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3月, 2010の投稿を表示しています

運転免許

5年ぶりに免許更新の年が来てしまいまして、 ゴールド免許のいらんは(自慢です) 警察署に向かいました。 学生時代に大型免許を取得し、 今もほぼ毎日 幼稚園の通園バスを運転しているので 問題なく更新できるハズなのですが、 毎回、この更新の時だけは 死ぬほど緊張します。 視力検査があるからです。 それも、深視力と呼ばれる 奥行き感があるかどうかを見る検査。。。 ※深視力検査について詳しく知りたい方はこちらへ。   ↓↓↓   CLICK これが、何とも不得意で 本当に緊張します。 5年前、広島で更新した時は、 警察署にあった深視力測定器が 非常に古い機械だったので、 棒がどこを通過しているかがすぐに分かり 難なくパスできました。 ところがそれよりもさらに5年前、 宮崎で更新した際は、 測定器が新しい型のものだったので、 まともに「勝負」するほかなく、 全然できませんでした。 焦ると、ますますできないんですけどね。 その時は、 ちょっと遠くを見て目を休ませてきなさいとか、 じゃぁ、手動の機械でやってみようかなどと、 今考えると、ちょっとあり得ない配慮をしていただいて、 大マケのマケで、片目をつぶって通してもらいました。 そんなわけで、 札幌の警察署の機械はどうかなと思っていたのですが、 さすがは、札幌。 機械は、最新式です。 それが目に入った瞬間、 「終わった・・・」と思ってしまいました。 でも、チャレンジするほかありません。 神さま〜、まだ幼稚園のバスを運転しなさいというのでしたら、 どうか、深視力検査にパスできるようにしてくださ〜ぃ!!! と、祈りまくって、測定器の前に立ちました。 まずは、普通の視力検査から。 新しくしてから2年近く経つ眼鏡なのですが、 なかなか快調で、両眼0.9のレベルも すぐにクリアです。 そして! 問題の深視力検査。 検査官のおじちゃんが、 いらんの緊張を知ってか知らずか、 深視力検査の方法をいちいち説明してくれます。 心の中では、 はいはい、わかりました。 さっさとやっちゃってください! と叫んでいます。 で、本番。 3回連続正解でパスなのですが、 今日は、いつもよりもよく見えます。 1回目、なんと成功です! でも、2回目は外れ。 検査官のおじちゃんが 「落ち着いて!」と、励ましてくれます。 深呼吸をしつつ、もう一度トライしたのですが、 ん〜...

娯楽

曜日によって 新聞に折り込まれる広告の数が 随分違うなと思わされます。 新聞本体の2~3倍の厚さになる日もあれば、 ほんの数枚の日もあります。 あんまり多くても見る気が失せますが、 極端に少なくても 見る気にならないというのも、 面白い心理だなと 自分自身を見て、勝手に思っています。 (みなさんは、いかがですか?) ある日のこと。 その日は、広告が少な目の日でした。 やけにパチンコ屋さんの広告が多いな~ と思ったので、 ヒマジンいらんが 枚数をカウントしてみました。 すると、 パチンコ屋さんの広告 11枚 その他の広告 10枚 計 21枚 という結果でした。 w( ̄△ ̄;)wおおっ! 最近、教会の周りにも 新しいパチンコ店がどんどん建っています。 しかも、どの建物も非常に立派です。 平日の朝から、行列ができています。 不景気になると、 ギャンブルが流行るのかな~と思いつつも、 もう少し生産性のある健全な娯楽が あれば良いのにな~と思います。 教会として、 何かそういうの、考えられないでしょうかね。 平日の昼間から、 行列ができてしまうような 生産性のある健全な娯楽。。。

資本主義

最近、車の中でラジオをつけると よく、国会中継に出くわします。 つい先日は、 衆議院か参議院の 予算委員会だったと思うのですが、 ある女性議員が 首相に向かってかなり強い語調で 発言していました。 その中で、こんな言葉があり、 とても気になりました。 「そもそも資本主義は、  人間の欲望の上に成り立っているものです。」 つまり、みんなが 自分の利益を追い求めるところに 自由競争が発生し、 それが経済を活性化させるというのが 資本主義の根本原理だ ということなのでしょう。 だから、 それを野放しにするのではなく、 金持ちがますます豊かになり 貧乏な人がますます貧しくなって 格差がさらに広がることがないように、 規制を設けていかないといけない。 と、そういうことが発言の主旨であると 理解しました。 いやぁ、しかし、 日本の国の国会議員が、 資本主義経済について この程度の理解しか持っていないのか… と、僭越にも、キリスト教の牧師の立場で 少々残念な気持ちにもなるわけです。 というのは、 そもそも資本主義は、 人間の欲望の上になど 成り立つものではないからです。 確かに、資本主義経済において 自由競争は大切な部分です。 それぞれが自分の判断で 自由に金儲けをして良いわけです。 ただ、儲けたお金については、 それを全額自分の楽しみに使ってよい ということではなく、 自分の生活に必要なもの以外については、 儲けた者の当然の義務として それを貧しい人に分配する という原則があるのです。 そのようなわけで、 コンピュータで有名なMS社の社長さんなども 時々ド~ン!と 多額の寄付金をするのです。 だから、自由競争に規制をかける といったようなことをする必要は 本来まったくないわけなのです。 ところが、戦後の日本には、 資本主義の精神が抜け落ち、 自由競争の部分だけが見事に輸入されました。 それで、 今の日本の資本主義経済の中では、 ともするとお金を儲けること自体が目的になってしまい、 儲けたら儲けたで、 それをどのように使ったらよいのかが 全く分からないというのが 正直なところなのだろう思います。 そういう現代日本にこそ、 聖書の示す絶対的な基準が 必要なのだと思います。