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投稿

メーカー

もともと歯が弱かったのにプラスして 学生時代、歯磨きをサボりまくったツケを 今頃払わされているいらんです。 虫歯で、奥歯は総崩れ状態。 口をあけると、金属がギラギラしています。 2年前には、インプラントを2本 入れることになってしまいました。 で、その大事な大事なインプラント。 自然の歯に近いだけに、 適切にケアしないと歯槽膿漏にもなります。 ところが、 施術をしてくれた歯科で その後もケアしてもらうのが基本なのに、 いらんは、今年引越しをしたので、 それができなくなってしまいました。 でも、インプラントを扱っている歯科なら どうにかしてくれるのではないかと思い、 とりあえず、近くの歯科に行ってみました。 すると、ケアはできたとしても、 メーカーが違うので保証できないと言われました。 中の構造が判らないので 傷つけてしまうかも知れないし、 きちんと掃除ができないかも知れない、と。 そのお医者さんとしては、 正直に、できることとできないこととを 話してくださったと思うのですが、 最終的には、 うちで扱っているメーカーのものに入れ替えなさい 的なことを言われてしまいました。 泣く泣く、施術をしてくれた広島の歯科に電話をすると、 インプラントのメーカーに問い合わせなさいと言われました。 そして、いらんの住んでいる地域で、 そのメーカーが製品を卸している歯科を 教えてもらいなさい、と。 とりあえず、メーカーのホームページに行ってみました。 そしたら、そこに歯科のリンクが置いてありました。 祈るような気持ちで、そのリンクを一つ一つ開いてみると、 ありました、ありました、 市内の歯科で、そのメーカーのものを扱っている所が。 少々遠いのですが、 広島に行くよりは全然近いので、 感謝して通うことにしました。 これまでの経緯をお医者さんに話すと、 「大丈夫ですよ。  うちには、あなたのインプラントのケアをするための  道具が全部そろっていますから」 と言ってくださって、 あぁ、ようやく分かってくれる人に会えたと思い、 ちょっと涙が出そうになりました。 自動車にしても、電化製品にしても、 メーカーが違うと勝手が違って、 そのメーカーの技師でないと 扱うことができないということが 多々あります。 自分の持っている製品のメーカーを 扱ってくれる業者に会えるまでは、 何とも不安なものです。 ...

所信表明演説

いらんは民主党支持者ではありませんが、 そして政治家にあまり期待しているほうではありませんが、 鳩山首相の所信表明演説を聞いて 素直に感動しました。 少なくとも、いらんの知っている日本の首相で、 ここまで明確に 自分の「所信」を「表明」する「演説」をした人は 過去にいませんでした。 テレビのインタビューに答えていた多くの人が、 今後の政治の方向性が示されたのは良いが 具体性に欠けるということを言っていましたが、 そもそも「所信」とは、辞書を見てみると、 「信じている事柄、信ずるところ」とあります。 自分は、これが正しいと信じている。 だから、これからは、こういう方向性で 物事を進めていきたいのだ・・・。 たとえそれが大まかなものであったとしても そのような理念や方向性を示すことこそが 「所信表明」であるべきです。 歴代の首相が具体的な方策を述べてきたのは、 単なる慣例的なものに過ぎないと思います。 弱者や少数派の意見が見捨てられない政治・・・。 非常に聖書的であると思います。 もちろん、そのような政治が 本当にこの日本という国で実現されるとは思いませんが、 そして、当然、急に、国民全体が納得するような 改革を行うことなどできませんが、 国の指導者たちが正しい判断をくだすことができるよう 祈りたいと思います。

ワクチン

新型インフルエンザが全国的に流行し始めておりますが、 皆様いかがお過ごしでしょうか。 今月下旬の連休に 里帰り中の妻と娘と犬を連れて帰って来ようと思っているのですが、 空港という不特定多数の人たちが出入りする場所や 飛行機という密閉された空間が怖いので、 えっちらおっちら 陸路を走ることを考えているところです。 先日、ある教会員の方とお話をしていた時に インフルエンザのワクチンの話になりました。 どうやら、 日本の人口の約半分に行き渡る程度の数が 用意されるらしいですね。 そしたら、70代のご婦人が こんなことを言われました。 「私はワクチンを受けに行きません。  だって、ただでも足りないんだったら、  将来のある若い人たちに受けてもらいたいから。」 さりげなくおっしゃった一言だったのですが、 いらんは非常に感銘を受けました。 自分だったら、ワクチンを受けないとしても その理由は、 高いからとか、 受けても100%効くとは限らないからとか、 面倒くさいからとか、 そういうことでしかないと思ったからです。 誰が優先的に受けるべきかということは 政府が考えることであって、 一般市民である自分の立場で受けることができるのであれば、 足りなくなる前に、さっさと受けてこよう! と思って、それでおしまい…になるからです。 自分の立場で、 日本の国全体のことを考えて行動しようなどとは、 思いも寄らないことであったからです。 だから、若い人たちに優先的に受けてもらいたいから、 1本でもそちらに回すために 自分は受けに行かないとおっしゃるのを聞いて、 純粋に、すごいな~と思うのです。 一つ一つの行動が、 自分以外の人のためになるような生き方がしたいと 改めて思わされました。

