著者のインタビュー記事を読んで、この人の書いた本があれば読んでみたい!と無性に思って、図書館で借りて読んだ本です。
駒崎弘樹『「社会を変える」を仕事にする』(筑摩書房、2011年)
本書は、著者がフローレンスというNPO法人を立ち上げるに至るまでの遍歴と、病児保育サービスをどのように始め、展開していったかを綴ったものです。
随所で、本人の気持ちがどのように移り変わっていったのかを赤裸々に描写しているので非常に読みやすく、共感を覚えながら読み進めることができます。そもそも文庫本ではありますが、あまり読書スピードの速くない私でも通勤時間を利用して2日で読み終えてしまいました。
著者が、日本社会におけるエスカレーター方式の「出世」の在り方に違和感を覚えたのは、中高一貫校を受験したときのことだというので、相当のマセガキだったのだと思われます。でも、その頃から、塾の先生が言うことはおかしいという冷静な考えを持つことができたというのは、生まれつきの能力なのか、育った環境なのか、はたまた彼が学生時代の学びの中で身につけたものによるのかは判りませんが、いずれにしても彼はそういう頭脳を持ち合わせており、その意味で彼は「召された」人なのだなと思います。
そして、大学生の時に、社会の役に立ちたいと思っている、自分の内なる思いに気づいてしまった時から、NPO法人を立ち上げ、当時まだまだ社会が認知していなかった「病児保育」の分野に着目し、一つのビジネスモデルとして育て上げるまで、彼の走るべき行程は最初から備えられていたようにも思えるのです。まさに「使命」そのもの。
試行錯誤の末にようやくたどり着いたビジネスモデルを、いとも簡単に行政にパクられ、それが全国展開をし始めた時の著者の狼狽ぶりは当然のことと思うのですが、彼を諭す、今の介護保険制度の元を作ってやはり国にパクられたNPO代表の方の落ち着きようは異様なほどに思えました。
しかし、国の制度として採り入れられてしまうほどのイノベーティブな仕組みを作るような人たちというのは、完全にフォーカスが「他人」それも「目の前で困っている人たち」に合っているわけで、そのような完全なる利他主義に生きることができる人だけが、誰も考えもしなかったような社会の仕組みを作ることができるのだと思わされました。
駒崎氏の素晴らしいところは、解決困難と思われる課題があったとしても、あまり暗くならないというか、とても楽しそうに取り組んでおられるところだと思います。ご本人はどう感じておられるかは判りませんが。
その明るさは、彼の持つ性格から来るものでもあるでしょうが、しかしそれよりもむしろ、彼の目がどこに向いているのかという姿勢そのものからもたらされるものであると思います。
仕組み作りやルール作りの好きなとある人物が、自分のやっていることは駒崎氏のやっていることとあまり変わらない的なことをホザいていましたが、何らかの仕組みを作るという意味では共通なのかも知れませんが、動機が全然違うと思いました。
私利私欲のためではなく、他者のためにそれをしているかどうかは、誰が何を言っても、環境がどうあっても、不平を言わずに課題に取り組む姿勢があるかどうかを見れば歴然だと思います。
そして、自分自身にそのような姿勢があるのかと問われれば、いゃー、文句ばっかり言っているな・・・と。
自分の使命は何であるのか、自分は何のために「命」を「使」おうとしているのかを、改めて問い直す機会になりました。
駒崎弘樹『「社会を変える」を仕事にする』(筑摩書房、2011年)
本書は、著者がフローレンスというNPO法人を立ち上げるに至るまでの遍歴と、病児保育サービスをどのように始め、展開していったかを綴ったものです。
随所で、本人の気持ちがどのように移り変わっていったのかを赤裸々に描写しているので非常に読みやすく、共感を覚えながら読み進めることができます。そもそも文庫本ではありますが、あまり読書スピードの速くない私でも通勤時間を利用して2日で読み終えてしまいました。
著者が、日本社会におけるエスカレーター方式の「出世」の在り方に違和感を覚えたのは、中高一貫校を受験したときのことだというので、相当のマセガキだったのだと思われます。でも、その頃から、塾の先生が言うことはおかしいという冷静な考えを持つことができたというのは、生まれつきの能力なのか、育った環境なのか、はたまた彼が学生時代の学びの中で身につけたものによるのかは判りませんが、いずれにしても彼はそういう頭脳を持ち合わせており、その意味で彼は「召された」人なのだなと思います。
そして、大学生の時に、社会の役に立ちたいと思っている、自分の内なる思いに気づいてしまった時から、NPO法人を立ち上げ、当時まだまだ社会が認知していなかった「病児保育」の分野に着目し、一つのビジネスモデルとして育て上げるまで、彼の走るべき行程は最初から備えられていたようにも思えるのです。まさに「使命」そのもの。
試行錯誤の末にようやくたどり着いたビジネスモデルを、いとも簡単に行政にパクられ、それが全国展開をし始めた時の著者の狼狽ぶりは当然のことと思うのですが、彼を諭す、今の介護保険制度の元を作ってやはり国にパクられたNPO代表の方の落ち着きようは異様なほどに思えました。
しかし、国の制度として採り入れられてしまうほどのイノベーティブな仕組みを作るような人たちというのは、完全にフォーカスが「他人」それも「目の前で困っている人たち」に合っているわけで、そのような完全なる利他主義に生きることができる人だけが、誰も考えもしなかったような社会の仕組みを作ることができるのだと思わされました。
駒崎氏の素晴らしいところは、解決困難と思われる課題があったとしても、あまり暗くならないというか、とても楽しそうに取り組んでおられるところだと思います。ご本人はどう感じておられるかは判りませんが。
その明るさは、彼の持つ性格から来るものでもあるでしょうが、しかしそれよりもむしろ、彼の目がどこに向いているのかという姿勢そのものからもたらされるものであると思います。
仕組み作りやルール作りの好きなとある人物が、自分のやっていることは駒崎氏のやっていることとあまり変わらない的なことをホザいていましたが、何らかの仕組みを作るという意味では共通なのかも知れませんが、動機が全然違うと思いました。
私利私欲のためではなく、他者のためにそれをしているかどうかは、誰が何を言っても、環境がどうあっても、不平を言わずに課題に取り組む姿勢があるかどうかを見れば歴然だと思います。
そして、自分自身にそのような姿勢があるのかと問われれば、いゃー、文句ばっかり言っているな・・・と。
自分の使命は何であるのか、自分は何のために「命」を「使」おうとしているのかを、改めて問い直す機会になりました。