自分の立場をわきまえる必要が常にあると思います。特に人の上に立つ立場にある人は、自分の発言に責任を持たなければなりません。それはつまり、自分がどういうポジションにあるのか、そのポジションにあるが故に、自分の吐く言葉が相手にどのように響くのかということを考えなければならないということです。
何の考えもなしに発した一言を採り上げられ、それはパワハラだと言われました。
えー?そんなつもりは全くなかったんだよ!と言ってお詫びをしましたが、そんなつもりがなかった、つまり深く考えることなしに何気なく発してしまったからこそ、相手を傷つけることになってしまったという次第でした。
しかも、それは、自分が考えていた嘘偽りのないことでした。それを自分自身の働きに関する反省も含めて率直に述べたところ、そのことに利害が絡む人にとっては、非常に自尊心を傷つけられる言葉となってしまったのです。
そんなにヒクツになるなよ!とか、全然そんなつもりがあって言ったわけじゃないからそこまでネガティブに捉えるんじゃないよ!というか、その前に、ちゃんと現実を見ろよ!謙遜に自分たちの仕事を評価してみたらどうなんだよ!と言いたくもなりますが、しかし、こうした場合、立場の差ということもあり、相手がどう捉えたかということに重きが置かれるわけです。
「ハラスメント」の厄介な部分です。こっちにそんな「つもり」がなくても、相手がそうだと感じてしまったら、それが犯罪になるわけですから。
セクハラも含めて、本来弱者を保護するために設けられたはずの概念が、最近は、弱者という立場を利用して、自分よりも力のある立場にある人間をぎゃふんと言わせるための切り札のような使われ方がされている気がしてなりません。
以前にも、まったく違うシチュエーションで、それはパワハラだと言われたことがありました。
両者に共通するのは、パワハラという言葉を使って相手を譴責するその人たちは、どちらも、自分のしていることを評価してもらいたいという気持ちの塊であるということです(←こんなことを言う私は、自分の非は完全に棚上げしていますが…)。
まぁ、結局のところ、お互いに、相手に対する配慮が欠けているからこそ軋轢が生じるのだと思います。
ですので、相手がどうあろうと、私としては、やはり、自分の言動がセクハラやパワハラにならないように気をつけていく=相手への配慮を忘れないということが、どうしても必要です。
あー、難しいし、面倒くさい。
でも、だからこそ、人間関係は面白いんですよね。
何の考えもなしに発した一言を採り上げられ、それはパワハラだと言われました。
えー?そんなつもりは全くなかったんだよ!と言ってお詫びをしましたが、そんなつもりがなかった、つまり深く考えることなしに何気なく発してしまったからこそ、相手を傷つけることになってしまったという次第でした。
しかも、それは、自分が考えていた嘘偽りのないことでした。それを自分自身の働きに関する反省も含めて率直に述べたところ、そのことに利害が絡む人にとっては、非常に自尊心を傷つけられる言葉となってしまったのです。
そんなにヒクツになるなよ!とか、全然そんなつもりがあって言ったわけじゃないからそこまでネガティブに捉えるんじゃないよ!というか、その前に、ちゃんと現実を見ろよ!謙遜に自分たちの仕事を評価してみたらどうなんだよ!と言いたくもなりますが、しかし、こうした場合、立場の差ということもあり、相手がどう捉えたかということに重きが置かれるわけです。
「ハラスメント」の厄介な部分です。こっちにそんな「つもり」がなくても、相手がそうだと感じてしまったら、それが犯罪になるわけですから。
セクハラも含めて、本来弱者を保護するために設けられたはずの概念が、最近は、弱者という立場を利用して、自分よりも力のある立場にある人間をぎゃふんと言わせるための切り札のような使われ方がされている気がしてなりません。
以前にも、まったく違うシチュエーションで、それはパワハラだと言われたことがありました。
両者に共通するのは、パワハラという言葉を使って相手を譴責するその人たちは、どちらも、自分のしていることを評価してもらいたいという気持ちの塊であるということです(←こんなことを言う私は、自分の非は完全に棚上げしていますが…)。
まぁ、結局のところ、お互いに、相手に対する配慮が欠けているからこそ軋轢が生じるのだと思います。
ですので、相手がどうあろうと、私としては、やはり、自分の言動がセクハラやパワハラにならないように気をつけていく=相手への配慮を忘れないということが、どうしても必要です。
あー、難しいし、面倒くさい。
でも、だからこそ、人間関係は面白いんですよね。