3月、4月、5月と、仕事が忙しく、文字通り心に余裕がなかったこともあり、2月に再開!と思っていたブログが、すぐに止まってしまいました。
でもまた何か書こうかな〜と思うようになったのには理由がありまして、それはある人のブログに出会ったことでした。
それは、こちら。
心臓外科医はつらいよ 〜遮断鉗子のブルンジ奮闘記〜
ある心臓外科医が書いておられるブログなのですが、この方、今はアフリカのブルンジ(英語読みだとブルンディなので、最後を「ジ」と表記することに多少の抵抗を覚えながらも、でも一般的にはやはり「ブルンジ」)という国で、この国の医療の最先端を担う働きをしておられます。
本も書いておられるので、私も買いたいなと思っているのですが、やはり本を書ける人(にもピンキリあるでしょうが、しかし概して)は、筆が立ちますね〜。思わず文章に引き込まれてしまいます。あぁ、こんな文章が書けたらいいなと思うのですが、やはり、優れた文章にたくさん接しておられるであろうことと、あとは何より文才がなければ、書きたいなという気持ちだけではどうにもならないものだなと思わされます。
が、そういう私もかつて、ある先輩牧師から、浦島は「軽妙な」文章を書くと評されたことがあります。「巧妙」ではなく、あくまでも「軽妙」であって、軽さだけがウリであるわけなのですが、でもそんなふうに評価をしていただいたことの背景というか基礎には、中学2年生からの10年間、毎日ほぼ休まずに書き続けた日記の存在があると思っています。
私はあまり本を読むほうではありませんでしたが(そして今もそうですが)、書くことに関しては、4行という限られたスペースにいかに今日の出来事を収めるかを毎日考えることによって、文章をまとめる訓練は、知らず知らずのうちにさせてもらっていたということになるのかなと思います。
そんな私だからこそ、人を飽きさせることのない長い文章というものは、書いた試しもなければ書こうとも思わないものなので、本を書ける人というのは心から尊敬するわけです。
んでまぁ、憧れ半分、遮断鉗子さんのブログを読むようになりました(まだほんの数日ですが)。
そして、刺激を受けまして、やっぱり今自分が考えていることを文章に残しておくということは、大切だとか必要だとか言うのではなく、単に「イイ」ことだという、ただそれだけの理由で、自分のブログも一体何回「再開」していることかと自分で自分に呆れてしまうのですが、再々々々々々開くらいまではアリということで、ちょっと自分に甘く接してみようかと思う次第です。
さて、遮断鉗子さんですが、実は以前から少々知り合いで、特にこの方のご両親には、私が駆け出しの牧師の頃、非常にお世話になりました。お父様は一級建築士、お母様は看護師だった…気がします。やはり、優秀な家系に生まれるというのは、こういうことなんだなと思わされます。
ところが、このご両親のすごいところは、ご自分方の能力をひけらかすようなことは一切なさらないところなんですね。能ある鷹は爪を隠すってヤツです。
遮断鉗子さんはそういうご両親の間に生まれた方ですので、一見フツーなようなのですが(ブログに書いておられますが、九州男児なので、話すのは苦手だと。だからフツーに見えるのかもしれません。ご両親はよくお話しされる方々なのですが)、内側ではいろいろなことを鋭い視点で捉えておられます。
と、まぁ、ご紹介はこのくらいにしておきましょうね。
皆さんも、是非、上述のブログ、お読みになってみてください。
でもまた何か書こうかな〜と思うようになったのには理由がありまして、それはある人のブログに出会ったことでした。
それは、こちら。
心臓外科医はつらいよ 〜遮断鉗子のブルンジ奮闘記〜
ある心臓外科医が書いておられるブログなのですが、この方、今はアフリカのブルンジ(英語読みだとブルンディなので、最後を「ジ」と表記することに多少の抵抗を覚えながらも、でも一般的にはやはり「ブルンジ」)という国で、この国の医療の最先端を担う働きをしておられます。
本も書いておられるので、私も買いたいなと思っているのですが、やはり本を書ける人(にもピンキリあるでしょうが、しかし概して)は、筆が立ちますね〜。思わず文章に引き込まれてしまいます。あぁ、こんな文章が書けたらいいなと思うのですが、やはり、優れた文章にたくさん接しておられるであろうことと、あとは何より文才がなければ、書きたいなという気持ちだけではどうにもならないものだなと思わされます。
が、そういう私もかつて、ある先輩牧師から、浦島は「軽妙な」文章を書くと評されたことがあります。「巧妙」ではなく、あくまでも「軽妙」であって、軽さだけがウリであるわけなのですが、でもそんなふうに評価をしていただいたことの背景というか基礎には、中学2年生からの10年間、毎日ほぼ休まずに書き続けた日記の存在があると思っています。
私はあまり本を読むほうではありませんでしたが(そして今もそうですが)、書くことに関しては、4行という限られたスペースにいかに今日の出来事を収めるかを毎日考えることによって、文章をまとめる訓練は、知らず知らずのうちにさせてもらっていたということになるのかなと思います。
そんな私だからこそ、人を飽きさせることのない長い文章というものは、書いた試しもなければ書こうとも思わないものなので、本を書ける人というのは心から尊敬するわけです。
んでまぁ、憧れ半分、遮断鉗子さんのブログを読むようになりました(まだほんの数日ですが)。
そして、刺激を受けまして、やっぱり今自分が考えていることを文章に残しておくということは、大切だとか必要だとか言うのではなく、単に「イイ」ことだという、ただそれだけの理由で、自分のブログも一体何回「再開」していることかと自分で自分に呆れてしまうのですが、再々々々々々開くらいまではアリということで、ちょっと自分に甘く接してみようかと思う次第です。
さて、遮断鉗子さんですが、実は以前から少々知り合いで、特にこの方のご両親には、私が駆け出しの牧師の頃、非常にお世話になりました。お父様は一級建築士、お母様は看護師だった…気がします。やはり、優秀な家系に生まれるというのは、こういうことなんだなと思わされます。
ところが、このご両親のすごいところは、ご自分方の能力をひけらかすようなことは一切なさらないところなんですね。能ある鷹は爪を隠すってヤツです。
遮断鉗子さんはそういうご両親の間に生まれた方ですので、一見フツーなようなのですが(ブログに書いておられますが、九州男児なので、話すのは苦手だと。だからフツーに見えるのかもしれません。ご両親はよくお話しされる方々なのですが)、内側ではいろいろなことを鋭い視点で捉えておられます。
と、まぁ、ご紹介はこのくらいにしておきましょうね。
皆さんも、是非、上述のブログ、お読みになってみてください。