無く中も暗いですが でも机と椅子があって黒板があれば 授業はできますからね。 とりあえずでも何でも、 学校が始まるということは いいことだなと思います。 ただ、前日分にも書いたように この大学の構内には 避難生活を送っている人たちがたくさんいて 必ずしもSDAの人たちではないということで 治安の問題が心配されており、 それを理由に子どもを転校させてしまう親が たくさんいたという話を聞きました。 国連の治安維持部隊が構内に24時間駐留し 治安維持を図っていますが、 ハイチの人に言わせると 「彼らは何もしてくれないよ」 ということなので・・・。 ちなみに、この日は、 スリランカから来た兵隊さんたちが 暇そうにしていました。 大学のすぐ隣には SDAの病院がありました。 ベッド数は、70床。 これから拡大工事を予定しているとのことでした。 震災直後は、怪我人が次から次へと運び込まれ 大変な状況だったとということです。 ここは、震災で手足を失った人たちのための リハビリセンターということでした。 何の地震対策も施されていない建造物が崩壊し、 その下敷きになってしまった人が 多くいたようです。 そう考えると、耐震強度偽造問題というのは、 改めて、やはり大きな事件だったなと思います。 人の命に関わることですから。

ハイチの現状(3─避難所)

SDAの大学が一時的な避難所 ・・・になるハズでしたが 震災から1年半経った今も まだテント生活の人たちがいて、 大学の構内に住み続けています。 こういうテントや掘っ建て小屋が 数百ありました。 住人に許可を得て中を見せてもらいました。 一体どこに寝るスペースがあるのだろう という感じですが、一家族平均5名くらいだそうです。 キャンパス内に神学科の教室があり 学生さんたちがいたので、話を聞きました。 (インタビューをしているのが石井支部長です) 学生の一部は、家がなくなってしまったので 教室に寝泊まりすることが許されているとのこと。 また、多くの学生が、昨年の震災以降 両親やスポンサーが仕事を失って 授業料を支払うことができず、 単位を取り終えても卒業することができそうもない ということで途方に暮れていました。 何らかの形で支援を求めていきたいと 話していました。 そんなに苦労して4年間勉強した後、 牧師になることができるのは ほんの一握りだということでした。 それでも神学を学ぶことをやめない彼らは ある意味、本物だなと思います。 少なくとも、就職するためだけの 学びではないということになりますから。 そんな話をしている周りには かわいい子どもたちがちょこちょこ 集まってきます。 この女の子、妙に親近感が・・・と思ったら、 男の子っぽい女の子という意味で、 自分の娘と同じだ!ということに気が付きました。 女の子らしい服を着せても それでも男の子に見えてしまうというのは こういうことなんだなと 客観的に考える機会が与えられました。 でも、純粋に、カワイイですよね。 (*^-^)

ハイチの現状(2─ラジオ局)

ハイチから帰ってきた後、なかなか ブログを更新している時間がありませんで 結局そのままタイに来てしまいました。 海外出張に出ると 出先では案外時間があることが多かったりします。 ハイチのレポート続けます。 SDA大学の構内にあるラジオ局を訪問しました。 (画像クリックで拡大します) きちんとした設備が整っています。 ここではSDAの番組を24時間放送している 専門のFMチャンネルがあるとのこと。 ハイチだからこそできることなのでしょうが、 それにしても、日本の状況とはかなり違います。 ラジオ局に連れて行ってくれた ADRAスタッフと一緒にパチリ。 左から、ADRAハイチの会計担当カーロ ADRAハイチ支部長秘書のカトリーン そしてラジオ牧師の・・・え~名前忘れました。 大学生だと思うのですが、 やたらに陽気なお兄ちゃんたちが 見送ってくれました。

ハイチの安息日(動画)

無事に日本に戻りました。 ハイチのレポートは、もう少しあるので 時間を見つけて少しずつご紹介いたします。 さて、まずは、 安息日の午後に行われたコンサートの 動画、いくつかアップいたします。 コワイヤーが中心のコンサートでしたが、 そのためのセッティングをしている間に 明らかに前座的な演奏がいくつかありました。 まずは、中学生くらいの 女の子たちによる讃美歌です。 これぞハイチという感じの軽快な曲です。 そして、突然小さな女の子が つかつかと歩み出まして・・・。 女の子が歌うのに合わせて、 即興で伴奏をしてしまう ピアニストの技術にも注目です。 中学生くらいの子たちの2曲目です。 途中、ちょっと、ラップっぽい? そして、いよいよコワイヤーの登場! でも、この動画はアンコールの曲です。 後半の盛り上がりがすごいというか、面白いです。 お時間の無い方は4分30秒くらいのところから 再生してみてください。 ※音量にご注意ください。 あまりの大音量で録音計の針が振り切れたので。 そして、音が割れてしまってごめんなさい。 盛り上がりようをご覧いただけましたか? これでもって「保守的な」教会なのだそうです。 だったら「革新的な」教会は 一体どのくらいすっ飛んでいるのでしょうか。