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Docomo の白ロム+MVNO でテザリング

脱iPhoneを図りMVNOにお世話になるようになってからすでに4年が経過しましたが、いろいろな変遷を経て、現在は以下の構成です。 スマホ:Xperia GX SO-04D docomo(白ロム、未シムフリー化) SIM:DMM データSIMプラン シングルコース 1GB ガラケー:au MARVERA2 これで、月額約3,000円(ガラケーの端末代分割払込)です。 これまではPCやiPadをネットに接続するために、スマホからSIMを取り出してモバイルルータ端末に入れて使うということをしていたのですが、バックカバーを何回も開け閉めするうちに亀裂が入ってしまったので、何とかスマホを使ってテザリングができないかと考えました。 docomo のこの世代のスマホは、テザリングをしようとすると専用回線に切り替えようとするため、MVNOのSIMだとエラーが出てしまいます。 いろいろ調べて探り当てたのが、 PDANet+ というアプリでした。 これをまず、スマホにインストールします。私のスマホのOSは、Android 4.1.2 です。 このスマホをUSBでPCに接続して使うのですが、PC側にも PdaNet Desktop for Mac というソフトをインストールする必要があります。 私のPCは、MacBook Air 第二世代、OSは10.9.5 です。 テザリングの手順は以下の通りです。 1)スマホとPCをUSBで接続する 2)スマホのPDANet+ を立ち上げ、Activate USB Tether のチェックボックスをオン 3)USBデバッグがONになっていない場合それを促すウィンドウが表示されるので「Go to Settings」のボタンをタッチして「開発者向けオプション」へ。「USBデバッグ」のチェックボックスをON 4)PCのPdaNet Desktop for Mac を立ち上げると画面上のツールバーに携帯のアイコンが表示されるので、それをクリックし、プルダウンメニューの一番上の「Connect」をクリック これで携帯のアイコンの右下に小さな地球のマークが出ればテザリング成功で、ネットに接続できます。 ところが、私の場合、それがうまくいきませんでした。携帯アイコンの右下の地球マークの点滅が止まらず、...

ありがた迷惑

専門的な勉強をしたこともありませんし、そんなに詳しいとも思っていないのですが、中学2年生の頃、MS-DOS の時代からパソコンに触っているということもあり、何となくですが、ごくごく一般的なレベルよりは少しだけパソコンに関する知識はあるのかなと思います。 加えて私の偉そうな態度も手伝って、パソコンのことはうらしぶちょうに聞くべしという感じの雰囲気になっていることもあり、ADRA Japan ではPC整備係をしています。 夏のインターンを数名受け入れるに際し、皆さんに使っていただくパソコンの整備をすべく、スタッフからのお下がりの数台をイニシャライズしています。 この時に感じるのが、パソコンを作っている企業の姿勢の違いです。 大きく分けて2つあると思います。 1つは、なるべく余計なものを入れずにシンプルな状態の機器をユーザーに渡そうとする姿勢。もう1つは、Windows だけじゃ不十分だし使いづらいでしょ?だから我が社オススメのユーティリティーをプリインストールしておきますよという姿勢。 ひところ、I社やT社は前者の姿勢だったため結構好きで通算で数台購入したのですが、I社は中国企業に身売りしちゃったこともあって何となく気持ちが離れてしまったのと、T社は徐々に上述の後者の姿勢になってきたこともあってその後は一切手を出していません(その後、シンプルさが気に入って一度購入したG社もやはり中国企業に身売りをしてしまいました(泣))。 ここ数日でイニシャライズをかけた数台のパソコンはいずれもT社のものなのですが、プロダクトリカバリーをかけて最初に表示されるデスクトップを見て愕然とします。マニュアルの類であったり便利ツールの類であったりするもののショートカットアイコンがずらっと15くらい並んでいるんです。 さらに、プログラムの追加と削除の画面を見ると、どう考えても使わないプリインストールソフトが30近くあります。そしてそいつらのほとんどが常駐する設定になっているため、パソコンが重いの何のって。システムが起動してからHDDランプが消えるまでの時間たるや…って感じです。 そういうソフトを一つひとつちまちまとアンインストールしていくわけですが、その作業に2時間とかを費やすわけです。 ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~ まったく、こういうのって、ありがた迷惑...

