深夜のニュース番組で、最近、大学で「恋愛学」や「結婚学」という授業があるという報道がありました。東京のW大学や九州の大学の例が挙げられていました。 授業のほんの一部が紹介されていましたが、講師がこんなことを言っていました。 「100点満点の60点くらいの相手でも、とりあえずメアドを交換しておくこと!そういう相手でも、いつ大変身を遂げるか分からないから」。 えぇ、まぁ、確かにそうかも知れません。でも、それって、その先生個人の意見にすぎないと思います。というのは、私だったら、その人が大変身を遂げる可能性にかけることはしないからです。私は、60点くらいの相手とでもメアドを交換するとしたら、その隣にいる100点の人とお近づきになるためにします。そして、私がこの授業の講師だったら、そう教えると思います。 このような講義をすることの理由として、一人の講師は少子化問題の解決の一助になればと考えているとのことでした。また、他の講師は、インタビューに答えて、次のようなことを言っていました。 「恋愛ができないと言っている若者の多くは、失敗することを恐れています。ですから、恋愛学という名前の講義ではありますが、基本的には、勇気を持ってチャレンジすることの大切さを教えています」。 なるほどという感じですが、しかし、冷静に考えてみると、勇気を持ってチャレンジをすることが大切だ!などということを、わざわざ大学の講義で扱わなければならないということ自体がおかしいのではないかと思うわけです。そもそも、そんなことは、学校で教わることではありません。家庭で教えられるべきことです。 今回のニュースで採り上げられていたような恋愛学なる講義がなされる必要があるのは、結局のところ、人間関係が希薄になってしまっていることの表れなのではないかと思います。 親から、兄弟から、或いは先輩から、当然教わるべきことが、何も伝えられていない。男だったら歯を食いしばってでも頑張ってみろ!と背中を押してもらったことがない。だから、恋愛ってどうすればいいのか分からない。…となるのではないかと思うのです。 イエス・キリストが、終末時代は人々の「愛が冷える」と言っておられますが、例えば、このような形で成就しているのではないかと思わされます。 やはり、基本は家庭だなと、思います。 (おまけ)...
直訳で「現実逃避主義者」です。ブログを書く時というのは、ほとんどいつも現実逃避をしている時だという反省をこめてみました。