最近、車の中でラジオをつけると
よく、国会中継に出くわします。
つい先日は、
衆議院か参議院の
予算委員会だったと思うのですが、
ある女性議員が
首相に向かってかなり強い語調で
発言していました。
その中で、こんな言葉があり、
とても気になりました。
「そもそも資本主義は、
人間の欲望の上に成り立っているものです。」
つまり、みんなが
自分の利益を追い求めるところに
自由競争が発生し、
それが経済を活性化させるというのが
資本主義の根本原理だ
ということなのでしょう。
だから、
それを野放しにするのではなく、
金持ちがますます豊かになり
貧乏な人がますます貧しくなって
格差がさらに広がることがないように、
規制を設けていかないといけない。
と、そういうことが発言の主旨であると
理解しました。
いやぁ、しかし、
日本の国の国会議員が、
資本主義経済について
この程度の理解しか持っていないのか…
と、僭越にも、キリスト教の牧師の立場で
少々残念な気持ちにもなるわけです。
というのは、
そもそも資本主義は、
人間の欲望の上になど
成り立つものではないからです。
確かに、資本主義経済において
自由競争は大切な部分です。
それぞれが自分の判断で
自由に金儲けをして良いわけです。
ただ、儲けたお金については、
それを全額自分の楽しみに使ってよい
ということではなく、
自分の生活に必要なもの以外については、
儲けた者の当然の義務として
それを貧しい人に分配する
という原則があるのです。
そのようなわけで、
コンピュータで有名なMS社の社長さんなども
時々ド~ン!と
多額の寄付金をするのです。
だから、自由競争に規制をかける
といったようなことをする必要は
本来まったくないわけなのです。
ところが、戦後の日本には、
資本主義の精神が抜け落ち、
自由競争の部分だけが見事に輸入されました。
それで、
今の日本の資本主義経済の中では、
ともするとお金を儲けること自体が目的になってしまい、
儲けたら儲けたで、
それをどのように使ったらよいのかが
全く分からないというのが
正直なところなのだろう思います。
そういう現代日本にこそ、
聖書の示す絶対的な基準が
必要なのだと思います。
よく、国会中継に出くわします。
つい先日は、
衆議院か参議院の
予算委員会だったと思うのですが、
ある女性議員が
首相に向かってかなり強い語調で
発言していました。
その中で、こんな言葉があり、
とても気になりました。
「そもそも資本主義は、
人間の欲望の上に成り立っているものです。」
つまり、みんなが
自分の利益を追い求めるところに
自由競争が発生し、
それが経済を活性化させるというのが
資本主義の根本原理だ
ということなのでしょう。
だから、
それを野放しにするのではなく、
金持ちがますます豊かになり
貧乏な人がますます貧しくなって
格差がさらに広がることがないように、
規制を設けていかないといけない。
と、そういうことが発言の主旨であると
理解しました。
いやぁ、しかし、
日本の国の国会議員が、
資本主義経済について
この程度の理解しか持っていないのか…
と、僭越にも、キリスト教の牧師の立場で
少々残念な気持ちにもなるわけです。
というのは、
そもそも資本主義は、
人間の欲望の上になど
成り立つものではないからです。
確かに、資本主義経済において
自由競争は大切な部分です。
それぞれが自分の判断で
自由に金儲けをして良いわけです。
ただ、儲けたお金については、
それを全額自分の楽しみに使ってよい
ということではなく、
自分の生活に必要なもの以外については、
儲けた者の当然の義務として
それを貧しい人に分配する
という原則があるのです。
そのようなわけで、
コンピュータで有名なMS社の社長さんなども
時々ド~ン!と
多額の寄付金をするのです。
だから、自由競争に規制をかける
といったようなことをする必要は
本来まったくないわけなのです。
ところが、戦後の日本には、
資本主義の精神が抜け落ち、
自由競争の部分だけが見事に輸入されました。
それで、
今の日本の資本主義経済の中では、
ともするとお金を儲けること自体が目的になってしまい、
儲けたら儲けたで、
それをどのように使ったらよいのかが
全く分からないというのが
正直なところなのだろう思います。
そういう現代日本にこそ、
聖書の示す絶対的な基準が
必要なのだと思います。