余裕をもって生きる

自分のFacebook 投稿からの転載+補記。 自治会の会合があって、いつもより早く帰りました。 そうすると、いつもよりも電車が混んでいます。当然座れず、座席の前に立ち吊革につかまっていたのですが、ある駅で私の目の前の席が空きました。 私の両脇に立っていたのはどちらも女性だったので、50代後半から60代前半くらいに見える白髪混じりの方に「どうぞ」と席を促しました。 そしたら、その女性(以下の1の場所)、私を挟んで反対側に立っていた(それもすぐ隣ではなく2人目くらいに立っていた)若い女性(3の場所)を、自分の側に引っ張ってくるようにして「どうぞ、座ってください」」と席を促したのです。 その時の位置関係: [女性1][私][女性2][女性3] その若い女性(3)はお辞儀をしながら着席しました。 え?知り合い?と思ったのですが、その後言葉を交わす様子もないので、そうではなさそうです。 その時、ふと、目に入りました。 そう、 「おなかに赤ちゃんがいます」 マークが、です。 座った女性のバッグに下がっていたんです。 おー、おばちゃん、良く見てんなー! と感動しました。 混雑した車内で、しかもあちこちをきょろきょろと見まわしていたわけでもありませんでしたので、いつから気づいていたのでしょうか。 すると、その女性(妊婦さんに席を促した人)は、私に向かってぺこりと頭をさげ、お礼を言ってくれたのです。 いえいえ、そんな、私はおなかの赤ちゃんマークに気づかなかったほうですから。 恐縮してしまいます。 日ごろ電車に乗っていると、なんとなく、我先に!という生き方をするおばちゃんが多い気がしてしまうのですが、この女性のように余裕を持っている人もいるんだなと思わされました。 そして私も、「こんな生き方がしたい」と思える(思ってもらえる)年長者になりたいと、改めて思わされた。

あるブログ

3月、4月、5月と、仕事が忙しく、文字通り心に余裕がなかったこともあり、2月に再開!と思っていたブログが、すぐに止まってしまいました。 でもまた何か書こうかな〜と思うようになったのには理由がありまして、それはある人のブログに出会ったことでした。 それは、こちら。 心臓外科医はつらいよ 〜遮断鉗子のブルンジ奮闘記〜 ある心臓外科医が書いておられるブログなのですが、この方、今はアフリカのブルンジ(英語読みだとブルンディなので、最後を「ジ」と表記することに多少の抵抗を覚えながらも、でも一般的にはやはり「ブルンジ」)という国で、この国の医療の最先端を担う働きをしておられます。 本も書いておられるので、私も買いたいなと思っているのですが、やはり本を書ける人(にもピンキリあるでしょうが、しかし概して)は、筆が立ちますね〜。思わず文章に引き込まれてしまいます。あぁ、こんな文章が書けたらいいなと思うのですが、やはり、優れた文章にたくさん接しておられるであろうことと、あとは何より文才がなければ、書きたいなという気持ちだけではどうにもならないものだなと思わされます。 が、そういう私もかつて、ある先輩牧師から、浦島は「軽妙な」文章を書くと評されたことがあります。「巧妙」ではなく、あくまでも「軽妙」であって、軽さだけがウリであるわけなのですが、でもそんなふうに評価をしていただいたことの背景というか基礎には、中学2年生からの10年間、毎日ほぼ休まずに書き続けた日記の存在があると思っています。 私はあまり本を読むほうではありませんでしたが(そして今もそうですが)、書くことに関しては、4行という限られたスペースにいかに今日の出来事を収めるかを毎日考えることによって、文章をまとめる訓練は、知らず知らずのうちにさせてもらっていたということになるのかなと思います。 そんな私だからこそ、人を飽きさせることのない長い文章というものは、書いた試しもなければ書こうとも思わないものなので、本を書ける人というのは心から尊敬するわけです。 んでまぁ、憧れ半分、遮断鉗子さんのブログを読むようになりました(まだほんの数日ですが)。 そして、刺激を受けまして、やっぱり今自分が考えていることを文章に残しておくということは、大切だとか必要だとか言うのではなく、単に「イイ」ことだという、...