勝利

教会の祈祷会で、 バプテスマのヨハネが獄中で殉教した箇所を読み、 皆さんと一緒にヨハネの気持ちについて考えていたとき、 アドベンチスト・ライフ誌2009年8月号に紹介されていた 詩のことを思い出しました。 一度、パッと読んだとき、 ん?そこまで言ってしまっていいのかな? と、ちょっとピンと来なかった部分もあったのですが、 後からよくよく考えてみたら、 すごい言葉だなと思うようになりました。 お読みになった方もおられると思いますが、 ここに転載させていただきます。 「勝利」 あなたが人に忘れられたり、 おろそかにされたり、 あるいは故意に無視されたりしても、 自分がはずかしめられたことや 見落とされたことを喜んで 心に微笑むことができる時、 それが勝利である。 あなたの良い点も非難され、 希望は妨げられ、 あなたの趣味は悪く言われ、 あなたの助言は無視され、 あなたの意見が嘲笑されても、 忍耐強く、愛の沈黙を守って、 すべてに耐える時、 それが勝利である。 あなたがどんな食物にも、 衣服にも、 気候にも、 社会にも、 どんな孤独にも、 あるいは人のどんな妨害にも甘んじる時、 それが勝利である。 あなたがどんな不調和、 不規則、また時間を守らないこと、 その他気にさわるどんなことに会っても、 忍耐ができる時、 それが勝利である。 あなたがむだ使いや愚かさ、 ぜいたくや霊的な無感覚さを見て、 イエスが忍耐なさったように、 すべてに耐えるとき、 それが勝利である。 あなたが会話の中で、 友の悪口や批評をしたくなった時、 口を閉ざすことができるならば、 それが勝利である。 あなたが会話の中で、 自分のことを話そうと思わず、 自分の善行について書いたり、 あるいは人の賞賛を求めたりすることの気持ちが全くなくなり、 あなたが世に知られない人であることを、 ほんとうに愛することができる時、 それが勝利である。 『アドベンチスト・ライフ』2009年8月号、2頁より この、最後の 「あなたが世に知られない人であることを、  ほんとうに愛することができる時、  それが勝利である。」 という部分に、グッと心を掴まれる思いがしました。 いつもどこかで、その全く逆の思いが 自分の心を占めていることに 気づかされたからです。 そして、こういう生き方って、 絶対に到達できないと思うのですが、 でも...

牧師不足

苫小牧と静内の教会に行ってきました。 往復350kmくらいのドライブで、 運転の好きないらんにとっては 格好のストレス発散デーです。 今回は、神学生のSくんが同行してくれました。 行き帰りの車の中で、いろいろお話ができました。 教会内外の様々なことについて 自分なりの問題意識をもっていて、 将来有望な人材だなと思いました。 今年度、 三育学院カレッジ神学科で学んでいる学生と すでに卒業した人も含めて、6~7名程度が 牧師の採用試験に臨むだろうとのことです。 そんなにたくさんの人が 牧師になろうと思ってくれているなんて、 とてもとても久しぶりのことだと思いますし、 こんなに嬉しいことはありません。 ところが・・・!! 教団の厳しい財政状況は今も変わらず、 そういう人数を全部雇用することは難しいというのです。 まぁ、適性もあるでしょうから、 全員は無理だとしても、 もしかしたら、ほんの数名しか採用できないかも知れないとのことなのです。 あ~、もったいない! ただでも牧師の数が足りなくて、 兼牧教会の数が増えているというのに、 そして、牧師になりたいと思ってくれている人たちが こんなにたくさんいるのに、 S君のような人たちには、 どんどん現場に出てきてもらいたいと思っているのに、 充分なお金がないというだけで 採用できないのは、 本当にもったいないことだと思ってしまいます。 ( p_q)エーン いらんは、今働いている牧師たちの給料を減らしてでもいいから、 志を持って卒業してくる人たちを 雇ってもらいたい!…と、カッコイイことを言っています。 果たして、実際に牧師たちの給料も減り始めているのですが、 でも、財政がまだまだ厳しくて たくさん(というか、必要な数すらも)雇えないとは。。。 残念としか言いようがありません。 これは、もう、本当に真剣にお祈りして、 神様に助けてもらわないと、 なり手がいるのに 働いてもらうことができないという このどうしようにも、もどかしい状況を 打開することはできないかなと思います。 というわけで、 教会の祈祷会でもお祈りをしていこうと思いますし、 このブログをお読みの皆さんも、 是非、ご自分のお祈りの中に 覚えてくださいますようお願いいたします。 m(_ _"m)ペコリ