日本人、まだまだ

休日前の終電に乗ろうとする人でごった返す駅のホーム。 乗車の列に並んでいると、私の前に立っていた若い女性が、ある方向にタタタッと走り寄りました。 私からはちょうど壁に隠れる位置だったので、何が起きているのかは分かりませんでしたが、誰かが倒れた様子で、辺りが騒然としています。 ほどなくして、上述の女性が自分の持っていたタンブラーの蓋を閉めながら戻って来て、私の前に並び直しました。どうやら、中に入っていたお水か何かを提供しようとしたようです。 しばらくすると、その女性の前に並んでいたもう1人の女性が、すぐそこにあった自販機で水のボトルを1本購入し、倒れたと思われる人に対して差し出しています。 電車が到着し、列が進んだ時に見ると、酔っていると思われる女性がしゃがみ込んでいます。 一瞬、どうしようと思ったのですが、駅員さんが来て対応してくれるかなと思い、そのまま電車に乗り込みました。 こういう時って、いつも、どうすれば良かったのかなと思います。 大体、フラフラになるまで飲むほうが悪いわけで、そんな人を助ける義務は無い。一緒に飲んでいた仲間がいただろうから、むしろ責任はその人たちにある。だが、困ったときはお互い様、だ。自分にだって少なからず人に助けられた経験はある。しかし、終電だったのが悪かった。あれがあと1時間早ければ、駅員さんを呼ぶくらいのことはできたかも知れない。非常ボタンを押すわけにもいかないし、しばらくしたら必ず全体を見回りに来る駅員さんがいるハズだから、何とかしてもらえるだろう。だがあそこにいたということは、彼女も終電に乗りたかったのではないだろうか。いゃ、下手に満員電車に乗ってボミットされても困る。駅員さんに案内してもらってタクシーに乗せてもらうのが良いだろう。・・・ 結論の出ない議論が頭の中で展開されるわけです。あぁ、情けない。 まぁ、しかし、それにしても、私の前に立っていた女性の行動の素早さと自然さはスゴかったと思います。パッと駆け寄っていましたし、しかも自分が持っていた飲み物を提供しようとする姿勢には頭が下がる思いでした。 そして、その後水のボトルを買ってあげた女性もすごいと思いました。しばらく迷っていましたが、それでも、見ず知らずの人に対して100円も払ったわけですから。 日本人、まだまだ捨てたものではない...

スタッドレスタイヤの必要性

ある日の朝、車を運転しながらラジオを聞いていて、関東地方での自動車事故のニュースがたくさん報道されていることに気づきました。 原因は、凍結路でスリップしたと「思われる」ものがほとんど。 中には、登校中の生徒をひいて大怪我をさせたり、バイクと衝突してそのまま逃げたり(バイクに乗っていた方は死亡)というものまでありました。 警察の調べに答えたドライバーは、急に車がスリップし、立て直そうとしたが、車の挙動を制御することができなかったと答えていました。そして、この人は、自動車運転過失致傷罪で逮捕されてしまうわけです(これに対する刑は「7年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金」とされていますので、厳しくとられた場合は懲役刑です)。 思えば、この日の前日は冷たい雨が降り、夜はかなり冷え込んだため、私が夜中に帰宅した時点で、東京都内でも路面がすでに凍結しており、歩いても滑るくらいでした(フロントガラスには、霜がびっしり)。 朝方さらに気温が下がったハズですので、そこをノーマルタイヤで走るなんぞは、普通に考えて自殺行為です。 私も、以前は雪が降らない限りはスタッドレスタイヤを履かせようとは思いませんでしたが、北海道で生活をした後は、一番怖いのは雪ではなく凍結路面だということが分かり、雪の有無に関わらず、冬は必ずスタッドレスタイヤを履かせるようになりました。 特に北海道の人たちが一番恐れるのは、ブラックアイスバーンと呼ばれる路面状態で、雪が無いので一見アスファルトが露出しているようで、実は表面が凍結しているというものです。凍結しているようには見えないので、普通の速度で侵入すると大変なことになります。 この日の朝は、まさにこのブラックアイスバーンが関東地方の各地にできていたのだと思います。 ブラックアイスバーンの場合、スタッドレスタイヤを履いていても、気づかないと非常に危険なのに、ましてやノーマルタイヤで突っ込んだ日には、もう、どうしようもありません。重大事故が起きて当然です。 というわけで、何が書きたいかと言いますと、 関東地方の皆さんも 冬期はスタッドレスタイヤを履きましょう! ということです。 特に最近、気候の変動が激しく、気温の上がり下がりも大きくなっていますので、今日は大丈夫でも明日はどうなるか分かりません。...

震災復興と戦後復興

震災を経験した方々への特に心的サポートということを考える際に、いつもふと思うことは、戦後の日本がどうだったかということです。 各地で大空襲があり、原爆が落とされ、沖縄のような「悲惨」という言葉では表しきれないくらいの状況に置かれた土地もありました。父や兄は戦地へ駆り出され、女性や小さな子どもたちは疎開で見知らぬ土地に行き、家族がばらばらになったまま二度と会えなかった人たちもたくさんいたわけです。 しかし、日本各地が「被災」した状態でしたし、現在のような心的ケアといった視点も無かった時代ですから、ある意味、みんな放ったらかしだったはずで、子どもたちの心の傷は、どうやって癒やされていったのだろうと思います。 他ならぬ私の父親も戦中派ですので、父の人間形成において戦争が及ぼしたところの影響は大きかったと思います(別に父の人間性に欠陥があるという意味ではありませんが、戦争を経験していなかったら、もっと違う人間になっていただろうと思うという意味です)。現在の日本社会は、そういう人たちが中心になって造り上げてきたものであるわけです。今になって様々な歪みが出てきていると言えなくもありませんが、でも他の国々がうらやむほどの発展を遂げてきたということを否定する人はいないと思います。 戦争と自然災害とでは、根本的に質が違うのかも知れません。しかし、住む家を追われ、生活を奪われた人たちが、復興を目指して歩んで行くというプロセス自体は同じなのではないかと思います。 だから、震災を経験した人たちに対するケアが必要ないとは言いません。ただ、支援を行なう上では、何を問題とするのか、どこを(ゴールとして)目指して支援を行なうのかというそもそも論的なところを明確にすることが不可欠だと思います。 単に、大変なことを経験し、まだ元の生活に戻れていないから、コミュニティーに歪みが生じ、不登校の子どもたちが増えているので支援が必要だと言うだけでは、支援が形骸化してしまうことを危惧しています。

娘の祈り

時間が過ぎるのは速いもので、約1年ぶりの投稿になってしまいました。 書くためのエネルギーのようなものを、ずっと回復できずにいまして、時々Twitter に投稿するのが関の山という感じの日々を過ごして来ましたが、特に何かの努力をするわけでもなく放置しておいたら、最近少しずつまたブログを書きたいなという気持ちが湧いてきたので、どのくらい継続できるか分かりませんが、再開してみようと思います。 明日は妻が第三子を出産する予定です(計画出産なので、何も問題が無ければ出てくると思います)。 で、今日からしばらくお休みをいただいているのですが、休日、いつものパターンで子どもたちを風呂に入れ、寝かしつけていた時のこと。 次の日の朝は、お父さんとお母さんは、君たちが目を覚ます前に病院に出かけてしまうと思うので、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと一緒に後から来てねという話をしていると、5歳の娘が言いました。 娘:「赤ちゃん産むのって、大変なんでしょう? I(←娘のこと)、お母さんが死んじゃったら困るな〜。」 女の人が赤ちゃんを産む時に、死んでしまうこともあるなどという話をしたことがあったっけな? とか思いながら、答えました。 私:「そうだよね。困っちゃうよね。だから、そういうことにならないように、お祈りしててね。」 娘:「うん、でも明日の朝ご飯のお祈りはT(←息子のこと)だから、お母さんのことをお祈りできないかも知れないから、Iがしようかな。」 私:「それもいいかもね。でも、お祈りはご飯の時だけじゃなくてもいいんだよ。」 娘:「じゃぁ、今する?」 私:「それもいいね。じゃぁ、I、して。」 娘:「お父さんがしてよ。」 私:「いいよ。じゃぁ、お祈りしようか(寝たまま)。」 娘:「起きて、ちゃんと座ってお祈りしたほうがいいんじゃない?」 私:「そうね。でも、もう寝ちゃってるし、いいよ。このままでも。」 娘:「え、寝たままでもいいの? それって、効く?」 私:「どんな格好でお祈りしても、神様は聞いてくれるよ。」 娘:「そうなんだ。でも、Iだけは座ってお祈りするよ。」 そう言って、布団の上にちょこんと座りました。 その状況で、牧師である私が寝たままお祈りするのも…と思い、私も布団の上に座ると、隣で寝ていた息子も同じように座ったので、結局3人で座...